「人生は運ゲー、とにかく行動したほうが勝つ」。そんな言葉が妙に真理に感じてしまうのは、自分が勝っていないほうの人間だからだ。
サイコロを振ろうとすると、いつも不安に頭を支配されてしまう。1が出るのは恥ずかしいし、6が出てもなんだか後ろめたい。安心するのは3や4だけど、それが本当にほしいわけじゃない。あれこれと考えているうちに、タイミングを逃したり、棄権することを正当化してしまったりする。
出目がなんであれ、トライすることが大事なのだった。そうすれば、誰かが見ていたり、自分なりに結果を考えたりして、また新たなサイコロを手にしただろう。しくじろうとなんだろうと、次へ進んだはずだ。扉を開かないことで可能性を温存しているようで、少しずつ、たしかに失っていた。
あの時サイコロを振っていたら、と考えることがよくある。後悔とは違うのだけど、何かにトライする時、この気質が自分の人生を方向づけてきた事実に改めて突き当たるのだ。
幼い頃から内気だったし、そういう性格だと思って折り合いをつけて生きてきた。それなりに満足もしている。でも、これからの生活の中で、もしも毎日の行動につきまとう不安が少しでも小さくなれば、重力の軽い星にやってきたみたいに動きやすくなるはずだと思う。
先日読んだ本は、その「重力の軽い星」へと行ける可能性を示唆するものだった。
クリストフ・アンドレとパトリック・レジュロンという2人の精神科医が書いた、『他人がこわい』という本だ。
クリストフ・アンドレ&パトリック・レジュロン、高野優監訳、野田嘉秀・田中裕子訳『他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学』(紀伊國屋書店)
1995年にフランスで発刊され、2007年に邦訳された心理学の分野の一冊で、主に対人関係においてわき起こる不安と、それに起因する症状、そのメカニズムや対処法がやさしく解説されている。
会議でプレゼンをする、社会的地位の高い人に会う、お金の交渉をする。こうした対人関係の場で感じる不安は「社会不安」と呼ばれている。
社会不安は程度の差こそあれ誰でも感じるものだ。ただ、時折その不安が強すぎて、生活に支障が出てしまうケースがある。
それが具体的にどんな症状で、どんな状況で現れるのかはこの本の前半で解説される。
まず第一部では、社会不安がどんな状況で現れるかを挙げる。「他人の前で何か発表をする」「知らない相手と話す」「相手に何かを要求する」といった場面で社会不安は引き起こされ、動悸が激しくなる、赤面するなどのような「身体的反応」や、コミュニケーションがぎこちなくなる、不安な状況を回避するといった「行動」、ネガティブな思い込みが頭から離れなくなる「認知」の3つの側面で顕在化するとしている。
「認知」の中で「予期不安」というものが語られている。社会不安の人に見られる認知の歪みなのだが、行動を起こす前から最悪のシナリオを想定してしまって、それが頭から離れなくなることだ。ここでは実際のケースとして、ある女性のこんな語りが引用されている。
“もし今、私が、「すみません、やっぱりハンバーグをやめて、パスタにしてください」と言ったら、きっとウェイターはむっとするでしょうね。「え、いまさらご注文の変更ですか!?」とみんなに聞こえるような大声で怒鳴られ、私は店中から冷ややかな視線で見られてしまう。みんなきっと、くすくす笑ったり、私を軽蔑の目で見たり、ウェイターに同情したりするんだわ。結局、ウェイターは注文を変更してくれなくて、冷たくなった料理を仏頂面で運んできたりするんだわ……”
読みながら冷や汗が出た。完全に自分も似たような想像をしている。これに近い想像をしながら、どうしようか15分くらい迷っているうちに料理が運ばれてきてしまうことがよくある。冷静に考えると取り越し苦労なのは一目瞭然なのだが、その場ではそれどころではないのだ。
第二部では、社会不安を「あがり症」「内気」「回避性人格障害」「社会恐怖」の四つのタイプに分類し、それらを詳述する。三つ目の「回避性人格障害」は不安を感じる状況を回避することが常態化してしまう精神疾患、と定義されているのだけど、これはちょっと人ごとではないかも、と思った。
先日、自分の部屋のエアコンのリモコンが作動しなくなってしまって、恋人に「大家さんに電話しろ」と言われていたのに、何も言わずしれっと替えのリモコンをアマゾンで買って済ませようとしていた。
