入居者名・記事名・タグで
検索できます。

3F/長期滞在者&more

呪いの言葉とダンス。

長期滞在者

大学の後輩が某航空会社で CAをやっていて、
ブリュッセルに来るというので、
20数年ぶりに会って食事をした。

当時から人付き合いの苦手だったぼくは
その後輩ともあまり話したことはなかったのだけど、
会ってみると意外と覚えていることもあるもので、
危惧していたほど会話に困ることはなかった。

西洋舞踊専攻のコースに在籍していたぼくたちは、
それぞれ踊ることはあまりなくなっているけど、
やはりその大学やダンスに関する話が多くなった。

彼女は小さい頃からバレエをやっていたらしく、
ダンスの話をしていると目が輝くし、
やはり踊るのが好きだと言うのが良くわかる。

今の仕事を始めてからも時々レッスンは受けていたらしいのだが、
しばらくして行かなくなってしまったと言う。
代わりに今ではヨガに時々通っていると言うのだけど、
話しているとどうやらバレエのレッスンが嫌になったという訳ではなく、
できればまだ受けたいと思っているようだ。

なので、ウサギのフランボワーズビール煮を美味しそうに噛みしめる彼女に、
ぼくはゴートチーズとビーツのサラダをパクつきながら、
じゃあまたレッスン受ければいいじゃん、と言うと、
もうこんなに休んじゃってるからダメですよ、と言う。
へー、なんでダメなの?と問い返して、
その返答があれこれ横道に逸れたあとで、
「ほら、「1日休むと自分にわかる、2日休むとパートナーにわかる、
3日休むと観客にわかる」って言うじゃないですか?」と言う。
日本のバレエ界で長年使い古されて来た言葉が
当たり前のように彼女の口から出て来た。
ぼくはここで彼女自身も気づいていないらしい
ちょっとした悲劇を思って、一瞬ショックを受けた。

もちろんぼくもこの言葉を知っている。
(というかずっと前にここでもこれについて書いたかもしれない)
高校生の時にバレエを習い始めてすぐに教わった。
しかしぼくはある時期からこの言葉を蛇蝎の如く、というか、
蛇や蝎なんかより嫌悪している。(蛇とかむしろ好きだし)
それはこの言葉がある種の脅しであり、
等しく『逃げ恥』の中で言われていた意味で
「呪い」の言葉だからだ。

この言葉は個人が自分を鼓舞するために内面で
つぶやいているうちはまだ害は少ないし、
(それにしても自分で自分に呪いをかけていることに変わりはない)
その範囲なら勝手にどうぞですむことなのだけど、
教師が子供たちに、さも絶対的真理か何かのように
教えるとなると問題は大きい。
強迫観念を与えて何かを強要するというのは洗脳に近いし、
そんなやり方で「楽しさ」や「好奇心」などの
ダンスの核になる大切なことがダンスと一緒に
子供達の中で育つとは到底思えない。

バレエなんてダンスの一様式にすぎない。
踊りたい時に踊れるのが一番いい。
プロのダンサーともなれば、技術を高め、保つために、
日々のトレーニングは必要だろう。
それにしても他者に見透かされるのを恐れて否応無しにやる
と言うのは、何かが本末転倒している気がする。
そしてやっぱりそう言うトレーニングにしても、
自分がそうしたいからそうすると言う状態が理想的なのだと思う。

そして、そう言う考え方が二次的に、
毎日レッスンだけしていれば良いダンサーになれるのだろう、
と言う希望的推測というか幻想を生み出しているように思う。
(ちなみにこの「1日休めば云々」という言葉は、
バレリーナの森下洋子さんの言葉なのだけど、
確か、彼女自身はレッスンだけしてれば良いなどとはいっていない。
多分これは、日本の芸事の方からきている考え方が
どこかで混ざっているように思う。)

以前、日本で度々ワークショップをやっていた時期があったけど、
その度に驚かされていたのは、とにかく日本のダンサーは
レッスンを受けまくると言うこと。
1日3レッスンということもよくあるらしいと聞いて本当に驚いた。
しかも一度のレッスンで4000円(!)も払うこともあると言う。

