「さびしいくらいしずかだと、コドクがすきなぼくでも、だれかとお茶を飲みたくなる」
『ともだちは海のにおい』より
私はお茶が好きである。緑茶に紅茶、中国茶。毎日日替わりよりどりみどり、カップは空になることなく、いつも並々お茶の池。仕事を終えて家に帰るとミルクパンで湯を沸かし、その日の気分で茶をいれたら準備完了。煙猫を愛でながら、読書をしたり考え事をしたりと夜は静かに更けていく。ところがまれに、ごくまれに、穴がぽっかりと開いたような底なしの夜が現れる。静かなのはいつもと変わらぬはずなのに、なぜだろう。なんだか急に心細くなり、誰かにあなたに会いたくなる。こんな夜に限って、煙猫は丸く一匹夢の中、本を読むには気分ものらず、ただただ湯気の立つマグカップを抱えて深呼吸、一人ゆっくりお茶をすする。終電も過ぎた住宅街、近所に知り合いのいない一人暮らし、誰かと会うのは不可能なのだけど、こんな夜に連絡をとって、会うことができる友達がいればいいのにな。
今回紹介する本は『ともだちは海のにおい』です。くらく、つるりとした海。すべての生きものは眠り、しんとしているなにもない夜の海。いるかは眠れなくて夜の散歩をしています。「さびしいくらいしずかだと、コドクがすきなぼくでも、だれかとお茶を飲みたくなる」そんな時に出会ったのが、「さびしいくらいしずかだと、コドクがすきなぼくでも、だれかとビールを飲みたくなる」と思うくじらでした。2頭は意気投合し、お互いの家を訪ねます。いるかは体操が得意で甘えんぼう、部屋にはいっぱい物が置いてあります。頭の中には、バネとスピードがつまっているのだそうです。一方、くじらはが本が好きで哲学的、部屋には何も置かず、大きな口の中に本棚を持っています。こちらの頭の中には、夢と本のあらすじがつまっているんですって。性格は正反対なのに一緒にいる2頭はとても幸せそう。さらには、ひとりきりの時間やほかの誰かに会いにいく時間など、「いっしょにいない」時間も描かれているのですが、それらすべてがやさしく積み重なって「ともだち」の物語となっているところも魅力的です。
詩人である工藤直子さんのユーモアあふれるやさしい言葉は「さびしいくらいしずかな」夜にいた私を何度も助けてくれました。
「コドクもいいが「いっしょ」もわるくないな」そう思える物語です。
☆今月の一冊:『ともだちは海のにおい』(工藤直子 作/理論社)