去年の8月、思いがけないことが起きた。
パスポートを更新するために、五反田にある在日ブラジル総領事館に行った時のことです。もちろん、そこはまぎれもなく日本なのだけれど、総領事館への階段を一歩一歩踏み出して行くうちに、どうやらここは異国の雰囲気。わたしには、なじみの空気感、だけれども、ピンと張りつめるような緊張感に襲われる。急に喉が渇く。
階段という入国審査をこえると、開け放たれた入り口の扉の外にまで、溢れ出す人々。まだ朝も早い時刻だというのに、そこには見慣れた人々の姿があった。人の波を、右へ左へ、前へ後ろへとよけながら整理券を手にする。座る席を探してもあるわけがなく、寄りかかれそうな壁面の空きもない。その場所にいる人々はみな、きょろきょろと落ち着きがないようにしている。
そして、そこにわたしもいた。目を、まわりの人のように宙に泳がせながら。強烈な喉の渇き。
握りしめた整理券が、気づけばくしゃくしゃになっている。
むかしから、ブラジル人が多く集まる場所が苦手だった。こどものときからそれは変わらない。どこを見渡しても味方がいない戦場に迷いこんだような、ざわざわとした不安が全神経を乗っ取ってしまう。
みんな、わたしと同じような背景を持つ人々。日本という国で、汗水流して働く人々。わたしの父、母、その兄弟達と同じように、日本という国で血の涙を流した人々。どこか適当で問題ばかり起こすけれど、実は陽気で楽しい人々。嫌う余地などないとわかっていても、なぜか彼らを真っ正面から見ることができない。好きになれない。
多分、わたしが卑怯だったのだ。自らと同じ立場の人々を横目で見ながら、日本人になりすまそうとした。自分は、あなたたちとは違うと、彼らを敵陣に追いやったのは、わたし自身だったと、そう気がついたは、実は最近のこと。
郷に入っては郷に従え。いままで、わたしは日本で生きるための努力をしているつもりだった。日本人らしさや、丁寧さ、言葉遣い、仕草、態度、言語、さまざまなものを模倣した。ブラジル人としてのわたしを押し殺してでも、生き延びなくてはいけない。味方はいない。そう信じてきた。だから、日本の考え方、習慣に従わない人々のことを、どこかで蔑んでいたのだと思う。差別や、蔑みの目で見られることをわかっていながら、自分らしさを生きる彼らのことを思うと、どうにもやりきれなかった。
だけど、二十も半ばになって、ようやく気づいたことがある。わたしはどうやら、道を踏み外してしまったらしいと。今まで道を追っているつもりだったのに、いつのまにか、けもの道。もどる道さえわからぬ状態だった。
わたしが常に目指していた日本人化は見事に失敗し、そして、ブラジル人という生き方も、もう、とうに捨ててしまっていた。道は、どこにも続いていないのだな、とそのときになって自分が歩いてきた道を恥じた。後悔した。
息が苦しくなった。
ここにいる人々から、なんて遠くまできてしまったのだろう。こんな遠くにいるというのに、同じ色のパスポートと、同じようなビザの申請をし、それぞれの家に帰っていく。家のなかで繰り広げられる、ポルトガル語の会話も、多分、わたしの家族のものとそう変わりはないはずなのに、こみ上げてくる喉を締めつける苦しさを耐え忍ぶことしかできなかった。
長い待ち時間を、反省と、自己嫌悪に費やしながら、わたしは人々を眺めた。あの人も、この人も、堂々としていて迷いなんてないように見えた。子どもを抱きかかえる若い人も、楽しそうに笑っている。父よりも年上だろう人も、隣の人と仕事のことを嘆きながらも、はっきりと将来のビジョンを語っていた。惨めさなんてなかった。
その中に、ある姿を見つけた。どこをどうみても、日本人の顔をした、女の子。わたしと同じか、少し若いくらいだろう。派手なキャミソールワンピースで、総領事館という場所には、なんだか不似合いに思えた。
彼女はわたしのそばで、じぶんの名前が呼ばれるのを待っていた。しばらく携帯電話をいじったあと、鞄から一冊の本を取り出した。彼女が読み始めたのは、村上春樹の本。まるで雷にでも撃たれたかのようだった。総領事館にいた人々の中で、本を手にしている人は、彼女を除いてひとりもいなかった。だけど、目の前にいる女の子は堂々と本を広げて、読んでいる。
日本語で、読んでいる。
彼女が普段どういう人かはわからない。でも、不思議なまでの驚きを感じた。さきほどまでの苦しさが嘘のように消え去っていた。自分と、その兄弟、いとこたちの他に、日本語を読む人がいるのだと、初めて気がついた。当たり前だが、彼女の前にも後ろにも道があって、わたしの知る、わたし以外のブラジル人の生き方とも、ちがう生き方をしている人がいるのだと。
思えば、それは、当たり前のことだ。みんながみんな、同じではない。だけど、その当たり前に気づかずに、わたしはいた。生きていた。—にほんじんとちがっていても、ぶらじるじんとちがっていても、わたしはわたしでいるしかない— そんな当たり前のことに、なぜ気づかずにいたのだろう。ひとはそれぞれ、じぶんの道を歩んでいくしかない。過去の選択を消し去ることも、リテイクすることもできない。ちがう道なら、ちがう道を、ちがうなりに進むしかない。ちがうからといって、間違いではなく、罪でもない。
するっと、なにかが抜けた、それは、わたしの肩からすべりだして、どこか遠くに飛んでいった。
そのとき、
— Número 927、Maysa Keiko Kikuti Tomikawa
私の名前が、領事館の中に響いた。もう迷いはなかった。