夏休み前に、信じられないくらいドラマチックな日があった。
早朝からのアルバイトがあった日。人生で二度と経験する事の無い(というかしたくない)ほどの靴擦れを起こし、家の鍵とSuicaを一度に失くした。
鍵の紛失には家を出る段階で気づき、Suicaの紛失には改札を通る段階で気づいたため、乗車時には既に重箱状で絶望していた。しかも足もめちゃくちゃ痛いのである!絶望!絶望!
駅から出てバイト先に向かう道中、通りがかる店の窓にときどき反射する自分の姿が哀れすぎて笑えた。慌てふためいたせいでぐっちゃぐちゃに崩れた髪型、かっこつかない姿勢、マスクの中は汗でだくだくで、社会性を得る為の塗装が溶けてきている。苦学生なりに毎日こつこつと節約を頑張ってきたというのに、帰宅後は自分の過失のために無駄な出費が待っていることを考えると、足以外の部位まで痛んだ。
そんな最悪な状態の私の前を、一人の綺麗な綺麗な女の子が通り過ぎた。
顔をよく見てみると、かつて同じクラスだった女優だった。
オンライン授業中にも、彼女の画面だけ映画が流れているのか?と錯覚するほど、雰囲気のあるひとだったけれど、その日の彼女はもう、とびっきりきれいで。涼しげな青いドレスの衣装で、高いヒールを鳴らしながら私の目の前を横切っていった。(マスクをしていなかったし、後ろにカメラクルーがいたので、きっと何かの撮影をしていたんだと思う)
確かに横切ったのに、同じ国の同じ季節の、同じ気温の空気を彼女が吸っているようには到底感じられなかった。なにかもっと豊かな層で過ごしている、私とは異なる素材でつくられた、誰かへの贈り物のような存在に見えた。
私はその瞬間、ものすごい感動を覚えた。
惨めになるシチュエーションとして、完璧すぎたからである。
私はずっと、彼女たちのような、特別な少女になりたかった。
たとえば、日曜日の朝に放送されているアニメに出てくるような魔法少女。
たとえば、ちゃおとかりぼんで連載されている少女漫画のヒロイン。
たとえば、ポスターの中からこちらをきっと睨みつける、洋画のヒロイン。
私の憧れる特別な女の子は皆、その容姿や能力に見合う、特別な物語を持っていた。
自分がそうではないという現実を、この日この瞬間、改めてまざまざと突き付けられたのだが、ドラマチックすぎて、涙も出なかった。
その後。唖然としながら帰宅すると、大学から郵便物が届いていた。
以前学費が払えなかった時に「やめたいんか?」というお伺いをたてられたので、次こそは「やめさせようか?」という趣旨のものかもしれない、と怯えながら開封した。
中には、昨年度の成績が優秀だったので今年度の特待生にあなたを選んであげます、と書いてあり。
その時やっと、泣けてきた。
失くした家の鍵のことや、Suicaのことで惨めな気分になっていただけでは、きっと、涙は流さなかったと思う。わたしが特別な女の子に生まれてこなかったなりに、自分を許せる存在にしようと努力してきた、大学に入るまでの数年間をまるまる、許してもらえた気がしたから、なおのこと嬉しかった。
魔法少女のように、と望んだ物語は、決して私のところに来てくれなかったけれど。私がここまで積み上げた時間が、物語として、戻って来てくれたのだと感じた。
この一連の出来事が、アパートメントに入居するきっかけになった。
私自身の物語を、誰かに聞いてほしくなったのだ。
だから当初は上記のように、ただその週にあった自身の経験について書くつもりだったのだが、管理人さん達から「さらに“何故自分が物語を書きたいのか”についても、触れてみてはいかがでしょうか?」と提案していただいた為、この二か月間、創作欲求の源の取り出しを繰り返してきた。
そのおかげで、あたらしく、脱皮ができた気がする。
私は今年で21歳になる。そろそろ少女と呼ばれる年齢ではない。
それでもどこか、「特別な女の子」への憧れが捨てきれていなかった。
自分の纏える特別な物語が用意されなかったのが辛くて、嫌だったから、そんな現実に抗う為に、物語づくりを盾にしていた。
だけどもう今は、物語が無いことが怖くない。自分のことは自分で面倒みたい。
魔法も使えない、運命の赤い糸で繋がれてる幼馴染もいない、マチルダではない自身の人生を生きる為に、文字を書いて生きていきたい。
大好きな、「特別な女の子」たちからもらった憧れの気持ちを源に、つくったお話で、私でない誰かを特別にしたい。
私が今欲しいのは、そういう物語だ。
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最後になりましたが、毎回素敵なレビューを書いてくださった木澤さんと、素敵なご縁をくださったアパートメント管理人の皆さま、本当にありがとうございました。