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2F/当番ノート

お助けマンとの確執と生活の匂い

当番ノート 第55期

家にある全調味料。ナンプラーとターメリックを使いこなしたい。

前回は節約食材の付き合い方を話したいと結んだが、いざ書き始めてみると、私を助けてくれるあいつらとの確執はまだ終わっていないことがわかった。たとえばもやしについて思い浮かべると、私の作るナムルは最高にうまい!よりもあいつら安いけど足が早くてムカつく、が先に来る。ゆとり皆無の荒野の心だった時代、私にとってもやしは白湯と同じ位置づけの貧乏の象徴だった。今はお助けもやしマンくらいに昇格したが、それでもひもじさをほんの一さじ感じることは否めない。

同じく安い豆苗はなぜか気に入り、リボベジ(再生野菜)して育てていたのだが、今なら好きな理由がわかる。豆苗ちゃんは一回では終わらずに手間をかけてもう一度いただくというある種のアクティビティがあって楽しい。緑のインテリアにもなる。一方、もやしは食べたら終わりだ。しかも前述したように結構足が早く、三日もすれば水が出てきていやーな匂いを放つようになる。たとえ28円で購入した野菜と言えども、私は食べ物を粗末にしたダメ人間、自己肯定感が下がる。

豆苗はすり下ろしたじゃがいもと片栗粉と混ぜてチヂミにしたり、豚バラ巻きにしたり、鶏ガラをふって炒め物にしたり、にんにくコンソメスープに入れたり、ちょっと考えただけでも私のレパートリーの彩りの一つになっている。私のもやしのナムルは最高にうまいが、それしかない。

茹でるなんてめんどくさいことはしない。レンジでチンして、少し冷めたら手で水気を絞る。そこににんにくチューブとごま油、鶏ガラスープの素としょうゆ。全部混ぜて器に盛ったらいりごまをふる。にんにくは入れれば入れるほどおいしいが、チューブは塩分が入っているのでそこは加減する必要がある。10分もしないうちに簡単ツヤツヤのナムルの完成だ。韓国海苔を混ぜてもいける。ほんの少し甘みがあって、しょっぱくて、にんにくとごま油が口の中でふわっとかおる。シャキシャキ食感の中につぶつぶのごまが入り込む歯触りも素晴らしい。

正直、このナムルでご飯一杯くらいはいける。それくらい評判もいい。でも作りすぎて飽きてきたので、今度はコチュジャンやラー油を入れてアレンジしてみようかと思っている。

そう。節約生活には調味料という投資が必要なのだ。今週の買い出しでは、ゼリー飲料とお菓子、お酢ジュースは我慢した。しかし、韓国のだしの素であるダシダ、コチュジャン、豆板醤、ナンプラーには惜しげもなく金を投入し、私の調味料の布陣はより一層強力となった。柚子胡椒やわさびはもちろん、珍しいものだとアンチョビペーストも仲間で、最近だと甘酒も調味料として使っている。今狙っているのは塩麹とワインビネガーだ。

節約ができるのは精神が安定している証であるということ。逆説的なようだが、ゆとりがないと節約はできない。切羽詰まった気持ちで節約に励むと、前回の私のように泣きながら「リバウンド」する羽目になるだろう。逆に言えば、ある程度の遊び心を持つ覚悟と共に進むと、節約により生まれた余剰がさらにゆとりを産むことになり、とってもコスパがいい。

その遊び心が、今の私にとっては調味料への投資になっているのだと思う。冷蔵庫の中や戸棚に並んだ調味料を眺めると、もやしももっとおいしく調理しいただけるようになれる気がする。お助け食材たちとのちょっとした確執はたぶんしばらく終わらないが、たぶんそれでいいんだと思う。もやしに感じるひもじさがなくなればいいとも考えるが、それは私の生活の匂いが立ち消えることにもなるような気がするからだ。

次回はこの、生活の匂いについて考えてみたいと思う。なぜ私がひもじさとうまくバランスをとり、切迫感なく生活を楽しめているのか。そのことについて、話したい。

滝薫

滝薫

ライター兼福祉の仕事がしたい人。アロマと料理と編み物が趣味というナチュラル丁寧加減ですが、本人は結構辛口です。

Reviewed by
高松 直人

自分で作った料理を美味しそうに語るには、作る自分と食べる自分を分ける必要があると思う。主観と客観のようなものだ。それってある程度の余裕が無いと出来ない事だ。そこで、この話の中に出てくる料理は、節約を強いられる状況であるにも拘らずとても美味しそうだ。

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