小学生の時、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と一緒に暮らしている友達を羨ましく思うことがあった。彼らが話す「おじいちゃん」「おばあちゃん」の言葉には、家族としての距離感があった。
私の両親は福岡出身で、千葉で核家族をしている。両家共に祖父母達は福岡。私にとって「おじいちゃん」「おばあちゃん」は夏休みになると時々会う、血の繋がった顔見知りの「おじいちゃん」「おばあちゃん」だった。
会社を辞めて千葉の実家に戻ると、そこには認知症になった「おばあちゃん」がいた。家の中の様子も変わってて驚いた。洗面所にはハンドタオルが何枚もかかっていて、それぞれタオルの上に「パパのタオル」「ママのタオル」「おばあちゃんのタオル」と紙が貼ってあるのだ。タオルの端っこにも、誰のタオルか名前が記入されている。他にも各所に説明の紙が壁についてて、介護施設のようだ、と思った。
なお、私が家を出る前は、洗面所にはタオルが一つかかっているだけだった。だからすぐにビショビショになる。私が生活に加わると「mopokaのタオル」と父が書いてくれた紙が壁に増えて、私のタオルはグリーンと決まった。
コップも、どれが誰のコップか決まっていた。そんなルールがあるとは知らず、朝食の準備で、両親が飲む牛乳をコップに用意したら「それ、おばあちゃんのなの」て微妙なトーンで説明を受けた。
洗濯物を干すにも、お湯を沸かすにも、いろんなルールがそこにはあった。
もう子供じゃないし、と思って妙な緊張感を抱えて気を遣って暮らしていたし、けどルールにうんざりして、何もしたくないなと子供のようにヘソを曲げたりもした。
両親と今さら一緒に暮らすとか、どんな感じでいたらいいのよ…と手探りだった。その上、認知症のおばあちゃんは、都度様々なリアクションでこちらを揺さぶってきて、正直面倒くさいと思った。
けど、憧れてた「おばあちゃん」との暮らし。拡大家族だ。
さらに、私がこの生活に慣れた頃に、長姉が出産で里帰りし、生まれた姪と姉と義兄と、両親と祖母の7人で暮らした日も数日あった。人数が増えるほど、面白いと知った。
拡大家族を体験している今を、不思議に思う。結婚したらまた核家族になるだろうし、その先にまた拡大家族になるのだろうか。今、私が友人に話す「おばあちゃん」の言葉の響きには、昔憧れた家族としての味わいが、出てるかもしれない。
ホント、面倒くさいおばあちゃんなんだけどさ。
次はおばあちゃんのことをもう少し書こうかな。