何年か前、横浜港に面した飲食店で歓談していたときのこと。同席していた知人は、港の向こうを指さした。
「あのホテルの〇階の〇号室、友達の親御さんが施工したんだって」
知人がどんな意図でその話を出したのか、前後にどんな話をしていたのか、そしてどんな思いで当時の私が聞いていたのかも、残念ながら失念してしまった。しかし、なぜだかその言葉がずっと私の脳裏に焼きついて離れず、横浜を訪れるたびに思い出している。
さて、私の生業は広告媒体などを主体としたライターである。時折コラムなども手がけるが、あちらは完全にイレギュラー。守秘義務があるため、「私が手がけました」とおおっぴらにはできず、私の名前が出ることはない仕事ばかり。おまけに独自の表現力などはほぼ不要、依頼主の要望に沿い、なおかつターゲットに届く言葉選びをするかが肝になる。私はこの仕事を結構、いや、かなり気に入ってる。
しかし、物書きを目指す方や、もっともっと名を売りたいという現役の物書きの方の中には、私の考え方が信じられない、あるいは無理をしているように見える方もいるようだ。「誰にでも書けるような文章を書く、名前を出してもらえないような仕事を請けて、何が楽しいんですか?」という質問を受けることが度々ある。通じないのを承知で「名前が出ないし個性が見えないのって、忍者みたいでかっこいいなあって思うんです」などと返答するが、やはりご納得いただけないようだ。というか、「誰にでも書ける」ように見える文章も、実は簡単ではないのだけれど。
COVID-19のあおりを受けて、元々売れっ子とは言い難い私への、元から少なかった依頼がさらに激減。代理店など各所に営業をかけてみるが、そもそも冊子などを製作する案件自体が減ってしまっているようなのだ。クラウドソージングサイトにも登録してみるが、私がこなせそうな案件はことごとく遠方、しかも出社が必要なものばかり。今もときどき覗いてはいるが、応募には至っていない。
そこで「売れるライターになるには」というような内容の書籍やWEBの記事を読むなどしてみるが、「自分の強みを探す、もしくは作る!」「誰にも書けない自分だけの文章を!」というような内容がほとんどで、「あの、私、そういうのいらないんで」と及び腰になってしまうばかりだった(記名記事をたくさん書いていきたい方には参考になる内容だと思います)。
いや、私、そういうのほんとにいらないの。名前なんて出なくてもいいし、ありきたりだと言われても構わない。むしろそういうライターでいたいんだ。
そんな私だが、昔から「ありきたりなライターでいたい」と思っていたわけではない。私は自己肯定感の弱さから、選民意識丸出しのメサイアコンプレックスの塊だった。まだ完全には脱却できていない気がしているため、注意を払って生活している。今もなお模索している状況なので、誰かにアドバイスを差し上げる術を持たない。しかし、自己有用感と自己肯定感を混同していたころの私は、誰かの役に立ちたくて仕方なかった。名前を出して、自分にしか書けない文章をつづり、称賛を受けたいと願っていた。
とはいえ、現実は甘くない。自己有用感を欲すれば欲するほど、自分の薄っぺらさ、凡庸さが浮き彫りになる。同時に、誰かの言葉や気持ちを利用して心の安定を保とうとする厚かましさ、傲慢さを自覚し、うすら寒くなってきたし、吐き気がした。
あれはどなたの言葉だったっけ、「救いのつもりで手を差し伸べたところで、相手がつかめないのなら意味がない。相手が救われようとその手をつかもうとして、初めて差し伸べた手が救いになる」って。もちろん、誰かを救おうという気持ちや言動に意味がないわけではない。しかし実のところ、救われたいと願った人が、自分の力で自分を救っているのだ、という話。もちろん例外もあるだろう。
その後、『LITALICO発達ナビ』に掲載していただいている私の地味なコラムに反響があると編集さんが知らせてくださったり、広告の仕事で、私がふと思いついて口に出した言葉がヒントになったと先方に感謝されるなど、意図せぬかたちでどなたかのお役に立つという経験が続いた。そう、凡庸な私の些細な言動を、誰かが私の意図せぬところで役立ててくださったのだ。「自分にしか書けない文章で誰かの役に立ち、褒められること」を目標にしたとしてもままならないことは痛いほど分かったし、抜きんでた才能や個性がなくても、たまには役立ててもらえることもある。私ごときの一念でコントロールできるわけがないのだから、もっと気を抜いてもいいのかもしれない、ていねいに言葉を選び、文章に仕立てればいいのかもしれない、そう思えた。
現在の私は、家具や家電、食品や食器や洋服、この文章を作成しているPCだってそうだ、誰がつくったのかも分からないものに囲まれて暮らしている。「この人でなければつくれない」というものではないかもしれないが、じゃあ誰にでもつくれるかというと、そうとは言い切れないように思えるし、価値がないわけでもない。むしろ私は、そうしたものに助けられている。息子と私が暮らすこのアパートだって、道路だって、電気や水道、ガスや電話・ネット回線が各家庭に届くように施工したのも、知らない誰かおかげ。そして彼らは名を知られずとも各々に生活し、人生を送っている、広くから称賛を受けることがないにしても。
冒頭に書いた、ホテルの窓の話だってそうだ。知人が伝えてくれなければ、「誰かが手がけた仕事」だと意識することなどなかったかもしれない。意識しなくても私の人生は進んでいくし、作り手の方だって、私ごときに意識されたからところで、何のメリットもないだろう。でも、ありふれたように見えて、しっかりと誰かが手をかけたものがそこにあるという事実が、今の私には愛しく思えるのだ。
私は無個性と揶揄される文章を編む。そこに至るまで、私がどんな取材をしたのだとか、さまざまな文献を開いたなんてことは全く伝わらないかもしれない文章を。誰かに褒められることもなく、消費される文章を。悩むこともままあるが、できる限りは続けていきたい。
今だって、そりゃあお褒めにあずかれば嬉しいし、「記名記事を書けたら依頼が増えるかな」というスケベ心はある。でも基本、平易な言葉を選び、ありきたりな文章を編むライターでいたい。こんなことを言っているから仕事が増えないのかな、とも思うが。まあ、こんな人間が一人ぐらい存在してもいいのではないか。
そんな私が、名前を出してごく私的な思いやできごとについてつづる機会をいただいた。ならば、私がかつて出会った「ありふれて見逃しそうな、でも、確かに存在している唯一の誰か」、世に名を語られることのない、でも確かに私の記憶に焼きついている人々について、次回以降書こうと思っている。