15年間維持した自宅の暗室を、とうとうなくすことにした。
15年とはいうものの、フル稼働していたのは最初の5~6年くらいで、最近は年に1~2度使う程度になっていた。
年に数度しか使わないなら、つぶしてしまって必要なときはレンタル暗室に行けばいい。頭ではわかっていたが、実行するとなるとなかなか決心はつかなかったのだ。
たった3畳の狭い暗室で、四切までのプリントしかできなかったが(相当無理して半切まで)、自宅に暗室があるのとないのでは、何というか写真を撮る者としての心の安定剤というべきか、実際にはそんな頻度では稼働していなかったにしても、精神的なベースキャンプのようなものだったのかもしれないと、片づけをしながら思うのだ。
デジタルカメラは黎明期こそ画質的に銀塩にはかなわないと言われていたが、それも遠い昔の話。解像感や諧調表現でもある意味ではすでに銀塩を凌駕する域に進化している。
しかし明暗反転したフィルムを印画紙に露光し、撮影時の光を印画紙上に再現し、それを薬液で銀画像として定着して写真を作るという、一見魔術的ですらあるアナログ写真の製作工程は、やはりデジタルカメラとは違う魅力があるのである。
デジタルは便利で銀塩は面倒というけれど、自宅に暗室があると、ついさっき撮ったネガフィルムをものの30分で現像して洗ってドライヤーで強制乾燥をかけて引き伸ばし機にセットすれば、撮影から1時間くらいで印画紙にプリントすることもできる。デジタルが最短5分でプリントできるとすれば、アナログ暗室だってそれより1時間だけ遅い程度だ。じゅうぶん早い。
新聞社では速報の写真を作るのに沸かしたように熱い現像液で瞬間現像して、水洗したあと高濃度アルコールに漬けてから速乾させるという裏技があったと聞く。フィルムの保存性としては最低の手段だが、速報できたらあとはゴミ箱にポイでいいのだ。いまや高級品と化してしまったフィルムや印画紙だが、昔はそういうものでもあった。
暗室作業は楽しい。昔は徹夜でプリントしたりもした。
覚えている中で一番根を詰めたのは、2008年、大木一範さんとの二人展である。
大木さんは当時大阪四ツ橋でギャラリー・マゴットという写真ギャラリーを営んでいて、僕もそこを展示活動の拠点にしていた。
何かの都合で2週後の企画展が中止になったとかいうので、じゃあその企画展があったはずの期間で、大木さんと僕の二人展をやろう、という話になった。
条件はこれから新しく撮る写真であること。旧作は不可。ギャラリー・マゴットの二つの大壁をそれぞれ自由に担当する。ショボい枚数ではつまらないから、二人とも「量」を展示する。
タイトルは『GACHINKO ! 』。文字通り対決展だ。
話のついた翌日から、僕はペンタックス6×7に105ミリF2.4という、巨漢カメラと重量級レンズの組み合わせで撮影を開始した。14日間の時間を、撮影10日、残りは暗室、と自分で決め、大阪を昼夜歩いてブローニーフィルムをザクザク消費していった。
どのくらいの量を撮ったかも忘れたが、ありったけの現像タンクをフル回転して、巻いては現像し、リールとタンクをドライヤーで乾かし、また巻いては現像して乾かして、昆布漁の港みたいにフィルムが干されていく。
そのフィルムの束から40~50カット選んで、それを二日で全部プリントすると決めた。
しかしそのとき僕は、超重量級のカメラを1週間持ち歩いたために腰をやられてしまった。
腰をガチガチに固定バンドで固めて、初夏、冷房のない狭い暗室でボタボタと汗を落としながらプリントした。現像液の組成が変わるんじゃないかと心配するほどに汗が落ちたので、首と脇に小さな保冷剤を巻きつけてプリントを続けた。それでも気が遠くなるほど暑かった。
いつもはバライタ印画紙を使っていたが、乾燥と後処理に時間をかけていられないのでRCペーパーを使った。大量のプリントを干す場所もないから、暗室前の廊下に新聞紙を敷き詰めて焼きあがるなり並べていき、あとからドライヤーで乾燥して回った。
腰痛で体の自由も効かず、情けない姿勢で顔をひきつらせてプリントしていたけれど、それでもあれは抜群に楽しかった思い出だ。
このときの量を焼くという経験が、暗室での新たな楽しみを教えてくれた。
1カットに何枚もテストをしていたら時間が足りないため、1カットにつきテストピース(印画紙の切片での試し焼き)1枚しか試さない。テーマ的に主要である部分だけテストピースで段階露光し、他の部分はネガとにらめっこして覆ったり焼きこんだりの暗室的手法を頭の中でイメトレする。
3年後(2011年)ギャラリー・ライムライトで開催したモノクロプリントでの個展『BC』でも、この縛りを自分にかけてプリントした。テストは印画紙1枚を8等分したテストピース1つだけと決め、そのテストピース1片から本番のフィルター号数と露光秒数、焼き込み覆い焼きの要不要まで決めて本番一発勝負で焼く。ものすごい集中力が要る。
もちろん高騰する印画紙の浪費を惜しんで、という意味でもあったが、それだけではなく、撮影時と同じ代替の効かなさを暗室にも持ち込んでみたら、今までとは違う何かがプリントに乗せられないか、という試みである。
この暗室から、大木さんとの二人展のあと、先述した個展『BC』、そのあとも個展『Book of Monochrome』(バーディフォトギャラリー/2013)、藤田莉江さんとの二人展『Strange beautiful』(ギャラリーライムライト/2019)等の展示プリントが作られた。
それぞれに思い入れのある展示だし、そのときのプリントも自分でとても気に入っている。
しかし、その暗室をつぶす。
いろいろ都合あってのことである。寂しくないといえば嘘になる。
だが写真というのはこれからも続いていくもので、僕の「これから」に、もう銀塩モノクロのプリント制作は、すくなくとも主要な部分を占めてはいない。
幸い、仲良くしているレンタル暗室もいくつかある。モノクロプリント欲が湧き上がってしまったら、そこで焼く。それでいいのだ。
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◆ 大木一範 vs. カマウチヒデキ二人展『GACHINKO!』(ギャラリー・マゴット / 2008)より ◆
(実際の展示では僕も大木氏も47枚ずつのプリントを展示した。数まで示し合わせていなかったが、数えたら見事に同数で揃った!)