文字ばかり書いている。
文字ばかり書いているのに書かなければいけない文字が一向に減らない夏休みが、もうじき終わる。
私はよく、書きたいものを思いつくための散歩へ行くのだが、近ごろはアスファルトの上に蝉の死骸がごろごろ落ちているので季節の変わり目を感じざるを得ない。
この散歩はいわば現実逃避だ。自分に思考力・想像力が無いという現実から足を動かし逃避するという意味で。
今週あたりで当番ノートの期間も折り返し地点だ~ということで、今回は物語の持つ「逃避先」としての面への思いを綴る。
以前の記事でも「逃避」と「物語」の関係について同様の意見を述べた気がするが、物語とは、受け手の命ある限り逃れられない人生を彩り、価値あるものへ運ぼうとする意志を強くしてくれるものだ。だからこそ、物語とは、どんなに突飛で、現実から離れた内容だったとしても、必ず現実の私たちに結びついてくる。
私はそんな、物語の持つドラマチック力を駆使し、現実世界までもを変えられる作者になりたい。物語を、現実逃避の為ではなく、現実を生きる為の糧として利用したい。
とはいっても、物語が逃避先に選ばれるのもまた当たり前。だって物語は自分以外の誰かの人生を追体験できるコンテンツだから。物語をつくるという行為自体が「もう一つの世界の構築」と同義だから。
以前心理学の講義で「現代の子供の自我形成の時期は過去に比べて遅い」という話を聞いた。
過去というのがどれくらい遡るのかはハッキリと覚えていないが、我々現代っ子というのは昔の人々より自我を獲得する年齢が上がっているらしいのだ。平均寿命がのびた事や、自我が薄くても生きていける整った環境が関連しているのだとか。
そんな遅れた自我形成の時期を早めるには、物語に多く触れる、という経験を得ることが必要らしい。他者の存在と自己の境界線を探り当て、そうして自分と言う人間を知っていくという過程に必要なのが、やはり物語! 物語はどこにでもいる。逃げようがない。
私はこの話を先生から聞いたとき、とても嬉しい気持ちになった。連載が始まってから二回目に、「ジョジョの奇妙な冒険という漫画のことばっかり考えて現実逃避しまくってたことを後悔しています」という記事を書いたが、(確かに物語への逃避によって私が失った機会はあったものの)逃避を得たことで形成された「私」という自我を、この知識で認めることができたから。
物語は受け手を人生から逃避させない為に繋ぎとめる存在であるべきだ。だけど、物語に逃避することで形作られ生きる人間がいるのならば、いくらだって逃げればいいと思う。
物語がまず最優先で現実世界に繋ぎ留めなければいけないのは、受け手の命だからだ。
高校時代、何故か周囲にリストカットをしている女の子が多かった。血が繋がっていたりいなかったり、同じ学校に通っていたりいなかったり、彼女たちは皆利き腕じゃ無い方の腕に横向きの傷があった。痛々しかったけれど、あまりに身のまわりにそんな女の子が多かったので、自傷行為が世間では一般的なものだと勘違いするくらいに皆腕から血を流していた。
私は痛いのが嫌いだ。私と同じく、多くの人間は痛いのが嫌なのではないだろうか。だからこそ、そんな嫌な思いを彼女たちに限っては自分から進んでしているのが不思議で、私は理由を聞いてみた。
すると、痛い思いをすることが、救いになるのだと彼女たちは言った。ある子は、「爪を噛むのと同じ程度の行為だ」とも。彼女たちは全員、大嫌いな現実の中にいるのが、痛い思いをする事よりもずっとずっと嫌だったのだ。
私は彼女たちに自傷をやめてほしかった。だけど彼女たちの自傷行為の原因になっている嫌な現実を崩すほどの権力は、今も昔も持っていない。この先迷惑メールフォルダによく出没するような莫大な遺産を抱えている未亡人に気に入られてすごい大金持ちとかになれれば望みがあるかもしれないが、
家庭にいるたった一人のせいで持っていた夢も希望も取り上げられた女の子、大好きな恋人の為に色々なものや時間を捧げてきたのに対等な人間として扱ってもらえなかった女の子、勝手に持たされた自分という存在についての悪口を抵抗もできないまま言われまくってた女の子、色々な子がいたけれど、莫大な遺産を抱えている未亡人はどこにもいないので、結局すごい大金持ちになれない私は、その中の誰の現実にも介入する事は出来ない。
だから私は、逃避先として現実世界を忘れさせてくれるという事をよく知っていた「物語」を書く事にした。はじめて意味をもたせて作った物語の事だから、大切に覚えている。内容は粗末だったけれど、完成後、彼女たちのうちの数人が、私の物語をよすがに、前より元気でいるよと言ってくれたのはとてもとても嬉しかった。だってその言葉は、私の作った世界が、彼女たちの中で、現実世界に勝ったということを意味しているのだから。あの時の成功体験があるからこそ、今も私は物語の力を信頼している。
これからも、私は物語に救われたいし、私以外の誰かも物語で救いたい。逃避で命が助かるならいくらでも逃げればいいし、逃げ先を作れる人間がこの世に一人でも多い方が、現実も生きやすくなるはずだ。
早くこういうメッセージを、お話の力だけで伝えられる作家になりたい。そのせいでこの夏も文字ばかり書いていた。