2月から3月にかけては、毎年美術系の学生たちの卒業展やゼミ展が各所で開かれます、
荒削りで言葉足らずではあるが、それを補って余りある勢いが心地よく、なるべくたくさん拝見するようにしていますが、コロナ禍の状況で今年はほとんどが中止です。代替えとしてウェブで作品を公開したり、ということが多いようですが、中には箱詰めして宅配するUberのような方法を考案した学生たちもいて、その環境適応能力が素晴らしいと思っています。
そしてぼくが、担当していた学生たちもウェブ上での展示が始まり、空いた時間に一人づつ、なるべく丁寧にみているところです、
リアルのギャラリーでの展示ですと、空いた時間にちょっとずつ見ることもできず、現実的に限られた時間の中で駆け足で見ることにもなるので、一人一人の作品と対話を重ねるのには、むしろウェブも悪くないかもと感じました。
ウェブ展示は理論上、無制限に情報を収納できる環境であり、ギャラリーの実空間をシェアするよりは遥かに理想的なボリュームを持つ「容れ物」でもあると思うのですが、意外と理性的に考えながらセーブして、慎重に作品を選んだ形跡が見られます。それとともに、全員が添えた作品に寄せるコメントがものすごく鋭いと思いました。言葉が伴わない表現など珍しくもなんともないですが、19、20歳の若き表現者たちは間違いなく、コロナ禍の自由を奪われた1年間の中で、ひねり出すまでもなく自然に口をついて出てくるように、言葉が出てきたように思えます。ほとんどのそれは、先の見えない世の中への漠然とした不安ではなく、やり場のない怒りや、今に対する不満で、多くの大人たちがやるような、安易な共感を誘うようなメッセージがほとんど見られないことに驚きました。
彼らはこの1年間「若者」という大雑把な一括りで、ずっと悪者扱いされてきました。
いくつかのウェブ上の作品を見る限り、彼らの方がずっと冷静に世の中を見つめできることにチャレンジしている。それがとても眩しく見えました。