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2F/当番ノート

18歳のわたしへ  〜23歳のわたしより〜

当番ノート 第64期

18歳のわたしへ

ここのところ、毎日毎日どこかへ行っています。

様々なNPO法人の講演会、福祉分野のトークショー、はたまたまちづくりのお話などを聞きに行ったりしました。海の方へ向かえば、そこから個々に特徴のある島へお邪魔したり、山の方へ向かえばそこから田んぼを手伝わせてもらったりしました。

これは一人旅として、自分の生活圏外へ行って、手放しで楽しんでリラックスするというよりも、将来わたしはどうしたらいいのか、その方向性を考えるための時間であり、気持ちは張り詰めている状態で、人にたくさん出会いに行く感じでした。大学4年生、どうなろうとも卒業の年です。わたしは、とにかく手元になにかきたら掴んで、すがる思いで次の行き先を決めています。他学部や他大学のゼミという小規模なしっかりと固まっている集団に急に入れてもらい、勝手に企画に参加させてもらったりしています。グループというものがしんどくて面倒くさいということは承知しているものの、馴染めるかどうかよりも、とにかく何かを見つけなければいけないという思いでした。切実で、切迫していて、どうにかするしかない焦燥感でいっぱいでした。

本当にこれでいいのか分からないまま、福祉の勉強を続けてきました。わたしにも面白いと思える分野を見つけたり、ここしか拾ってくれないだろうと思っていたゼミに、抽選になることもなくすんなりと入れてもらったりしながらどうにかやってきました。多岐に渡る全ての実習も終えました。タイムリミットが迫ってくる中で、現実的に想像力を働かせてきました。それでも働いているイメージが全く湧かず、「興味のある分野を考える分にはいいのになぁ」という状態で、そこから動き出すことなく、変わらずに、ただ漂っているような状態にありました。わたしのやりたいことは本当に一体、何なんだろうか?

限られた時間や資金の中で精一杯、様々な場所に行き、好きな場所やもの、人と出会ってきました。それらの興味を“地域”という分野で括って、自分の中の何らかの動機と結び付けたいとも考えていました。福祉の分野で働くイメージも覚悟もつかないから。そんな中でも、現実的に何をすればいいのかイメージが持てませんでした。

人とは違うやり方で、楽しいと思う瞬間を大事に、小さいものでもその衝動を見つけては重ねて、ジタバタしてきたけれども、結局、何者にもなっていない。現状、成果もなく、賞賛もされない。やっぱり人と同じように流れに沿って、期待されるようなことを真っすぐに頑張った方がいいんやろと思いました。でも、諦めきれない気持ちがずっとありました。

「あなたにぴったりじゃないですか」「向こうに推しておきますよ」と心配して、勧めてくださる働き先もありました。けれども、それにニッコリ、ハキハキと返事をして、自分で決断するのが恐ろしかった。このままずっと身体と心を分けたままで、引き返せないところまで進んでいくのだろうか。周りが次々と専門分野を決め、就職先も決め、国家試験の勉強をしている真っ只中、無邪気に「そういえば何するん?地元帰るん?」と将来のことを急に聞いてくる人がいました。まだ決まってないただの考えをその時々に話してみると、「でもあなたなら大丈夫やな」「すごいな」と言ってくれる。わたしは何も決まってないし、みんなと違って現実見れてなくて、腹も括れてないんやで。あなたらの方が全然すごいで。ほんまに。

みんなの流れから取り残されていました。このまま従順になることは違うということだけが明確に、確信としてありました。ゼミの先生は母のような心配の仕方と口調で、淡々と諭すように、「今やっていることをひと段落つくまでやったら潔く辞めて、するべきことをやりなさい」と言ってきました。

寝たいのに眠れなくて、普段であれば素通りできることでも、積み重なるとどうしたらいいのか、落ち着いて情報を消化できなくなってしまっていて、よく分からないタイミングで泣いていました。わたしは変わらずに漂ったままだった。色んな体験をさせてもらって、話も聞かせてもらったけれど、結局自分が何がしたいのかはずっと分からなかったのです。

