「自由な人間が、死ほどおろそかに考えるものはない。
自由人の叡智は死ではなく、生を考えるためにある。」
というのは、シュレディンガーが『生命とは何か』の
冒頭で引用した、スピノザが『エチカ』に綴った言葉。
で、彼自身はその前書きの中で次のように書く。
「われわれは、今までに知られてきたことの総和を結びあわせて
一つの全一的なものにするに足りる信頼できる素材が、
今ようやく獲得され始めたばかりであることを、はっきりと感じます。
ところが一方では、ただ一人の人間の頭脳が学問全体の中の一つの
小さな専門領域以上のものを十分に支配することは、
ほとんど不可能に近くなってしまったのです。」
学問の専門性が深まるごとに、
その全一性から離れていくというの問題は、
この本が書かれた20世紀初頭から
100年以上経った今でも解決されてはおらず、
それどころかさらに問題は深まっている状況だろう。
そしてシュレディンガーはその全一性が失われた状態を
スピノザがこの引用文の中でいう「死」と対応させている。
専門性の深化はそれ自体、
宇宙の営みをどんどん切り刻んでいくことに他ならず、
その「総体」が最も複雑に組み合わさって活動している状態を、
つまりは「生きている」という状態に立ち戻って考えることを
見失っている状態だと言えるのかもしれない。
科学者たちは、というか「西洋」は、
知らず知らずのうちに「死」の領域に深入りしていながら、
そのことに気づいていない場合が多いのではないか。
というか、科学の発展の「切り分け、開き、見る」という過程の
性質上そうならざるを得ないのだから、
これはもうどうしようもないことだろう。
科学という方法を根本から考え直すしかない。
とはいえ、そんな膨大な手間をかけるのも、
これまで培い蓄えてきた人知を投げ捨てるのも惜しい。
だからこそ、人間の叡智は本来は「生」を探求するところから始まっている
ということを度々思いかえすべきで、
そう思うとこのスピノザの引用はとても効果的だ。
死がどういうことなのかを思い出し、
同時に生のことをもっと考えるべきだ。
メメント・モリと言うのは簡単だが、
それは同時発生的にメメント・ヴィタなのだということを
メメントしなければならない、ということが
スピノザの言葉を通して語られているのだろう。
こんな風にして生と死を同時に考えようというのは流石に
「シュレディンガーの猫」を考えついた人だなあ、とかも思う。
死と生、闇と光、陰と陽、混沌と秩序、タナトスとエロス。
「一」であるものが両極の何かでできている。
両極の片側はまたそれ自体で「一」であって、
それがまた両極の何かで構成される。
一は二で、二は一である。
一は合一、二は分極。
ゾロアスター教では、人間が悪と闇の神アーリマンに与したので、
善と光の神アフラ=マズダは人間を楽園から追放したとされている。
その後、人間が抱えることになった失楽園の痛みの大きさを
哀れに思ったこの善神は、人間に善と悪とを選ぶ権利を与えることになった。
そしてまた彼は、天上の楽園の写しとしての「庭」を作る事を教えた。
「誰でも庭を造るものは光の味方となった」
この宗教の思想を反映したペルシア式庭園は
楽園という限定された空間が原型となっているので、
壁で囲まれた壮麗な様式をもち、
それがのちにイスラムに取り込まれ、
クルアーンに描かれる楽園の官能的な描写のイメージが
さらにその造作に投影され、外界との遮断を強め、
よりパラダイス性を強調したものとして発展し、
それがのちにタージ・マハルやアルハンブラ宮殿などとして
結実していく。
中国庭園は桃源郷や仙人境をモデルにしたものだろうし、
日本の古代、中世の庭は多く仏教の世界観をモデルにしていたし、
近代フランス庭園の極端なシンメトリー好きも
18世紀イギリスの曲がりくねった道が連なる殺風景な
ピクチャレスク好みも、当時の人たちのある種の理想の風景が
投影されたものなのだろう。
とすると、日本の枯山水や借景などで構成された庭は
どんな理想郷を示そうとしているのだろうか。
それはあるとないがひとつになっているような場所なのかもしれない。
とすると、それは確かに禅みたいなものなのだろうけど、
それだけではなく、古代から「杜」「森」「モリ」として
崇められていた場所にその原型があるような気がしている。
ということで、メメント・杜、
というダジャレで話を戻して今回は終わりにします。