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Mais ou Menos #57 —裏でも表でもないわたしたちの往復書簡ー

Mais ou Menos

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Pちゃん

お疲れ様です。今年の梅雨はじめじめ、雨が多いね。7月なのに肌寒いと感じることが多く、夏って感じがしないね。

私はといえば、休職期間も折り返し地点。今後のことを考えなきゃと思いつつ、思考停止状態が続いています。日々、ひたすら糸を編んで過ごしています。今やりたいことはつむぐことと、編むこと。それ以外のことは考えられないです。これって現実逃避だろうか。

昨日、洗濯物をたたみながら考えてたんだけれど、今の時代、社会人は常に成長すること、進歩することが求められているよね。新しいスキル、技術をどんどん習得したり、学んだりしないと生き残れない。日々、そういうプレッシャーとともに生きている気がする。でも、それって自分たちの “ Human Nature” に合った生き方ではない気がしています。もちろん、そういう生き方に適応できる人は多いし、それが当たり前だと思う人も少なくないと思う。でも、私自身はそのスピード感についていけないなと最近思います。 昔の人(といっても、いつの時代と言われると困るんだけれど…)は、今の私たちほど、日々成長や進歩を強いられていなかったんじゃないだろうか?そんなことを思うと、自分の生き方に対して、このままでいいのか?という気がしてくる。自分が日々つらいと感じるのは、進歩、成長が求められる社会の中で、頑張りつづけたくないからなんじゃないかって。その一方で、すごく真面目だから頑張りたくないという自分の心の声が恥ずかしかったり、これではダメだと思っているからなのかも。

そうは言っても、実際のところ都市で生活するのには、自分のスキルを高めていくことが必要な気がする。嫌だという感情と、社会に合わせようとする理性がぶつかりあって、よくわからないことになっている。もう少し、今よりもゆっくり生き続ける方法ってないんだろうか?こんなことがぐるぐる頭の中をめぐっています。答えなんてでそうにない。

社会の中には、ゆっくりペースじゃないと生きられない人も少なくないと思うんだよなぁ。適応できない人は淘汰されるしかないのかな。私みたいな人がいてもいい気がするんだけれど、自分の心と頭の声が喧嘩してる。世捨て人の考え方かね…これって私のわがままなのかな?それとも、そういう我慢を乗り越えてこそ、生きる意味があるのかな…?(そうだとしたらすげー嫌だな。)

この時代のスピードに疲れた人は、どこに行けばいいんだろね。どういう生き方をしていったらいいんだろう。もう少し希望をもって生きたいんだけれど、今すごく迷子。もう少し迷っていたほうがいいのか、さてどうしようね。気持ち的には、どうしたいか、というか、どうしたくないのかということはハッキリとわかる。でも、理性はそれを良しと思わない。人間って、本当にむずかしい。

やっぱり、もう少し迷子になったまま考えようかと思う。イライラすること、モヤモヤすることがあると思うけれど、見守ってもらえたら嬉しいです。

Maysa

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まちゃんへ

7月なのに寒い日が多いですね。
早く晴れの日が続いて欲しいです。

休職期間を家で仕事を考えずに過ごしてみて、顔は少し明るくなったように見えます。
気持ちが落ち込みやすいときに、編み物や糸紡ぎができていることを、私は嬉しく思います。何もやりたくないときにやりたいこと、それがまちゃんが本当にやりたいことと思うので。

いろいろ2人でやりたいことあるから、少しずつ実行していきたい。
編み物でプロダクトを作ることや、様々な作品に触れること、自分の編み物スキルをあげること、2人のオリジナルの色や作品を生み出すこと…

あとは2人でたくさん出かけて、public knittingもしたい。旅もしたい。出かけられるところから、少しずつ…

私も本当は何もやりたくないです。一日中ずっと寝ていたいし、毎日仕事も行きたくない。”目標”や”成長”という言葉は、ここ最近好きではないwordです。なまけたいのかというと、そういうわけではなくて、”無理したくない”という感覚に近いのかもしれない。

子どものときからずっと頑張ることが当たり前になっていて、”無理しない”ということのやり方がわからなかった。何事も全力でやらないと!と後ろから追いかけられているような気持ちだった。

今から思うと、何かで周りから認められたかったんやと思う。そうでないと、自分が何者かわからなさすぎて、その不確定なアイデンティティーを埋めるためにいろんなことに打ち込んできて、今はもうけっこう疲れました。人生に。

もう頑張りたくないし、やることはやるけれど、やりたくないことはやりたくない。うちらは”頑張らないとダメ”という感覚を捨てなあかんと思う。むしろダメな自分でいいし、もっとダメになってもいいと思う。

よりよく、よりよく、よりよくするのに疲れた。

生きる意味は、昔大学の心理学の先生が言ってた言葉を思い出します。
“人間は生まれてきて、生きているというだけで役目は果たしている”

別に生まれたくて、生まれたわけじゃないけど、生まれて、それで死なずに今も生きている。それでいいんや、と思いました。今も思います。

生き方や働き方や営み方、いろいろあるけど、たくさん試してみたいと思います。自分たちの生きやすいようにやっていこう。やれるだけやって、後は2人でゆっくりしたいです。

まずは、今週末の帰省の小旅行楽しみです。
ゆっくりしようね。

2019.7.10
P

Maysa Tomikawa

Maysa Tomikawa

1986年ブラジル サンパウロ出身、東京在住。ブラジルと日本を行き来しながら生きる根無し草です。定住をこころから望む反面、実際には点々と拠点をかえています。一カ所に留まっていられないのかもしれません。

水を大量に飲んでしまう病気を患ってから、日々のwell-beingについて、考え続けています。

PQ

PQ

ゲームと映画が好きです。
国籍も性別もない。

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