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2F/当番ノート

よふかしのうた

当番ノート 第53期

2014年、長い長い大学時代を過ごした関西を、就職のため離れ、上京することになった。ただ、別に初めての東京だというわけではなく、学部時代に某省の研究機関(和光市)で研究をする機会があったので、1年くらい和光市と関西を往復する日々を送っていたことがある。研修で訪れた人が宿泊する寮みたいなところにしばらく住んで、気が向いたら西に帰って研究し、タイミングが来たらまた上京。端的に楽しかった、お金ももらえるし。

そのときお世話になった人たちとは、最近も仕事をご一緒する機会があった。当然ながら環境も変わっている。あちらは国家公務員から国立大学の教授に、私はただの学生から新聞社に就職。ただ、メールで恐ろしく長い文のやりとりをしているときは、昔を思い出してよく笑った。社会人になってすぐ、和光市に行ったこともある。「税務大学校前」で停車するバスを降り、桃手通りを歩きながら、税務大学校と司法研修所に挟まれた、昔私が短い期間を過ごした建物を見てセンチメンタルになったりした。ほろり。

研究は個人の裁量に委ねられていたので、仕事を終えると、すぐさま東武鉄道(はあんまり利用していないか)や東京メトロに乗って、池袋や新宿や渋谷や下北沢や銀座や浅草など、いろいろな「東京」に行った。関西には何年も住んでいたものの、さまざまな意味で水が合った。よって、卒業と同時に東京に住んで働き始める。

私は新宿という街に夢中だった。ごみごみした感じも嫌ではなく、大手書店や大手百貨店では何時間でも過ごせる。ゴールデン街も好きだ。この街には人を溶け込ませる不思議な魅力がある。となると、必然的に新宿近郊に住むことを目指し、新宿からギリギリ徒歩圏内にある街の不動産屋に相談。勧められたのは築年数の古い建物だったが、ささやかな庭があり、部屋もかなり広くてきれいである。駅もそこそこ近い。賑やかな商店街がある。人が優しい。事件がめったに起きない。完璧だった。ある意味では。

隣人がすぐに変わる。このことに長年、悩まされている。「何かある」という兆しは入居して三日ほど経ってからすぐに感じられた。夜に窓を開けると、隣室から野太い声で、念仏を唱える音が聞こえる。これがほぼ毎日続くものだから、怖くて雨戸を閉めようと外に出ると、少しだけ見えた隣人の部屋の窓は、雨戸をしたままで、生活感もまるでない。洗濯竿もなければ雑草が茂っている。

別日。また雨戸を閉めようと外に出たときも、以前からまったく変わらず雨戸閉めっぱなし。怖くなってきた。このあたりから「本当に人が住んでいるのだろうか」と思い始め、怯えながら生活すること約1年。ある日の朝、聞こえて来た引っ越しの音。隣人は存在していた。また何日か経つと、入居者の気配がする。今度は、夜に帰宅した際に隣を見ても電気すら付いておらず、生活音も聞こえない。また怯えながら過ごしながら考える、隣の部屋、絶対に何かあるな。

1年後の朝、また引っ越しの音。またかよ……。こうして同じ場所に住み続けること6年、次々とすさまじいスピードで入れ替わっていく隣人に対して、私と私の部屋の時間が急激に過ぎていく錯覚に陥る。古かったエアコンは最新のものに変わり、故障していた換気扇を取り替えてもらう。入居したばかりのころの部屋はもう存在せず、家具や家電も6年前になかったものであふれている。

別に「Ship of Theseus」の話をしたいのではない。この部屋はずっとこの部屋のままだ。ついでにいうと「エイジング」の話も先送りにしている。閑話休題。けれど、こうも隣人が変わり続けると、否応なしに、この建物では、私とこの部屋だけが年を取り続けているような奇妙な感覚に包み込まれる。この部屋だけに流れる時間は、決して誰からも干渉されることなく、加齢の筋道しか示さない。私は常に一人、この部屋に住み続けているが、ともに年を取ってくれるお隣さん求む。こんなにも些細な悩みであるものの、この部屋だけに流れる独特の時間に、絶えず興味を惹かれてしまうのだった。

岡本尚之

岡本尚之

1989年、広島県福山市生まれ。編集者。趣味がない。

Reviewed by
多村 ちょび

最近引っ越した。大学からの親友が来て片付けを手伝いながら、まだこれ持ってるの?!と驚いている。
大学時代から何回か引っ越しているけれど、思い出の品を捨てられずにいる。結婚したり子どもが生まれたり、人生の転機があった友人達は、そのタイミングで物を見直し、捨てているらしい。
思い出の品が詰まったたくさんのダンボールを見ていたら、愛おしいと同時に、少し怖くなった。私は、ずっと、これからも、過去を引き連れていくのだろうか。
それは、ものや場所に自分の記憶を託しているからかもしれない。そしてこれからも、過ぎゆく時間に並走してくれるものだからかもしれない。
岡本さんの文章を読んでいたら、こんなことをふと思い出した。

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