そんな中で、初めて同年代で感覚の合う人と出会い、そこから数珠つなぎのように、わたしのことを理解しようとしてくれる人たちに出会いました。

今まで外に出るしかないと思っていたけれども、自分の住んでいる町で、無理することなく大学から家までの範囲内で、自転車漕いで行ける場所に、気軽に話せる人たちに出会えるとは思っていなかったです。

その日は、紹介してくれた子が用事があって来れなくて、毎月開催されているその集まりに、わたし一人で乗り込みました。行動するときは焦っていて素早く動けるけれども、その場に着いてしまえば目的が達成されたように衝動が収まってしまいます。そして、やっぱりわたしは人見知りで、馴染みきれないのでした。そんな中、その人は、フランクに声をかけてくれました。

「どうしたらいいんか分からないんです」と、わたしは座ったままで、話があっち行ったりこっち行ったりしながら、悩みをつらつらと全て吐ききりました。立ちっぱなしで聞いていたその人は、「変人やな」と言いました。その言葉は、何も知らない人が聞くと最低な言葉なのかもしれません。でもわたしにはそもそも、自分の言葉を最後まで聞いてくれたこと自体が新鮮でした。嬉しかった。ここまでで長い時間が経ったけれども、ここでやっと一息、心をなで下ろせた気がします。さらにその人は「また教えてねー!」と言ってくれました。わたしのどっちつかずの話をまだ聞いてくれるのかと思いました。

まさかその人も、軽く声をかけたのに、そこから重く長い語りが続くとは思ってなかったと思います。半分笑いながら最後まで聞いてくれて、そのままに受け止めてくれた「変人やな」の一言は、あたたかくて、その場で助言されておしまいな感じがしませんでした。間違いなくわたしの分岐点となった存在で、出来事でした。だからわたしはまだここで、じたばた出来ているのだと思います。

空気ちゃんと吸えきっとるんかなと思うほどに湿度高めだったあの気候は、嘘やったんちゃうんかなと思ってしまうほどに肌寒くなった頃、やっと「これからもここに住もう」ということだけを決心できたのでした。みんなからは出遅れまくりで、周回遅れも甚だしいわたしを、大学の人たちは心配とは名ばかりの噂話にしていきます。勝手にいうとけ。でも住む場所以外、何も決まっていなかったのは事実。どっちの選択肢を取ればいいのか分からなくなった中で、「そんなに考えた上で堂々巡りで迷うのならどちらも一緒」「サイコロをふって出た方」という言葉がわたしに響きました。そして、その言葉をその後、行動の指針にしていきました。堂々巡りの悩みから解放されたその後に、みんなでラーメンを食べに行きました。道中、車内で流れていたスピッツが忘れられません。天気は横なぐりの雨。緊張しながら食べたラーメン、座った場所、そこからの景色も忘れられない。そこからのコマの進め方は早かった。

この大学4年生、23歳のわたしは、巡った場所、一つの景色から思い出す記憶というよりも、電車やバスのいろんな車窓から、いろんな家や街の風景を眺めて、悩みつづけたという事実の記憶が大半を占めているように思います。色濃く思い出す記憶があるというよりも、混乱して、事実が錯綜していて、中心で、一つに断定できない色がついた線が、ぐるぐる集まってとぐろを巻いている感じがあります。

そして今までは、みんな通り過ぎ去ってしまうと感じていたけれども、一人ひとりとの点が少しずつ大きく、色濃くなっていく感じもあります。「そういや、あれどうなったん?」という会話を重ねることができる存在が久しぶりでした。わたしのことを知ってくれる人が住んでいるこの町にいるのは、ありがたいことです。深く呼吸ができます。

23歳は今までで一番移動距離の多い年でしたが、最終的には安心できる場所が近くにあったということに気がつけた年になりました。

また書きますね。

お元気で。

23歳のわたしより

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