リモコンが思いのほか高かったので(4000円)、3週間くらい放置してたら不具合の原因が判明したので事なきをえたが、1000円だったら絶対買ってた。
恋人からすれば怠けていただけに見えたと思う。だけど、実際は大家さんに電話をしたら、めちゃくちゃ怒られる気がして怖かったのだ(大家さんはとても優しい人なのに)。
こういう妄想が日常のいろんな場面で強制的にはじまってしまう。その妄想をかき消す、というステップが必要なので、行動に移るまでがとにかく遅いし、他の人にとっては何でもないようなことの心的ハードルが高い。自分は先延ばしにしても最終的には行動することが多いから、今のところ回避性人格障害には当てはまらなさそうだが、延長線上にあることはたしかだろう。
しかも自分はリモコンだからまだ笑い話にできるけれど、この本には回避行動が癖になった結果、正当な権利の主張やお金の話ができなくて事業が倒産しかけている人の話なども載っていて、穏やかではいられない。さすがに倒産をギャグにする自信はない。
本の後半、第三部では社会不安のメカニズムを解説し、第四部では社会不安の治療法を紹介している。薬を使うものもあれば、自分1人でも実践することで、軽度の社会不安なら改善できるような認知行動療法もある。基本的に過剰な社会不安は思い込みなので、「妄想で怖がっているのをやめて、動いて、現実とすり合わせていくうちに慣れていく」というのが回復のセオリーのようだ。
要は「逃げずに立ち向かえ」ということなので、けっこうマッチョではある。回避行動常習犯としてはくらくらする。ただ、当然頭ごなしに「なんでもやってみろ!!」と言うのではなく、まず自分がどんな場面で社会不安を感じてしまうのかをしっかりと把握した上で、トライする内容を細切れにし、負担の少ないものから段階的に積み重ねていくというプロセスが解説されているので、取り組みやすい。まずは自分がレベル1だと知ること、戦えそうな相手からは逃げないこと、戦えそうな相手を低く見積もりすぎないことが大切なのだ。この辺のレベル設定が素人には難しいので、医師のサポートがあるとかなり心強いのだろう。
しかし注意すべきなのは、繰り返しになるけれど「社会不安自体は誰にでも起こりうる」ということ。だから別に、回避行動やあがり症、内気といったそれぞれは絶対的な悪や欠点ではない。あがったり逃げたりしても全然いいし、折り合いをつけて生きていくことは可能だ。
だからこの本では、どこまでが一般的な感情で、どこからが病気なのか、明確に分けていない(そもそも症状も様々だし、そんな線引きが不可能に近いということもあるけれど)。
ただ、病気の基準の代わりに、「本人が今の状況から抜け出したいと思っているか」という〈治療の基準〉を設けている。
病気かどうかではなく、自分が苦しいと思うかどうか。
「他人がこわい」人は、自分の行動を人にどう思われるか、常に気にしてしまう。そして、なんでも自分に非があるようによく思い込んでしまう。
だけど生きづらさの判断くらい、他者に委ねなくてもいい。自分の生きづらさくらい、自分で決めていい。その主体性を取り戻すことから、きっと回復がはじまるのだ。
そう考えると、自分は現状に大きな不満はないけれど、もうちょっと楽に生活を送れたらいいと思っている。逃げないということを、びびりながらでも、少しずつ、たしかに、やっていこうと思う。この本のような体系化された知識は、その大きな手助けになるはずだ。
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余談だが、この本には著者のもとを訪れた患者の語りが数多く紹介されている。この文章で紹介した「オーダーの変更ができない人」や「自己主張ができなくて事業が倒産しかかっている人」のような話だ。それらは一つ一つは短いのだけれど、その人の人生が垣間見えるようなものが多くて、ぐっとくる。こうした証言がたくさん収められていることは、病気ではなく人の苦しみに寄り添うこの本のスタンスを体現している。読んでいても、単なるやさしい解説書という枠組みを超え、本から体温が伝わってくるようだ。だからこそ、読者はこれを自分のこととしてとらえ、人生に照らし合わせて語り出すことができるのかもしれない。