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2F/当番ノート

矜恃とホームシックの関係性

当番ノート 第55期

実家で作っていた料理。

食費を考えずにぽんぽんカゴに食材を入れ、その代金さえも親にせびるという堂々としたニートっぷりだった。私が用意するものはただ「料理でもするかー」という軽い気持ちだけで、冷蔵庫には栄養を考えた食材がある程度揃っていた。揃っていたのにもかかわらず、「今日私が作りたいもの」を作っていたのは実家時代の話だ。

でも、あの頃よりも経済観念自体を大きく発達させた今の私が切迫感なく生活を楽しめているのは、節約スキルやライフハックを磨いた結果ではない。もちろんそれもあるけれど、生活保護がいやではなくなったという価値観の変化が大きい。

一人暮らしの生活に慣れるまでの悲惨な状態は第一回目で書いた通りなのでここでは触れないが、しばらくは心身共に疲労困憊していた。色んなことが頭に巡ったが、「なんで私が生活保護なんかになったんだろう」というスティグマ全開の、自分にも突き刺さる差別意識が一番身に堪えた。

漠然と、社会復帰して税金を納める立場にならないといけないと焦っていたのだが、焦ったところでどうもならない。どっしり構えようと考えを改めたのは最近だ。

私は実家時代も長いこと働いていなかったので、社会復帰と言ってもいわばゼロの状態からのスタートになる。私がしなければいけないのはタウンワークやマイナビのアプリの巡回ではなく、一人でしっかり生活を回して生きていく基盤を整えることだった。

これは決して生活保護受給者は自立するべきだと言っているわけではない。しかし、私にとっての生活保護利用は、必要な助走期間なのだと腑に落ちた象徴的な出来事がある。

12月の末、予約したホテルに泊まれなくなったから代わりに行ってくれ、と友人が格安で宿泊を譲ってくれた。そこは一人暮らしの我が家よりもかなり広く綺麗で、最初はバスタオルがすっぽり体を包むだの、やれベッドがふかふかだの、朝食がバイキングだのと大はしゃぎした。しかし時間が経つにつれ、ホテルの部屋に居るのが苦痛でしょうがなくなった。絶対に起きないと思っていたホームシックというものだ。

我が家は木造建築で湿気がひどく、風呂トイレは別だが独立洗面台と脱衣所がない。そして冬は寒く夏は暑い。そんなアパートよりも、結構いいとこのビジネスホテルの方が快適に決まっている。確かに、条件的にはホテルに軍配が上がる。しかし、我が家には私が自分の暮らしを初めて自分で整えてきたことへの愛着があった。

愛おしい工夫の数々と、自分の居心地の良さは自分で作るという矜恃が私の生活の匂いなのだと思う。どこに暖房のエアコンを置くとか、調子が悪い時はハーブティーを飲むとか、タオルの置き場所を変えてみたらもっと良いかなとか、書類は全部ここにまとめようとか、飽きたから家具の配置場所を変えてみるとか、そういう日々のわずかな変化の全てが私を作っていて、空間が人を作るという意味を理解した。

絞った知恵は、生活や部屋を快適にすると同時に、私の心身の状態も整えていった。外が整うと、自分も整う。生活が整うと、体も整う。そうすると、心が安定してくる。

だから、ホテルじゃだめなのだ。生活保護という私にとっての助走期間で、ありったけのエネルギーを込めて助走をしてきたんだ、この涙はその努力の証拠だ、とさらさらのシーツの上で泣いた。

いわゆる丁寧な生活というのではなく、生活を丁寧にしていくというのは大変だ。私は文字通り、自分の生活を保護して状態を整えるのに気力体力を使った。おそらくその結果が、白湯への愛情だったり、もやしとの愛憎劇だったりするのだろう。生活保護は、自分の足でしっかりと生活を維持して基盤を作るきっかけや能力をくれた、私にとって大事な制度だ。それを理解した時、生活保護自体が嫌だというスティグマから抜け出したのと同時に、どっしり構えていようという気持ちになったのだと思う。

滝薫

滝薫

ライター兼福祉の仕事がしたい人。アロマと料理と編み物が趣味というナチュラル丁寧加減ですが、本人は結構辛口です。

Reviewed by
高松 直人

どんなに今を肯定しても、本音はやっぱり心の奥に横たわっている。連載3回目にしてホームシックを語る勇気はほんとうに素晴らしい。これからも色々な葛藤を聴きたいなと思う。

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