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3F/長期滞在者&more

バカンス前夜。

長期滞在者

とある占い師によると、水瓶座の今年の七月は
「バカンス」という言葉でくくられる、そんな月になるらしい。
このひと月ほどの間にあれこれ算段をつけ、
ぼくはこの七月を全部マルっと一ヶ月休暇にすることに成功したところなので、
これはなかなかのドンピシャリである。
この一ヶ月間はしっかり遊んどれ、という天啓なのかもしれない。

バカンス、つまりvacanceとかvacationというのは
vacantやvacuumなどの言葉と同源で、
空っぽとか空いているという意味が元になっている。
そういう意味でも、器を作っていつものが
空っぽであるということがどういう事なのかを忘れるべきではない。
であるからして、やきものづくりをしているぼくは
空っぽであることを常に体感しつづけるという
正統で正当で真っ当な理由をもって定期的に「バカンス」をとることにしている。

目指すは、「毎日遊べる夏休み、イージーモードのエブリデイ」と
水曜日のカンパネラの歌にあるような、遊びと現実逃避に徹したバカンスだ。
あちこち渡り歩いて、美味いもの食べて、
太陽を浴びながらビーチでゴロゴロするとか、いいな。

先ずはアロハシャツとビーサンを新調せねば。
そして最初はポルトガルに行って、その後はブラジルに飛んで、
そこからプエルト・リコやコロンビアあたりを放浪して、
そのあとメキシコに行ってロバを一頭借りるか買うかして、
ソンブレロとポンチョを着たらそのロバにまたがり、
結構盛んらしいメキシコのやきものの窯元を巡るツアーをするのである…

と、そんなことを考えているちょうどこの時は
実はまだ六月末なので、まだ仕事がちょっと残っていて、
しかも此の期に及んで面倒な案件がいくつか出来。
バカンス前に片付けておかなければならなかったりするので、
ちょっと気が気じゃない事案も抱えている昨今は、
ちょっとストレスも抱えている昨今でもあるので、
ちょっと気晴らしのつもりでダンスのイベントを観に行ってきたりした。

アントワープにあるMASという美術館で八月二十日まで開催中の
「エンカウンターズ」という展示/パフォーマンスの企画で、
旧知のダンサー、ペー・ヴェルメーシュの振付/演出と
そのパートナーのポール・ヴァンデンブルックのキュレーションによるイベント。
そして日本から参加している上村なおかも旧知だという縁もあって、
是非とも見逃せないものだったので、先ずは観られてよかったのだけど、
想像以上に質の高いイベントで、観ていない人には是非にと薦めたい。

ヴァンデンブルックのキュレーションは素晴らしく、
アクセル・ヴェルヴォールトのスタイルに似た
古今東西新旧南北混ぜ合わせながらの展示。
(実際にアクセルのコレクションから貸し出されている作品も展示されていた。)
世界各地から集められた古い手織りのカーペット、エルグレコの絵画、
具体派の作品、中世のマリア像、狩野探幽の竜図、ブラバント地方のレース、
などなど、全94点の作品がじっくり吟味された上で選ばれ、
それぞれの作品が時空を超えた対話をしているような配置になっている。

その展示の中でペー・ヴェルメーシュ本人を含めた5人のダンサーが
一回1時間のパフォーマンスを3回繰り返すという趣向。
ぼくは1時間だけ観たわけだけど、なかなか見ごたえがあった。
パフォーマーが身につけている衣装もパフォーマンス自体の演出も
展示作品と上手くバランスが取れていて、違和感なく見れる。
観客は好みや気分に応じて、パフォーマンスを観るか展示作品を見るか、
両方を1つの視界に置いて好みの角度から眺めるか、自由に決められるわけで、
なかなか贅沢な楽しみ方ができる。

5人のダンサーの中では上村なおかが際立ってよかったと思う。
これはもう好みの問題だと思うのだけど、ぼくとしては
他の4人は自分が対峙する展示作品や空間に対する感情的解釈を
表現しようとしすぎていて、動きがうるさく感じた。
展示作品が物としての唯一無二的な存在感を強く放っている中で、
そこに立ってそれに拮抗するにはパフォーマーもオブジェ化していった方が、
この空間で起こっている「対話」がより豊かになるはずなのだ。
この空間にある展示作品の佇まいはすべて気高くかつ慎ましい。
そういう無言の高貴さが張り巡らされている空間の中で、
人間の情感なんて煩わしいだけなので、そんなものがなるべく見えない方が良いと
ぼくなんかは思ってしまうのだけど、そういう風に
気高く慎ましやかにあの場所に立てていたのは上村なおかが一番だった。
この作品自体はダンサーを入れ替えながら八月二十日まで続けて上演されるので、
この先も色々と改変が加えられてより良いものになっていくだろうから、
最後の方にもう一度見に行きたいと思っている。

終演後に、なおかちゃんを囲んで、同じくそのパフォーマンスを見にきていた、
ダンサーの山田うんちゃん、
同じくダンサーでアムステルダム在住の楠田健三、
バイオリニストの笠井ゆきちゃん、
京都から遊びにきているデザイナーの鷲尾華子ちゃんたちと、
会場近くの飲み屋で初対面同士も多かったので親睦会みたいな感じで飲んだら、
むちゃくちゃ盛り上がってしまい、こぢんまりとした飲み屋の二階は
貸し切りの居酒屋みたいな雰囲気になり、つまみを大量に消費しつつ、
みんなで大笑いしながらベルギービールを飲んだ。
あんなに笑ったのは久しぶりだ。

その帰りがけ、ブリュッセルまで送って行く車の中で知ったのだけど、
山田うんちゃんと楠田健三はちょうど今、ブリュッセルに居て、
二人で作品を作るためにリハーサルをしているらしい。
ダンスが人生になっているような二人がどんなことをやっているのか
面白そうなので、近々稽古を覗きに行く予定。

とりあえず、そんな感じの昨今です。

ひだま こーし

ひだま こーし

岡山市出身。ブリュッセルに在住カレコレ24年。
ふと気がついたらやきもの屋になってたw

Reviewed by
カマウチヒデキ

僕も先だって「ドーナツの穴というのは存在するか」みたいな話を書いたばかりだったので、空っぽとは何かという、ひだまさんの書き出しのテーマは興味深い。
空っぽを空っぽたらしめるためのフチを作る人、それが陶芸家。
そうだったのか、と勝手に納得する。

後半はダンスのお話。
例によって、僕はダンスのことはよくわからないのだけれど、
「立つ」
というのが多分、一番難しいことで、そして基本でもあるのだろうな、という想像はつく。

ダンスに限った話ではないかもしれい。
立つ。
位置を占めること。重心を測ること。空間を占めること。世界を視ること。

ダンスどころか、生きる基本かもしれない。

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