昨年末、新幹線でげろげろ酔いながら、家族の暮す群馬へと帰省した。群馬の土地を踏むのは、一年ぶりだった。まず、大学時代の恩師と品川で会ってから、混雑した電車に飛び込んだ。見慣れていたはずの東京の雑踏、人の群れ。何度利用しても好きになれない赤羽駅で乗り換えて、いつもの二倍、三倍の人でごったがえしていた本庄駅でむかえの車を待った。駅前のミスドがなくなっていた。
もう長く顔を見ていなかった父方の祖父母に会った。祖母は白髪が大分増え、小さくなっていたし、祖父は、足りない歯が増えていた。いとこたちにも、会うことができた。ほんの少しまえまで、胸に抱えていたはずの赤ん坊は、すで九つになっていた。わたしよりも背が高くなった中学生は、前にみたときよりも大人っぽくなって、別の人間のようになっていた。離婚した叔母は、もう新しい誰かとの子どもを腹にもうけていたし、そのお腹の大きさにも仰天した。わたしだけでなく、まわりの人々にも平等に、時間は過ぎているのだな、と当たり前のことに、驚きと戸惑いをいっぺんに覚えた。
それは、わたしの両親、家族にとっても同じことだ。わたしの父も、母も、まだまだ若いとはいっても、確実に「老い」が彼らに迫っている。老眼がはじまった、と苦笑いする父を見て、寂しいような、それでいてわかっていたよ、と納得するような気持ちになった。母はといえば、彼女の母とまったく同じような話し方になっていた。自分の健康を過剰に心配しつつ、やれここが痛い、あそこが痛いと言う。でも、そういいながら、母はきっと長生きするのだろう。
消しゴムの角が丸くなってくるように、父も母も変わっている。同じようにみえても、少しずつ攻めから、守りの姿勢に変わりつつある彼らの姿を、少し離れた場所からじっと眺めていた。
ほんの少し前までは、わたしは彼らの足並みに合わせて歩いていた。でも、わたしたちの歩む道は、もう一本ではない。今は、わたしの足並みがあって、わたしの道が、この足の先に続いている。今もなお、わたしに温かい手を差し伸べて、小さな子どものように愛して、まぶしそうに見守ってくれる彼らは、そのことに気づいているだろうか。
今年、わたしの家族は長年暮らした日本を離れていく。もう二十年もまえに後にした祖国へ戻って、また一からやり直そうとしている。だけど、彼らが夢見る新しい生活に、わたしの姿はない。いたとしても、それはわたしの白い影でしかない。それでもわたしは、そんな彼らが日々幸せであるよう、心から祈りたい。もう誰も彼も、うらやみで満ちた目で、わたしの両親を傷つけないでくれと、祈りたい。今度こそは、彼らがほんとうに望む生活をおくれるように、と祈りたい。新しい仕事で使うことになるだろう無数の機材、道具で溢れかえった群馬の狭い家の中で、わたしは厳かな気持ちになった。訪れるだろう、家族とのしばしの別れと、わたしたちの生き方の分岐点が目の前に、いま、ある。
ひとは、こうやって、立ち上がって生きていくんだな、と思う。たまに、寄り合って、笑って、だけど、またそれぞれの道へと戻っていく。去っていく背中をみつめるのも、ひとつの学びだ。わたしが両親のもとを離れていったとき、彼らは駅の中へと消えるわたしの背中を眺めて、わたしの無事をただひたすらに祈ったのだと思う。次は、わたしが、空港の中へと消えていく彼らの背中を、じっと見送る番だ。想像するだけで、喉がきりきりと痛むけれど、わたしも力強く彼らの無事を祈ろう。また時間がわたしたちを呼び寄せるときまで。そして、わたしも、両親がそうであったように、強く、たくましく生きようと思う。