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2F/当番ノート

北鎌倉のおばあちゃん

当番ノート 第51期

「ちょっと上がってお茶でもしていかない。」


お寺を散策した帰り、ふらっと立ち寄った陶器屋さんの店主のおばあさんに声をかけられた。


このご時世で観光客は少なく、お客さんは私しかいなかった。

立ち話をしながら、最近私が近くに引っ越してきたばかりだと言うと、それじゃあとおばあさんが誘ってくれたのだった。


店の上がり口のすぐ先が平家の住まいになっていて、やや大きなダイニングテーブルが部屋の真ん中にあり、

周りの壁や棚の至るところに絵画や屏風、和風の小物などが飾られていた。

入ってすぐ脇が台所になっていて、

テーブルの向かいの窓からは、お寺の緑の木々が見えた。

居間の先は陶芸の工房のようで、店の作品は全ておばあさんが作っているらしかった。


生活空間と食事空間、物作りの空間が一体となっている感じがあり、

それぞれの空間がそれぞれの延長のような感じがした。


勧められた椅子に腰掛け、部屋を見渡す。

初めて訪れた場所なのにどこか居心地が良かった。

おばあさん、というにはだいぶエネルギッシュで若々しい方で、お話が好きな方だった。

私はちょっと話をしていくつもりだったけれど、気づくとなぜ北鎌倉に引っ越してきたかや、病気をしていたことなどを話していた。

そして去年祖父が亡くなり、その頃から自分の身の回りの色々が変わりはじめたことを話し始めた時、

実はねと、おばあさんは切り出した。


あなたさっき店先にいた時、あまりに生気がなくて、幽霊が来たのかと思ったのよ。

だからうちに呼んだのよ、と言われた。


あぁ、そうだったのか。

北鎌倉に引っ越して自然に近づいて、

少しずつだけど食事を摂れるようになり回復してきていると思っていたけれど、

まだまだだったみたいだ。

確かに久しぶりに会った友達からも、痩せたことを随分と心配されたっけ。


よければ夕食を食べていかないと言われて、お言葉に甘えて私はそのままご馳走になることにした。


テーブルに並べられる、おばあさんの手作りの煮物や漬物。

久しぶりに口にする誰かの手料理に、息を吹き返したような心地がした。


一人でご飯を作って食べていても、なかなか食欲って湧かない。


だけど、誰かの作る、気持ちが込もった料理って、どうしてこんなにおいしく感じるんだろう。


帰りがけに、きちんと食べなさいよと言われて、

手作りの豚の生姜焼きと煮物、鎌倉野菜の枝豆と頂き物というグレープフルーツを持たせてくれた。


鎌倉農家が作った枝豆は甘みがあり、味がしっかりしていて、枝豆だけでも食べている充実感が得られた。


そして2ヶ月ぶりくらいにまともに食べるお肉、豚の生姜焼き。

胃腸がヒリヒリしないかとハラハラしたけれど、

焼いて食べたらとろけるように美味しくて、

余分な添加物が使われていない、手作りの温かな味がした。

思わず食べながら、はぁ幸せ と呟いていた。


自粛生活が始まってから、初めて食の安らぎを得られたような気がした。


それ以来、私はおばあさんのやっている陶芸教室に通うようになって、時々夕食にも呼ばれるようになった。

この自粛期間でなかなか人とも会えず、新天地で寂しい思いをしていた中、

こんな近所に自分を気にかけてくれる方の存在ができたこと

そして温かな手料理や新鮮な鎌倉野菜に、どれほど救われたことか。


日々摂取する栄養は、自分の血となり肉となり、体力も少しずつ戻り始め、前よりも元気が出てきた。


おばあさんに会ってから、少しずつ生き返っていくようだった。

おばあさんに出会っていなかったら、あのまま弱って力尽きていたのではないかとさえ思う。



弱っていた自分を救ってくれたそのおばあさんとは、不思議な縁もあるようだった。


亡くなった祖父の故郷が、おばあさんの縁のある土地であったり、

生まれた家庭環境が少し近かったり、絵を描くなど物作りが好きだったり。


話すたびに、ちょっとしたこと、

でも大切なことが共通点として見つかっていった。

ただの偶然ではない、何かお互いが惹き寄せられて出会ったような、そんな感じがした。



「血縁はなくても、人と人との間にはそれよりも濃い繋がりがあったりするのよ」

とおばあさんは言う。

その一つが、仏縁だという。


おばあさんは、私の亡くなった祖父の存在に何か感じるところがあるようで、

あの世から現世の孫を心配して、北鎌倉の土地へ、おばあさんのところへ繋げてくれたのではないかと言う。


そして話しているうちに、私は今年が本厄ではないけれど、厄年の前後数年から注意をしておくべきで、

この機会に鶴岡八幡宮で厄払いをしてはどうかと勧められた。


