この題名を打ち込むときに「曇のち雨」が「曇のち飴」に変換されたのを見て、たとえ本当に飴が降ってきても曇り空からではあんまりわくわくしないだろうな、とぼんやりと思った。
パリの冬はグレーだ。
色というものがない。
今年は暖冬で雪も降らなければダウンジャケットさえ着る必要がないので、それだけが救いだ。
一年だけ住んだドイツの冬は暗くて寒くて、思い出しただけでも鬱々としてしまうくらいだったのだから。
寒くないのであれば夜のパリをいくらでも歩ける(とはいえ、実はまだまだパリを見ていない。週に2度のレッスンをこなすために、不器用で体力のない私はしなくてはいけない仕事をするだけでいっぱいいっぱいなのだ)。
昨日、私は文字通り「逃げ出し」て、夜のセーヌ川沿いを歩いた。
美しかった。美しかったが、思っていたほどの感慨は湧かなかった。
そのことに少しの安心を覚えた。
隣を歩く人は、パリを歩くなら冬が一番だよと言い、セーヌ川沿いで一番美しい場所を案内してくれた。
遅くなりすぎた私たちを歓迎してくれるレストランはなくて、唯一真夜中までサービスをしてくれるタイ料理のお店で夕食を食べた。
美味しかったのだろうと思うのだけれど味が良く分からなくてあらかた残してしまったので、心配そうな顔をして座っている向かいの人に、大丈夫だと、少し疲れているだけだと説明しなくてはならなかった。
今日あなたに会えて、話ができて良かったということも。
それは本心だった。
彼に会わなければきっと飲み込まれてしまっただろうから。
たぶん、良くない状態なんだろうな、と思う。
熟考、抵抗、疑念、懸念?
一般的、というのがどういうことなのか説明するのは難しいが、昔から自分の考えていることは人と違ったし、世間と擦り合わせることも簡単ではなかった。
少なくとも自分のいた環境においては。
私は今、自分の居るべき世界というのを把握しつつあるのだと思っている。
たとえばそれは東京なのかパリなのかあるいは他の国なのか、ということも含めて。
思えば年末、クリスマス休暇に入った直後に熱を出して以来ずっと調子がおかしかったことを薄々感付いてはいたものの、毎日を騙し騙し過ごしてしまったこともいけなかったのだろう。
彼女の存在は、私を現実に引き戻すために必要だったのだ。
彼女をパリに呼び寄せたのは私自身だったし、それはカナダでの彼女の苦労や状況のあれこれを知った上で、少なくともカナダという地よりはヨーロッパのそれの方が彼女に向いていると思ったからで、共同生活も楽しみだった。
以前にも彼女との共同生活を考えたことがあるが、やむを得ず私がそのマンションを出ることになったことで立ち消えになったままお蔵入りになっていた。
それを晴れてパリで実行するとなったら、楽しくないわけがないと思っていた。
ところがこの3ヶ月の間、私は毎日少しづつ疲労し、生活は混乱を極める一方だった。
これまでに恋人と暮らしたことならあったし(その生活は簡単ではなかったけれど、複雑でもなかった。大抵のことなら解決の糸口を見つけられたし、私たちは割と上手くやった方だと思う)、相手が友人でもそう変わらないだろうと思っていたのだ。
けれどそれは大きな思い違いだった。
彼女はしばしば、私の眼にまるで知らない人のように映った。
出会って8年余り経つというのに、生活を共にする内に、私は一体彼女の何を理解していたのだろうかと思うようになった。
彼女の名前と年齢、ダンサーであるということ、その都度誰と一緒にいてどんな仕事をしているか、甘いものが好きであるということ、鳥を飼っているということ─
おおよそこれくらいのことしか把握していなかったではないか、ということに思い当たって唖然とした。
私にとって大切な(重要なと言い換えてもいい)存在だったし、信頼してもいたのに、そうしたあれこれはいわば実体を持たない彼女への憧憬にも似た気持ちだったのかもしれない、と。そうしてそれは奇妙なことに、彼女がどういう人物であるかということよりも、私自身がどういう性質であるかということを顕わにすることでもあったのだ。
彼女といると、私は自分が何もかもを取り繕っているように思えた。
食べているときも、身支度をしているときも、弾いている時には尚一層その気持ちが強まった。音楽院の中で、先生の前で─
パリに来てもパリを感じる時間などなかった。
いや、ひとつひとつのことはきちんと楽しんでいるつもりだけれど、本当の意味でこの地に根を下ろしているという実感が湧かなかった。
どこか現実ではないような、熱に浮かされたようなふわふわした感じがあった。
そうして気がつくと、息も絶え絶えなほどに疲労している。
私は自分の中のパリに居場所を見出したのであって、現実のパリではなかったのだ。
だからこそ昨夜の散歩が、その美しさがきちんと正しい質量として感じられたこと─紗がかかったような夢か現か区別がつかないような、神秘に満ちた街ではなく─が嬉しかった。
素敵だと思うところはいくつも挙げられるが、厄介なところもまた同じように挙げることができる。
ちっとも清潔ではないし、サービスも悪ければ不親切な人も多い。ちょっと油断すれば財布や鞄のひとつやふたつ、簡単に持っていかれるような場所でもある(現に私もiPhoneを盗られた。確かにポケットに入れてはいたが、どうやってそこに電話が入っていることが彼に分かったのか疑問を感じるようなつくりでもあったし、またそこからどうやってあんなにあっさりと私に悟らせずに盗むことができたのか、未だに謎である)。
けれども決してそれらを疎ましいとは思えない。
あまりに完璧なものには、愛着など湧きようがないのだから。
パリの制裁、とつぶやいてみる。
現実と向き合うようになるまでに確かにこの6ヶ月は必要だったし、彼女はその屈託のかけらもない笑顔で自己欺瞞に満ちた私の生活をさらってくれたのだ。
彼女にとって私が感じのいい同居人ではなかったはずだということだけが残念だが、私の方はといえば、ようやく彼女を知ったのだという気がしている。
だからこれから新しく、もう一度彼女の友人になりたいと思う。
彼女がそれを望んでくれるのであれば。