◯はじめに
仕事休みの日曜日。休みの日だから早く目が覚めるはずなのに、ここしばらく段々と目が覚めるのが遅くなってきている。今回ばかりは本当に限界かなと、少し前は心から強く思っていたはずなのに、いつの間にか以前よりマシな心地で、こんな状況にやっぱり何も思わなくなってきてしまっている。
時間をつくって会議に行けば、わたしよりも上の立場で、同じかそれ以上の時間を拘束されながらも、私生活もしっかりやっている人の報告が耳に入ってくる。精神的にも物理的にも元気な情報交換。いつどこでどのタイミングで拘束された分のダメージを回復しているのだろうか、元気じゃない日はあるのだろうか、朝起きた瞬間に「今日は無理や」と思ってしまう日、どうしようもなく不安で、人と戦える武器を持っていない日はあるのだろうか、「弱くていい」と言うけれども、そんな姿をあなたは見せなくても大丈夫なのかと、疑問に思う。すぐ側にいたはずなのに、いつの間にか眩しくなって、遠くに行ってしまった多くの声や存在を見て、もう自分には無理やろうなぁと思う。そんな瞬間が蓄積してきていて、膨らんで、溢れ出して、当たり屋になってしまう前に距離を取る。その場にいる誰もが聞いて、微笑んでくれるその報告たちやその態度は全部嘘やろと、自分の全ての力を出し切って、目の前のこの机を派手にひっくり返したいわ!と思いながら、荒れた運転を自覚しつつ、車を走らせる。じっとり身にまとわりついて取れないまま、増えて、厚くなっていくなにかを肥やしに、わたしはわたしとして、その人たちに到底太刀打ちできないところから、必死になって探して、すきなものはすきと言い、嫌いなものは全力で嫌いと言いながら、時間を過ごしていた。
書くことも、そのすきなようにすることの延長線上にあり、いつの間にか、悩みを人に聞いてもらっても無駄だと諦めきったわたしにとって、お守りだった。昔あったこと、今起こっていること、嬉しいことも悲しいことも思い出した時に忘れないように書き留めておくことで、薄らと、誰彼の羨ましさを傍に抱えながらも、確かにわたしは安心した。
昼過ぎまで寝ていたにも関わらず、すっきりしないまま起きたわたしは、YouTubeを流しながら、最低限のたまった家事を終わらせ、日用品をスーパーをはしごして買いだめし、車を飛ばしてコメダ珈琲店へ向かった。天気がいいのにも関わらず、店内は普段よりもごった返している。いつもの窓際の2人掛け席ではない、厨房が目の前な、エアコンが当たりすぎる席に案内されてしまった。
壁を挟んで隣では、最近よく見かけていた人が、半そで・短パン・クロックスという、気軽な装いで脚をくみながら、文庫本を開いていた。あなたもここに通されたのね。厨房からは、食洗機らしきものを使う滝のように流れる水の音、皿やグラスをがちゃがちゃと重ねる音、冷蔵庫をばたんと開け閉めする音が聞こえてきて、普段の店内よりも、現実感が迫ってくる。窓に背を向けて座っているため、外がどれくらい明るいのか、時間感覚も狂ってくる。
そんな中、又吉直樹さんの小説『人間』の文庫本を読んでいた。第一章を読み終え、エアコンが寒くて、やっぱ今日はもう無理やわと立ち上がりトイレに行く前に、一章読みきったというじわじわとした嬉しさから、この後どんな感じなんやろかと薄目にぱらぱらページをめくり、あとがきを読んでしまっていた。「そして、なにより自分にこの小説を捧げたい。生きるために書いたから」という文が最後にあった。
家を出て、もう十年も経ってしまっていた。十年前から続くわたしの一人暮らしの中で、なにもかも吹き飛ばしたいと願い、相談する相手はおらず、自分のための言葉を探しまくっていた時、このサイトを見つけてめちゃくちゃ読んでいたことがあった。連休といいながらも結局ないんやろと、幻だと思っていた休日に、スマホの容量が残りわずかだと通知が届き、アルバムをスクロールしまくっていた中で、大量に出てきたスクリーンショットのかたまり。その中に、このアパートメントの記事がたくさんあった。
わたしにとって、わたしと同じ温度の人がいるのかを確認したくてしょうがなかった時期に、枕元で読むこのアパートメントの記事に確かに救われてきた。言葉にできない、掴み取りきれない感情を優しく掬ってくれたこの場所に、十年分、十人のわたしからあの頃のわたしに手紙を送ろうと思う。悩み相談の解決はできなくても、ただただ今のことを淡々と話しているだけで、聞いているだけで安心することがこの十年間にはあった。
まずは、20歳のわたしから18歳のわたしへ。書き始めはこうだ。
◯18歳のわたしへ。
とうとう自由の身になりました。結局わたしは都会には馴染めずに、いつの間にか岡山にいました。新生活でもやっぱり朝は弱いので、信号は多いが舗装された大通りではなく、田んぼばかりの脇道を毎朝大学に向かって自転車で爆走しています。小さい虫が口や鼻に入ったり、カナブンが顔に当たってきたりしながら、唯一の舗装された住宅街のカーブを誰よりも早いスピードで曲がれる術を身につけながら現在を生きております。
