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2F/当番ノート

老いと共存するために

当番ノート 第53期

物忘れが激しくなったら老化の始まりだ、と言われたことがあったものの、そもそも記憶力に自信のある私だ。そんなことはありえない、そう考えるのは至極当然のことだった。

高校の暗記系科目などは、すべて満点を取るのはあたりまえで、月末に実施されることになっていた複数の〇〇検定を月の頭から勉強し始め、「そのレベルから始める人はいないからやめておきなさい」と国語や英語の教師に言われようとも、気分が乗ってしまったのだから仕方ない。結果として、高難度の暗記系検定をクリアするのは簡単すぎた。このころが一番冴えていのだろうな。

幼少時に親、祖父母、兄弟と話した内容、3歳くらいで読んだ本をすべて記憶していられる。それは最近まで続いており、多読でありながら、読んだ本はだいたいすべて覚えている。ポストイットいらず、マーカーいらずである。さながら、気分は南方熊楠だ。外国語もいくつか習得した(レベルはさておき)。

にもかかわらず、どうもこの頃記憶力が落ちてきていることを実感する。あることを話そうとしたとき、喉まで出かかった固有名詞がなかなか出てこない。当方、まだ31歳である。ついにきたか、30代の壁。記憶力の衰退からなる「老い」に悩まされている。

このことを書いていて、ふと思い出したのは、大学で仲の良かった教授が「スケジュール帳は必要ない、頭ですべて覚えられるよう、脳はできている」と言っていたことだ。教授は変わり者ではあったものの、より、理論整然とした説明をしてくれて、私はノートも、スケジュールも、メモもとらなくなった。

のちに弊害がでてしまうケースがいくらかあったものの、今もほとんどスケジュールやメモは頭の中に入れている。その教授は御年60歳くらいだったと思うが、彼は還暦を迎えても記憶力の衰退に悩まされるどころか、学生が引いてしまうほどたくさんのことを覚えていた。一方、私はだんだん忘れてきた。だから、「あれ、こんなことも知らなかったんだ」と言われたときの悔しさといったら……どこかで知っていたはずなのに、覚えていたはずなのに。

とはいえ、とはいえ、まだ若い。忙殺されていると意識がそちらに向いてしまい、いろいろ忘れることもきっとあるだろう。同じ場所にとどまるあまり、自主的に情報を獲得する機会が減ったのも大きかったかもしれない。つまり、私の記憶力が下がったのは「能動」が減って、ひいては好奇心が減ったからだ。

あらゆる記憶は他者や、出来事、と結び合って完成していく。受験勉強もそうだ。好奇心や興味がだんだんとなくなっていけば、当然記憶にとどめておく必要のないものばかりになり、忘れていく。31歳は年じゃない。情報に自分から触れることを避けていただけだった。

仕事の面では、頭の上がらない先輩から結構な頻度で叱られている。無知だな、ちゃんと勉強しろ、そういった熱い叱咤が続く。激励はない。しかし、この年になって「なぜこのことを知らないんだ」と怒ってくれる人がいるということは、私は正しい年のとりかたをした、証左でもあるのだろう。

だから私は、「お前無知だな」とか、「そんなことも知らないの?」を言われると幸福度が上がるし、言ってくれる人を大切にしたくなる。彼らは、私の教師なのだ。

知らないことは世界中にあふれている。アスレティック・ビルバオというバスク地方のフットボールチームがあるが、現代の「常識」なるものに照らし合わせてみると、異端なチームとみなされていて、バスク地方にルーツを持つ選手(バスク地方のチームの下部組織に所属していた選手も含まれる)しか獲得しない。この時代になっても、言い方が難しいが、“純血主義”を貫き通している。実はバスクとは無縁の選手もいたが、彼が去ってからおおよそ100年、バスク由来のプレイヤーだけのチームに、再びなった。

なぜ、スペインでは「レアル・マドリー」と名のつくチームとカタルーニャ地方のチームがエンタメとしてのスポーツを超えて対立するのか。観戦をする前に、前提を知る必要がある。スペイン2強、マドリーとバルセロナの対決をダービーと呼ぶが、単にスポーツチームとしてのライバル関係とは別のところに因縁があるのだ。ここはカタルーニャとマドリーの歴史を調べてほしい。そして「ダービー」は商業目的で軽々しく付けて良いものではない。そこにはすべて歴史があるのだ。

伝統や歴史的背景が「エンターテイメントの裏」に存在すると知ること。フットボールカルチャーの裏に「そんなことも知らないの?」という存在があると知ること。徐々に知っていけば、今よりも多角的な見方ができるようになるだろう。野球でいうと、日本にやってきたメジャーリーガーやマイナーリーガーは、なぜ「背番号42」を好んで着用するかを能動的に知る必要がある。サチェル・ペイジ、ジャッキー・ロビンソンは世界をどう変えたのだろうかと。

「知らない。何ですかそれ。教えてください」を惜しみなく使うことができれば、自分の好奇心に素直に従うことができれば、「老い」との共存がきっとできるはずだ。老いは自堕落に受け身になっていくあなたをシメシメと待っているけれども、能動的な人間には大変好意的な存在なのである。

岡本尚之

岡本尚之

1989年、広島県福山市生まれ。編集者。趣味がない。

Reviewed by
多村 ちょび

昔、場末のバーで飲んでいた時に、生き字引のような知識人の初老の男性にあったことがある。聞けばなんでも答えてくれるし、ウィットに富んだ語り部でみんなを魅了していた。彼から感じたのは、何歳になっても変わらぬ好奇心と、おごり高ぶらず他者から学び続けようとする、明るい謙虚さだった。


近頃、自分も記憶力が衰えてきたな、と思うことがある。というよりも、記憶にアクセスする回路が弱くなった、という方がしっくりくる。誰かが言った一言、目の前に現れた単語、ものや本、景色…そうゆうものから頭の中の引き出しが開くことがあるが、自分からその引き出しを開けるのが難しい。


その初老の男性は、好奇心のまま新しい情報に触れ、誰かと話して考えて、ということを繰り返し、それによって記憶の引き出しが錆びずにスムーズに出し入れできているように感じた。触れられなくなった記憶は、いつの間にか消えてしまうのだろう。その一方、最近SNSを見るのが億劫になっている自分に気づく。情報が多すぎて、正直、めんどくさいのだ。調べておこう、やっておこう、と思っていることが、どんどん溜まっていく。自堕落の蟻地獄に、いつの間にか引きずり込まれていてゾッとする。

「老い」を予防をするのは、細胞の新陳代謝だけでなく、情報の新陳代謝なのかもしれない。

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