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2F/当番ノート

紙、それは集めるもの

当番ノート 第59期

 高校に進んだわたしは、相変わらず紙を切り続けている。
 この頃になるとフリーペーパー沼にずぶずぶハマってる。わたしの通っていた高校では「1年で一つ何かを研究しよう」という自由課題があった。高校2年生のとき、わたしは「フリーペーパー研究」を題材に選ぶ。表紙もコラージュで作り、フリーペーパーとは何か、どういう種類があるのか、自分はどのくらい集めたのか……をまとめた。課題というより、もはや趣味である。

コラージュで作った表紙
フリーペーパーの配布方法について。レポート用紙にまとめているのが高校生っぽい。
下北沢フリーペーパーマップ。「こんなところに行けばこんな種類がもらえる!」というのを記したもの。
フリーペーパーへの熱い思いを書いたもの。「集めたものを全部積み上げると57cmに!」とのこと。

 受験期が近づいてくると進路の話も増えてくる。高校3年の春頃からオープンキャンパスに参加するようになった。ぼんやりと「フリーペーパーや文学の研究、創作、雑誌制作、すべてができる学校がいいな」と思いつつ、「文芸」という名がつく学科やコースを見学した。
 某大学の文芸コースを見学すると「小説を書いています!」というわりに一部の生徒だけがピックアップされている。全員が本当にちゃんと書いているのか怪しい。あと自主制作の本が堅苦しく、「第〇期文芸コース作品集」みたいな名前でまとめられている。これではつまらない。
 他の「文芸学科」を見ても、研究が主で雑誌制作や創作は二の次、という印象だ。「勉強???小説??フリーペーパー?(笑)そんなことよりサークル!飲み会!」という学校もあり、様々だった。

 そんなとき、うっすらと母が「ニチゲーいいんじゃない、ニチゲー」と言っていたのを思い出す。日芸、つまり日本大学芸術学部のこと。母の世代は「日芸は偏差値ではなく才能で入れる」といった印象があったようで、「あんたは向いてそうだけど、入れるかしらね……」といったニュアンスで日芸について教えられた。曰く、”変な人が集まる場所”と。美術系の学科しかないと思っていたが、調べてみると「文芸学科」なるものがあるらしい。ホームページや口コミを見ていてもよくわからないので、見学に行くことにした。

 オープンキャンパスに行き、文芸学科のコーナーに入ると、生徒の作った雑誌がずらりと並んでいた。その種類は様々で、堅苦しいものもあれば、雑誌風のものもある。それが何十冊も積み上げられ、雑然と並べられている。これが、全部、無料。かなり分厚い本も、高価そうな雑誌も、全部タダで持ち帰っても良い。無料雑誌が大好きなわたしにとっては、まさに天国だ。
 片っ端から雑誌を持ち帰った。学校内を見学し、学生相談もしたが、他の大学で散見された「うちの大学はいいぞ」「こんな生徒がこんなものを書いているぞ」というゴリ押しがなかった。全体に漂う「入りたければ、入ればいいんじゃないかな」「好きなこと、やればいいんじゃないかな」という雰囲気。生徒たちは全員が「書くことが当たり前だけど、何か?」という顔をしている。
 悩んだ末、日芸を受けることにした。推薦で。例年、日芸では(一般試験もそうだが)面接と創作試験がある。「最後にこの一文を使って、小説を作りなさい」というもの(あるいはテーマに沿って小論文を書くもの)。先生たちと必死にその対策をした。みんなが必死に英単語を覚え、歴史の人物を覚えている間、わたしはひたすら小説を書いた。

 当日の創作課題はわりとよくできた。あとは面接だ。
 フリーペーパー研究したファイルを持参し、「フリーペーパーの研究をするくらい好きで!フリーペーパーを作りたくて!」とアピールすると、試験官たち(のちに知るが、学科の先生たち)は「ふーん」とあまり興味なさそうな顔をしていた。
 ある先生が気を利かせて「あなたはどういうのを作りたいの?」と笑顔で聞いてくれた。が、そこを全く考えてなかった。とにかく作りたい気持ちだけで動いている。そこを見透かされたようで心底焦った。しどろもどろになりつつ当たり障りのない回答をすると、「そうですか」と笑顔のまま、面接が終わった。

 何が良かったのかはわからないが、無事に合格。日芸に入ることでフリーペーパーをめちゃくちゃ作るのだが、まだ作らない。いや、本は作る。だけど、まだ、フリーペーパーではない。

北枕 ふか子

北枕 ふか子

あなたの心のふかふか枕

Reviewed by
フチダフチコ

フリーペーパーについての研究を行った高校時代。そして、「文芸」という言葉を辿って、日本大学芸術学部へと進学する。北枕ふか子さんの過去・現在・未来を追い掛ける当番ノート、第二回です。



さて、前回は「コラージュ」の話題から始まり、ものづくりには「作る理由」が必要という話で終わりました。

今回の記事に見る研究レポートの表紙には、雑誌を読み込むハムスターのコラージュがあります。「研究レポートの表紙」として作成する…という理由を持って作られたコラージュ。この頃から、ふか子さんの考え方は既に「デザイン」に近付いているんだな、と気付かされます。

フリーペーパー研究の表紙に、コラージュを採用する。フリーペーパーとコラージュという別物を合わせて生み出される空気感こそ、クリエイティブの根本であるように思います。

クリエイティブという言葉は、しばしば「創造」という言葉で表現されます。しかし、既に無量大数の事物が存在するこの世界で、今更ゼロからイチを生み出すのはなかなか難しいのも事実。ホントの意味での「創造」は、嘗てインドで数字の「ゼロ」を生み出したような、世界を変えてしまう発見のことを指すのでしょう。

現代の「創造」は少し意味合いが違います。それは、しばしば「選択」や「組み合わせ」に近いと言われます。既にある何かしらを「選択」して「組み合わせる」のです。例えば京都アニメーションでアニメ化されている「小林さんちのメイドラゴン」という漫画は「メイド」と「ドラゴン」の組み合わせ。既にある物の「選択」と「組み合わせ」で新しい物を生み出すのが、現代の「創造」と思います。より簡単に言えば「セーラー服と機関銃」的発想なワケですが。

(異質な組み合わせ、はなんか心惹かれる物があって、例えば「古代ゴーレムの肩に少女が乗っている最強ツーマンセル」とか、「無口な喫茶店のマスターがモーニングスターを振り回している」とか。イイですよね)

コラージュは、一見関係のない素材を「組み合わせ」ること。そのコラージュをフリーペーパーと「組み合わせ」る。ここに、ふか子さんの「ならでは」が生まれるのだと思います。




「あなたはどういうのを作りたいの?」という質問に答えられなかったのは、「答えられなかった」が一つの正解であるように思います。

何を「創造」したいか。それは何を「選択」したいか、何を「組み合わせ」たいか。こんなにフリーペーパーを読み漁っても、まだ「選択」したい物と、「組み合わせ」たい物を見付け終わっていない。それが、当時のふか子さんの答えだったのかと。

今のふか子さんは、どんな答えを出すのか(はたまた、まだ見付け終わっていないのか)。きっと、この先の話で分かるのでしょう。お楽しみに。



以上。

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