自転車のタイヤがパンクした時は、40分ほど自転車を押して自転車屋さんに行きます。暑い日、ヒールのあるサンダルで学校へ向かう途中でパンクした日は地獄でした。
その日の帰り道、大学近辺に住んでいる子が私の住んでいる家の方角にあるスーパーに行くというので、パンクした自転車で並走しました。その子は、普段からみんなが認める優しさのかたまりのような人で、出席の代筆も知らない連絡事項も専用にメモを作って教えてくれるくらいの人です。でも、その日のその子は、思ったよりわたしを待ってくれませんでした。いつも観ているテレビアニメの「おじゃる丸」を、これから買い物へ行き、帰ってから観ないといけないから。優しさの化身のようなその子との距離が50センチ、1メートルと広がってしまわないように、必死で食らいついて、ときおり心配されながらも、全然大丈夫やで!そんなことより話続けて!!とやや叫びながら伝え、汗だくで、スーパーのある密集地帯に行きました。
そうやって少しから回った時間を過ごしながら、わたしはからっと元気です。なぜ一人で帰らなかったのか?たぶん、去年無駄だと省いてきた時間を、人と一緒につくって過ごせるのが単純に嬉しいのだと思います。かみしめながら過ごしている日々です。
そんな浮ついた、少しから回った時間を持つ反面、ばあちゃんが死んでしまうのではないかという不安がずっとあります。
自分で決めて遠くに来て、視野を広げたいと思って、忙しいとされる、自分にとって頑張れるかわからない未知数な部活にも意を決して入りました。でも部活に入らず、バイトをしつつ、休み時間に談笑して、だらだらと過ごしている友達を見ていて、一体何を誰のために頑張っているんだろうと思いました。自分がその瞬間にやりたいと思ったことに対して時間をつくれず、なかなか地元にも帰れない日々の何が楽しいんだろうか。
どうしても部活までに家に一度帰り、デミグラスソースから手作りした、ふわふわの卵のオムライスを作って食べたいと思い、急いで帰って作って食べて、大学に戻ったけれども、予定した時間には間に合いませんでした。その時、汗だくで急ぎながら集合場所へ行ったものの、優しさのかたまりのような先輩達からこんな空気が出るんだと、遅刻はやっぱり許されはしないのだと思いました。
騙しだましにやってきたものの、やっぱり受験の頃のように胃は痛みます。自分で選んだけれど、なんでここまで来てこんなことになっているのか、結局悔しくて、どこで間違えたのだろうか?普通に泣けてきますね。不安な日は、眠ると必ずばあちゃんも病室で苦しんでいるか、もう死んでしまった夢をみました。寝ても起きても停滞した、自由なのに操られたような時間を過ごし、どういう風に打開すればいいのか分からなかったのが大学一年生です。
会えるときは会った方がいい。会いたいと思ったときに会えるような身軽さでいたいし、そこはどんなに強い人にでも自分の気持ちで戦っていきたいと思いました。
そういえば、家を出てからの夏休み、運転免許を短期で取るために地元に1ヶ月半ほどいました。短期にもかかわらず、S字クランクとバック駐車ができなくて、追加で補講がありました。無線の運転も経験せずに、運転免許を取得するところまできました。
ばあちゃんを介してしか話せたことのない従兄弟達が帰ってきて、ばあちゃんはその日、最近の中で一番元気に、家の元食堂の厨房に一人で立っていました。わたしの仕事は相変わらずお皿やグラスを配膳することだけでした。唯一食事で触らせてもらえたのが材料のトッピングです。お歳暮でもらったピンクや緑のものもあるそうめん。若干ダマになりながらも、きゅうりやミニトマト、卵をトッピングし、刻みのりをまぶし、薬味に生姜、ネギ、大葉、みょうが、ワサビを添える。厨房からばあちゃんが従兄弟達と小さかった頃の話をしている。扇風機がまわり、レースの白いのれんが揺れる。保育園の頃の金魚すくいでとった金魚が、明らかに金魚ではない大魚にまで成長していて、そのデカい水槽の下の冷風機が派手に音をたてながら部屋を冷やす。床は食堂の名残りでコンクリート。湿度が高くなってくると、すぐに床がすべる。
厨房にいるばあちゃんを介さず、真正面から従兄弟達と一緒に話すことは、わたしにはやっぱりまだ出来なかった。ばあちゃんがいなくなったら、わたしは上手く話せるのだろうか。氷の入った第一弾のそうめんを母の隣ですすりながら、冷たくて美味しいというそれだけの感想と、弟の話の揚げ足を取りにいくことだけをしていました。そうめんの美味しさはこれからもあの日がピークなのではないかと思っています。
そんな感じの20歳です。
ほんならまた書きます。お元気で。
20歳のわたしより。