自分は、どこで、どう生きていきたいのか。
その言葉は、その頃よく聴いていたラジオのパーソナリティーの女性が発した言葉だった。
自分はどう生きていきたいのか、は
なんとなく考えるようにはなっていたけれど、
どこで
というのは、そこまではっきりと考えられていなかった。
ただ、京都の里山に行って以来、近い将来自分は自然に近い場所や、自然と共にあるような生き方をしていくのではないかと感じていた。
そんな気持ちとセットになって、
自分が東京にいる意味がどんどん見出せなくなっていた。
コンクリートに囲まれた部屋から、さらにコンクリート詰めの建物に通い、日中なのに陽の光を浴びずにパソコンに向き合い続ける生活への違和感が増していた。
その頃あまり自分にフィットするコミュニティに属せていなかったこともあるのだろうけど、
新しく出会う人たちとの人間関係もどこか表面的で、うわべな付き合いや会話についていくのも疲れていた。
仲の良い友人たちは、それぞれの環境で人間関係の輪を広げつつ、日々の生活を謳歌していた。
自分が今抱えはじめた胸に迫るような違和感とか孤独感は、
自分自身でさえその急な変化についていけていないのだから、
彼ら彼女らには共有しきれないような気がした。
そんな思いもあって、孤独感が募っていった。
ある休日、ぼうっと考えてみた。
どこで生きていきたいか。
自然のある場所に惹かれるけれど、いきなり職を捨て、縁もゆかりもない遠い地域へ移住するのはハードルが高かった。
じゃあ、まずは都内からも通える範囲でと考えた時、
3年前にアパートメントの当番ノートで綴った鎌倉旅を思い出した。
私にとって鎌倉は、海や山などの自然にゆったりと囲まれていて、
日常が素朴に流れている感じ。
澄んでいて、自分がリセットされる、そんな環境。
その中で、森や山に囲まれた北鎌倉はどうだろうとふわっと思い浮かんだ。
あそこなら、田舎らしさも感じつつ、鎌倉らしい文化的な空気も味わえそうだ。
そう思いついてからの行動は早かった気がする。
鎌倉の地理や住みやすさについて調べて、
物件探しをして内見の予約をする。
あちこちの鎌倉の情報を眺めて、色んな可能性を考えてみる。
そして鎌倉に3泊をして、じっくり物件探しをすることにした。
しかし、まず北鎌倉にある物件は少なかった。
少し範囲を広げて他のエリアの物件も見てみるが、どうもピンとこない。
不動産屋さんに案内をしてもらいながら、この物件も違う、あれも違うとなって、申し訳ないような気持ちになり、
ダメだった何軒目かの部屋の内見の帰り。
私は疲れた気持ちで、とぼとぼと北鎌倉の通りを歩いていた。
ふと顔を上げると、地元の不動産屋さんがあって、そこの掲示板に何部屋か入居者募集中の張り紙が出されていた。
ネットの情報ばかり見ていたけれど、こういう情報もありなのかなぁと思ってぼんやりと眺めていると、
年配の女性が表の花に水やりに出てきた。
こんにちはと挨拶をしながら、お部屋をお探しですか?と聞かれた。
私は、はい。隣駅の不動産屋さんでいくつか見て来た帰りなんですが、なかなか見つからなくてと苦笑すると、
もしかしたらご紹介できるお部屋があるかもしれませんとのことで、
中で話を聞くことにした。
部屋以外にも北鎌倉の話にも花が咲いて、
その方が60年近く住んでいるけれど、当時とあまり景色が変わってないなんて話を聞いて、驚いた。
そして、いくつか部屋を紹介されたが、すぐにピンとくる部屋には出会えなかった。
それじゃあと最後に紹介されて、あまり期待せずに見に行ってみた部屋は、入った瞬間に
あぁここが私の部屋だ、と思った。
それまで条件面とかで探していたけれど、条件だけではおそらく対象として出てこないような部屋で、
でも今の自分が求めていた、言葉にはならない安心感のようなものが、
その古いけれど、こぎれいな部屋からは感じられた。
その部屋に入居を決めて、引っ越し当日。
部屋に入ると、古かった水道の蛇口や換気扇が新品に変わっていた。
あの紹介をしてくれた女性が大家さんもやっている部屋で、
あの方は何も言わなかったけれど、暮らしやすいような心配りを至るところにしてくれていた。
居室の窓を開けると、
目の前にゆったりと大きくそびえ立つ大きな木と、その周りの木々たち。
鳥のさえずりと、澄んだ空気。
朝ゴミ出しに行くと、お隣のお家の方に
「あなたお花が好きでしょう、優しい方なんだわぁ。いい方がお隣に引っ越されて、嬉しいわぁ。」と花を眺めているだけで、喜ばれたり。
東京にいる間は、どこかボタンを掛け違えているような感じがあって、
常に気を張っていたり、やみくもに頑張ってどこか空回りしていた。
たぶん、自分をちゃんと知ることができていなかったのだと思う。
本当の意味で、自分を分かってなかった。
一緒にいて楽しくて大好きな子たちの価値観とか生き方におんぶして、
自分もそう生きれば楽しいんだと思い込もうとしていた。
自分自身の感覚をなおざりにして。
素直に導かれるままにここで暮らしはじめてから、ようやく最初のボタンを留められたような、そんな気がしている。
そのままのあなたでオーケーと言われている感じがするのだ。
絵を描くために借りたシェアアトリエでは、隣の部屋の革職人の方が、気前よく車を出してくれて家具の買い出しに付き合ってくれた。
ふらりと入った喫茶店では、
店主が昔絵を描いていたとかで、絵の話で盛り上がり、近くの専門的な絵画教室を紹介してくれた。
その教室ではユニークで天才肌気質な先生と出会い、絵筆と自分自身の感覚を一致させることを目標にしないかと、思いがけず提案された。
私はそこで、鉛筆の持ち方から、デッサンを一から勉強し始めることにした。
これだけデジタル化の進んだ社会で、
歩いていたら出会い、そこから新しい縁がつながっていくという、
驚くほどアナログな出会いが続いている。
そしてある日。
自分の奥底が、魂が揺さぶられるような出会いに巡り合った。
観光客が多い大きなお寺の近く。
奥まった道の先に、ひっそりと佇む自然豊かなお寺がある。
そこを散策をした帰り、
ふと目についた陶器屋さんが気になって、入った。
そこで、私は陶芸家のおばあさんと出会った。