私は無宗教の家庭で、特に信仰心もなく育ってきたけれど、

いざという時に、何か心の頼りとするようなものや信じる対象がないことに、特にここ最近心細さを感じていた。

だから、おばあさんの信心深さや、日頃の仏を意識した行い、礼儀が新しくて、心を惹かれた。


自分は今、いくつもの偶然の積み重ねで北鎌倉にたどり着き、

そして様々な縁によって新たな自分が紡がれている感じがしていた。


それは自分の意思や力というよりも、

もっと大きな流れの中で、まるで何かに導かれているような。


だから、ここでこうしておばあさんに出会ったのも縁、

というか必然なのかもしれないと思った。


そして、800年近くの歴史があり、鎌倉の守護神である鶴岡八幡宮でお祓いをすることも、

そういう巡り合わせなのかもしれない。


だから、おばあさんからの勧めもすっと腑に落ちて、それから話はトントンと進み、

私はおばあさんと一緒に鶴岡八幡宮を訪れることになった。


当日。

雨の予報だったけれど、当日は快晴で風が吹いていて心地よく、過ごしやすい陽気だった。

一番奥のご本殿の中へ、初めて足を踏み入れた。


お宮参りで赤ん坊を連れた数組のご夫婦やご家族と共に、私は列の一番後ろの席におばあさんと一緒に座った。


神職さんの祝詞奏上に耳を傾け、頭を下げ、手を合わせる。


これまでは、自分のために、ただ無事に生きさせてください、なんてお祈りをしたことはなかった。

お参りをする時はいつも、楽しく過ごせますように、夢が叶いますように、なんて、もうちょっと欲のあるお祈りをしていた。


でも今、普通に食べることができて、日々の暮らしで小さな出来事や体験を積み重ねながら、

こうして日々生きることができている。

そんななんでもない日々が、こんなにも貴重で愛おしいなんて。


前の私だったら、このありがたさには気づけなかった。


この世界で、まだまだ自分は生きていきたい、健康に無事で生かせてほしいという思いが強く湧いてきた。


導かれるようにして、今日この場にやってきて

こんな貴重な体験をさせてもらい、

気づきを得られていること。

そして、純粋な思いで祈りを捧げられている喜びで

感極まって涙があふれてきた。



今の時代の変化の影響を受けながらも、

今、私としての日常を生きられているありがたさと、

人との縁や出会いによって自分が生かされていることは、

たぶん絶対に忘れちゃいけない。


大きな存在から恵みをもたらされていることに慣れきって、それを忘れてしまい、

自分の力で、好きなように生きられると勝手に思い込んでいた自分の浅はかさが

根っこからへし折られていくようだった。



神主さんによって大麻の棒が振られ、お祓いがされる間、

それまでずっと泣いていた赤ちゃんは泣き止んで一瞬静かになり、

風の音が強くなって吹いていた。





まだおばあさんと出会ったばかりだけれど、

家族でも友達でもなく、自分との何か見えない大きな結びつきを感じられるような人と出会うのは初めてで、

嬉しくもあるし、これからどんなことが起きるんだろうと、少しドキドキしている。


そう。

夏には、おばあさんのご主人が静養されている避暑地へご一緒させてもらうことになった。


その土地は偶然にも、

幼少期に祖父と家族で旅行で夏にたびたび訪れたことのある、思い入れの深い場所だった。


もしかしてこれは偶然、


いや、きっと必然なんだと思う。




そんな不思議な縁に助けられつつ、

北鎌倉のおばあちゃんや様々な方との出会いに支えられながら

私は今日もこの土地で、元気に暮らしています。

yuka

yuka

3年前、鎌倉への憧れから、当番ノートで鎌倉旅について綴りました。
そして今、山と緑の多い北鎌倉で暮らしはじめました。
今回は鎌倉に移り住むまでのこと、北鎌倉での暮らしなどについて書いていきたいと思います。

2017年当番ノート『群青色の街』
https://apartment-home.net/author/anny/

Reviewed by
中西須瑞化(藤宮ニア)

「あなたさっき店先にいた時、あまりに生気がなくて、幽霊が来たのかと思ったのよ。だからうちに呼んだのよ」

そんな風に、弱っている誰かを家に招いてご飯を食べさせてあげられる人間になれるだろうか。
目に見えない何かを感じること、ほんのわずかなすれ違いに生じる心の揺れを無視しないこと。

そこから繋がっていく、血縁以上の縁(えにし)。

わたしたち人間は、本当はすごくすごくたくさんのもの、「世界」というものに包まれて生きている。どんな時も。今も。

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