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2F/当番ノート

紙、それは切り刻むもの

当番ノート 第59期

 考えすぎるきらいがある。
 ブログやラジオやフリーペーパーで発信し続けているわりに、心の中では「こんなことわたしがやらなくてもいい」「他にもっと上手な人がいる」「この言葉や考え方は一般的じゃないのかもしれない」と怯えている。気が狂ったときに「ええい!そんなの気にしてられるか!」と作って発信し、数日経つと「なんであんなことを」と落ち込む。そのサイクルを繰り返して生きてきた。

 作っても怒られにくく、落ち込みが少ないメディアの一つがフリーペーパーだと思っていて、なんだかんだ10年以上作り続けている。とはいえ、最初は「フリーペーパー作りたい!!!!作る!!」と思って作り始めたわけではない。
 ということで、「どうしてフリーペーパーを作り始めたのか、その理由と経緯」などを記していきたいと思う。「こんなの読んで誰が楽しいんだ」とまた落ち込むが、ええい!の勢いで書いていきたい。ええい!!!!

 そもそもの始まりは中学生時代。おしゃれにも美容にも流行りにも疎いわたしは、インターネットでひたすらエロ体験談を読み漁り、フラッシュ倉庫を見て、ソリティアで時間を潰していた。
 数少ない友人が「コラージュの素材集めに行くけど、来る?」と誘ってくれた。コラージュとは、様々な素材を寄せ集めて貼り合わせた作品のこと。小学校時代に何かの授業で作ったことがあるが、「なんとなく」という理由で素材を配置したら発表の場で先生に「なんとなくという理由はやめようね!」と言われて嫌になり、それからは全く作っていなかった。
 友人と共にCDショップに行き、素材になりそうなフリーペーパーを何冊か手に取る。CDの新着案内や、新作映画のフライヤー、アーティストのインタビューが載った小冊子など。わたしもわからないなりに何冊かもらう。ウルトラマンが表紙のフリーペーパーを見て、友人は「これをドーンと配置したら良さそう」とのことだったが、全く想像がつかなかった。

 友人は後日、ウルトラマンがドーンと配置されたコラージュ作品を作って来た。どんな作品だったか覚えていないが「こうすればいいのか!」と衝撃を受けた。なんとなくはダメ。でも、かっこよくなるから貼った、という理由なら、いい。今まで固く閉ざしていたコラージュの扉が、少しずつ開き始める。「わたしもやってみようかな」ともらったフリーペーパーを切り刻んで、素材をファイリングしはじめた。

 最初は誘ってくれた友人への手紙に貼ってみた。反応はよく覚えていないが、好印象だった気がする。調子を良くしたわたしは、また作って友人に手紙をあげた。毎回「いいね」と言われるのが嬉しくて、何度も作った。それを繰り返していくうちにだんだんコツがわかってきた。隙間はないほうがかっこいい。CDジャケットを色ごとに分けて貼り合わせると統一感が出る。そのためにはたくさん素材が必要。
 素材を集めるためにTSUTAYAやタワレコに行き、CDの新着情報が豊富に載っているフリーペーパーを大量に持ち帰った。ひたすら切って、素材にする。ヴィレッジヴァンガードに行けばバンドのフライヤーがいっぱいあるので、良さそうなものをいくつか持って帰り、どーんと配置する用の素材をいくつか手に入れた。

 それからはひたすら、家に帰ったら紙を切り、素材が集まったら貼りまくる日々を過ごした。

初期の頃作ったコラージュ。フリーペーパー保管用ファイルの表紙として作った。
映画フライヤー保管用ファイルの表紙。DVDのジャケットのみで作られているのが特徴。このあたりからテーマ性が出てくる。
コラージュした上から薄い紙を貼り、淡い印象を出した作品。「小さな幸せ」がテーマだったと思う。
「閉店のお知らせ」を大量にもらってきて、同じ部分を貼り合わせた作品。

 いつしか、素材になりそうなものだけでなく、映画館のフライヤーやバイト情報誌、タウン誌などありとあらゆる無料の雑誌を持ち帰るようになった。素材になりそうなものは切り刻み、読みたいものは本棚に保管。映画や公演のおしゃれなフライヤー、ショップカードはファイルに保管し、コレクションするようになった。
 フリーペーパーの種類が増えてくると徐々に、その内容の面白さを知るようになる。ライブハウスのロフトが発行する「Rooftop」のエロコラムを楽しみにするようになり、東京グーニーズが発行する「東京10:45」で「こんなフリーペーパーあるんだ?!」と衝撃を受け、「FILT」を読んで「これが無料でいいの!?」とフリーペーパーの魅力にハマっていく。素材を集めながら、「もっと面白いフリーペーパーはないのか」と探し始める。わたしが実際にフリーペーパーを作るのは、まだまだ先だ。

北枕 ふか子

北枕 ふか子

あなたの心のふかふか枕

Reviewed by
フチダフチコ

北枕ふか子さんの当番ノート、レビューを担当するフチダフチコです。東枕で寝ています。

モノを作れば、その出来映えに満足したり/不満足したり…が当たり前。作ったモノの良し悪しを第三者が決めるのも当たり前。「クリエイティブ」とか何とか言われる世界では当たり前の話ですが、時には周りの言葉を気にせず自分の思うまんまにモノを作りたい時もあるのです。北枕ふか子さんが「思うまんまに」飛び込んだのはコラージュの世界。この出会いが今のフリーペーパー制作へと繋がる、とのこと。

なんとなく作るのはだめ、理由が要る…と聞くと学生時代のことを思い出します。私は落とし物の写真を撮る人、と思われているらしいのですが…実は学生時代、グラフィック・デザインを学んでいました。美術を学んだ人間はきっと目を通しているはずの、パパネックの例の書籍に毒された人間です。在学中、アートとデザインのあり方について、ずっと考えていました。なんとなく作るのはだめ、理由が要る。でも、それは「今、この瞬間に理由が要る」じゃないと思うのです。理由付けは後回しでもオッケー。

アートを選ぶか/デザインを選ぶか、は二者択一じゃないんです。自分の内側を外側に表現する「アート」が偶然他者のために役立ち「デザイン」化することがあります。一方で、人の生活を支えるための構造を「デザイン」した結果、美しい「アート」としての姿を手にするモノもあります。

こう考えれば、「なんとなく」や「かっこよくなるから」がいつか意味を持つ…のも分かる。北枕ふか子さんがフリーペーパーに出会う過程で見付ける「理由」とは何か、楽しみに読み進めたいと思います。

以上。

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