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2F/当番ノート

おばあちゃん

当番ノート 第55期

“さっき”が消える。

認知症のおばあちゃんと対面した時、私がこれまで抱えてきた人間関係の悩みや努力は、”さっき”があるから存在してるだけで、脳が”さっき”を消してしまえば、努力も執着も簡単にへしゃげてしまう世界なのだと気がついた。

『なんも食べさしてもろてない!』(さっき、要らないって…)
『いりません』(さっき、欲しいって…)
『△○□』(さっきから同じことを何度も….)
『□△○』(さっき説明したのに!)

あーーーー腹たつ!て思うのは、私がさっきを覚えてるからだ。覚えてなければ、怒る理由がない。相手は悪気なく覚えてない。純粋なリアクションをしているだけなのだ。

チーム名は かぞく

私には、小さい頃から「あの人のさっきの言葉、あれはどういう意図で…」などとしつこくさっきのことについて考え尽くす癖があった。私が悪いのか、相手に同じことを言わせない為には次からどうしたらいいのか、相手に間違いはないのか、結局私が間違っているのか…などと延々と考えるので、一人になると、根暗ジメジメ人だ。

最近やっと、正論を探してすがることに意味がないと気づき出した。打ち負かすとか、いかに不条理かをあかすとか、とても不要なエネルギーなのね。

ちょっと脳味噌不具合でたら、それまで豪語していた正論を、自ら壊して突き進む。認知症になったおばあちゃんは、家族に白ペンキを頭からぶっかけるみたいに、容赦無く、今だけを生きてる。

だからこっちも、今、おばあちゃんが幸せか、今、おばあちゃんが心地よいか、それに合わせて、言葉を変えていく。

「….了解!」「そうなんだね」「うん、そうしなよ」「そぉ?」「好きにするがいいよ」「そう思ったんだね」「そうしたいのね」「そうだね」「はーい」

気持ちの良い交流ができないことだっていっぱいあるし、虚しくなったり、両親の心遣いを踏んづけて見えるときは、自分のことよりよっっぽど腹立ったりする。余震を起こす震源みたいな存在だが、老いの大教材であり、私を今地球に存在させてくれてる、物凄い大きな命だ。

おばあちゃんとお風呂に入り、髪と体を洗う。「あ〜ごくらく、極楽〜」と言ってくれることがある。孫として、一番嬉しくて、ホッとする言葉。

mopoka

mopoka

アニメーション作家、絵本画家。
小学生の頃から、町会の掲示板のポスターや、電信柱に貼られてるチラシや、電車に貼られてるポスターなど、身の回りに溢れる「絵」が一体だれが、どこから頼まれて描いてるのか、不思議ですごく知りたかった。
いまだ、不思議に思って眺めてしまう。

Reviewed by
早間 果実

「“さっき”が消える」世界って、どんななんだろう。
死後の世界よりも想像がつかなすぎて、ドキッとしました。

マレーシアのとある島に住んでいる「プナン」って民族、ご存知ですか?
私も詳しくは知らないのですが、聞くところによると、彼らには“所有”という概念を持たないそうです。
そして、「ありがとう」のような感謝の言葉や、「ごめんなさい」のような反省の言葉も、存在しない。
気にしいの民である私には、ちょっと考えられない世界です。
でもたしかに、わたしとあなた、わたしと世界の境目が曖昧、というかほとんどないと、わざわざ「ありがとう」も「ごめんなさい」も必要なくなる…というのは、理屈としてはわかる気がします。
そんなプナンには「精神的なストレス」もないのだとか。
そうか、執着や執心がないのか。
なるほど、なるほど、見習いたいです。

…なぜかしら、おばあちゃんのお話から、そんなことをふつと思い出しました。
いっぽうで面倒な私は、執着とか嫉妬とか苛立ちとか、嫌いじゃないし大事にしたいなあなんて、悠長なことを思っています。
手放しすぎたら、仏だかロボットだか何かになってしまいそうだから。

おばあちゃんと向き合う描写を通して、mopokaさんの人柄をいっそう深くうかがい知れた気がしています。
他者は鏡、とはよく言ったものですよね。
あなたがいて、わたしがいる。
わたししかいなかったら、わたしは他の誰でもない“わたし”として存在できない。
外側にいるからこんな呑気なことを言えるのですが…私はやっぱり確固たる“私”として、現在地にいるから出てくる率直な言葉を大事にしたい、などと考えています。
吐き出したいグチなど溜まったら、ぜひご連絡ください。喜んでお付き合いします。笑

喜怒哀楽、日々てんでばらばら、でもぜんぶわたし。
mopokaさんの豊かな“わたし”、この連載でたくさん見せていただけて、私のいろえんぴつ、確実に増えました。
ありがとう、ありがとう。

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