その反面、ワークショップの過程で、好きな映画や
好きな小説、好きな音楽などを挙げてもらおうとすると、
何も出てこないことが多く、時に嬉しい例外はあるにせよ、
せいぜいジブリ作品の名前がちらほら上がるという程度の結果になる。

その度に、ダンスと言えども他の芸術や社会の諸々と同じく、
いろんなものと関わりながら発展して来たし、
今も関わり続けているんだから、
なるべく他のことにも興味を持ってください、
4000円のレッスンを一回休めば映画が2本みれるよ、
などなど、けしかけてはいたのだけど、
それに関してはあまり芳しい反応はなかったように思う。

日本では、社会の構造だけでなく個人の考え方の中でも
縦のつながりが強く横に繋げるのは苦手、ということなのだろうか。
「踊る」人が縦横斜めに自在でなくてどうする?と思ったりする。

ともあれ、この日本のバレエ界ではあまりに有名で
一般化してしまった言葉の呪い性について、
最初はピンと来ていなかった後輩と、
食後に酒を飲みながらしばらくその辺りのことを
ぐるぐる話し続けているうちに、
不意に、
あ、ほんとだ、私、今でもあの言葉を気にしてるから、
レッスンに行けなくなったんだ…
と言って驚いていた。
少し呪いが解けた瞬間だった。

それにしてもまったく罪な言葉だ。
三浦梅園の「習気」じゃないけど、
当たり前だと思っている事は
なかなかひっくり返らないものだなあ、と思う。

久々にバレエが踊りたいなあ、
と思う衝動に任せて気軽にレッスンを受けに行く
という単純な事ができるように、
それを自分に許す事で、
彼女の中のダンスが復活しますように、と思いながら
迷路のように小道が錯綜する
真夜中のブリュッセルの街を横切って
帰りのバスの停留所まで送って行った。

ひだま こーし

ひだま こーし

岡山市出身。ブリュッセルに在住カレコレ24年。
ふと気がついたらやきもの屋になってたw

Reviewed by
カマウチヒデキ

ひだまさんの本文とはちょっと違うかもしれないけれど、僕にも呪いの言葉みたいなものに縛られた経験があって、それは今の仕事(営業写真館のカメラマン)に就いたときに当時の社長から最初に言われた言葉。
「絞りは5.6まで絞るんだよ。そうしないとしっかりした画にならないからね」

ははぁ、仕事の写真とはそういうものか。輪郭がちょっと滲んでも許されないのだな。
こちらは若造、むこうは50年以上撮っている大ベテラン。
若造カマウチは素直にいうことを聞いたのだった。

ところが、当時はフィルムの時代だから、感度は主に400。
ちょっと暗いところになると、絞りf5.6ではすぐに手ブレ限界のシャッター速度に陥る。
それでも社長は5.6まで絞れと言った。
標準より長めのレンズを使うときは、少なくとも1/125より速いシャッターを切りたいものである。しかしISO400で1/125、f5.6では、普通の室内では光が足りない。

しかたなくストロボを使う。しかし被写体に直に当てては味も素っ気もない写真になってしまう。
ああ、もう少し絞りを開けられたらなぁ。酷だぜ社長。
そんな恨み言を言いながら、ストロボをバウンス(直射しないで壁や天井に当てて光質を軟らかくすること)して工夫を凝らし、なんとか光量の不足を補って撮っていた。

しかしある日、苦労してストロボをバウンスしている僕に、先輩カメラマンが
「自然光でええんちゃうんか。なんでわざわざストロボ使うんや」
「だって社長が絞りは必ずf5.6まで絞れって」
「は? 何で?」
「何でと言われても」
「俺なんか4以上絞ったことないわ」
「え、いいんですか?」
「アカン理由が俺にはわからん」

たぶん、社長は「きっちり撮る」ということの、まぁ比喩として? f5.6まで絞ってね、と言ったのであって、くそ律儀にそれを守ってきた僕のほうが馬鹿だったのである。

しかしおかげでクリップオンストロボをバウンスで使い、光の方向性まで操れるようになった。
社長の呪いの言葉のおかげかもしれない。

という話とはちょっと違うけれども、興味深い、今月のひだまさんです。
(いつもあんまり関係ない話を書いててすみません)

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る