なんか、紙吹雪みたいな毎日です。ちりじりに広がっては落ちていく。
集めきれないものもあって、走って拾いに行くみたいな。で拾えないの!なにこれ!とか思ってる。
すべてが手に入るわけは、ないのにね。
フィルムで写真を撮ってみたいな。今度ね、ホルガを友だちに貸してもらうことになっていて、それがすごく楽しみだったりする。
カメラのことはよくわからないけれど、フィルムの質感は好き。マッドな感じ、ぶつぶつしていてデジタルよりも手に届く感じが。
そして、消せないところもね。
デジタルは間違えたとか好きじゃない感じで消すことができるけど、フィルムは消せない。
覚悟という感じはフィルムのほうがあるけれど、デジタルのクリアでシャープな感じも好き。現代って感じがして。
これは私の完全な感覚なのだけど、現代がうつっていても、フィルムだとどこかすごく懐かしい。
においまで届いてきそうな、知っている手触りがして。知らない場所でも。変なの。
レコロくんもそろそろ冬眠から目覚めるべきだよね、いわきのオレンジ色のレコロくん。
こないだTwitterでちょっとやりとりしたタルコフスキーの映画、あのあと調べたらやっぱり「ストーカー」だった。
そしてやっぱり「惑星ソラリス」も観ようと思うけれど、レンタルで探したら「ストーカー」だけの在庫だった。
先日、半分眠りながらネットサーフィンをしていて、たまたまあらすじだけを見かけてね。
ああ、このお話はぜひ観てみたいと思ってよく読んだら「タルコフスキー」って名前が出てきて、ああ、かおりさんの好きなタルコフスキーかと思った。
思ってすぐに眠りに落ちたらしく、朝起きて枕元のノートを見たら「タルコフスキー かおりさん」ってしか書いてなかったの。
映画の題名とか、なんで書かなかったのか、よっぽど眠いなかに見ていたのだろう。
夜の自分に「それは知っている。その先をメモって欲しかった」とツッコミを入れた。
ゆっくりと観てみるね。
名付け。名前って不思議だよね。杉山さんが言っていたことのように、たわいのないことでもあるし、人の名前は尊いただひとつだけのものだったりもする。
名前って言い方変えると呪縛でさ。
私がそれにこだわっているところもあるのかも。
だからかな、草野心平がいろんなものにオノマトペで名前をつける、その自由さというかとらわれない感じがなんというか
「いいんだよ」って、感じがして。
自由に。感覚でとらえて自分だけの名前でそのものの存在を実感する。
それって、かおりさんが花に名前をつけるのと一緒で、自由な感じがして。いいなって。
心平の名付けのセンスはもう自己流すぎて「?」って思うこともあるけれど、かわいいの。
彼が新宿で経営していたバーの名前は「火の車」でもう「いっぱいいっぱい」な感じがするし。心平はいつもお金がなかったから。
心平の詩のリンクをひとつ貼るね。
蛙の詩人と言われただけあって、タイトルにある「ごびらっふ」とは蛙のこと。
http://www.kaeruclub.jp/kusano/gobirahhu.html ごびらっふの独白
今朝、待望の雪が降ったよ。積もったの!
海に写真を撮りに行ったら、風がもうすごくって、鼻水も涙もだだ流れだった。
やっぱり、雪はうつくしいね。
またね。