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3F/長期滞在者&more

19世紀(風)ギター

長期滞在者

新しいギターを買いました。
二十数年ぶり? 

家にあるタカミネのエレガットとVGの00タイプ(スチール弦)は、三十歳くらいのときに年末繁忙期の殺人的忙しさに心身が滅入り、なんかデカい買い物でもしないと心が死ぬ! という謎の消費欲求につられて購入したものです(二年連続で)。

当時、それまでギターを弾いたこともなかったのに、何を考えてのことだったか、理由はすでに忘却の彼方です。最初にエレガット(エレアコ仕様のクラシックギター)を買ってるところがなんかひねくれている感じ。エレガットですよ、初心者が買います? (プロかマニアが5本目くらいに買うやつですよね)
翌年の同じく死にかけ繁忙期にVGの普通のアコースティックギターを買いなおしているところからみて、エレガット購入はただの思いつきで、反省したのだと思われますが。*(注)

安いものを買うと続かないと思ったので両方無理して10万円くらいはするものを買ってるのですが、これが「続いた」かというと、まぁやめずにたまには弾いている、というレベルの話で良いならば「続いている」し、人前でどや顔で弾けるような感じではないド下手くそ、という意味ならば「続いて・・・る?」くらいにしか言えない。

二十数年間ぽつぽつとでも弾いていれば、それなりに進歩もありそうなものですが、三十代、四十代の頃は本当に仕事に忙殺されていて、今から思えばよくも死ななかったなと思えるくらいで、仕事に殺されそうになれば、こんなことで死ぬもんかと余計に仕事以外にも無理に時間を割き、(仕事ではない)自分の写真を撮り、徹夜で暗室に籠り、睡眠時間を削って本を読み、余計に我が身を酷使する。
だって仕事では死にたくないでしょう? 
仕事に蝕まれていたとしても、もし過労で死ぬなら好きなことをしている間に死にたい。いや、死にたくなんかないが。でも職場で死ぬのと、自宅暗室で死ぬのと選べと言われたら自宅暗室で死にたいよね。
いや、死にませんでしたが。死にたくもなかったし。
そんなギリギリの生活の中に、なかなか音楽を滑り込ませる余裕もなかったのです。
それでもギターを弾きたい欲は数年単位の大きな波で浮沈するのです。そんな波に乗ったらそのときは一所懸命弾くのですが、乗りかけたころに仕事の繁忙期に押しつぶされて半年弾かずじまい、とか、そんな断続の繰り返しでした。続けられなければ上達もしないし、確か数年前に最後まで弾けたはずの曲が、あれ、全然指も覚えてないわ、みたいな調子なのでした。

それが、新しいギターを買おうというくらいに、なぜ再燃したのか。

その前に、まずは、の話として。僕の手は男にしてはすごく小さいのです。手首との境界から中指の先まで17cm。何十人と比べたわけではないですが、僕の周囲にいる人と比べてみて、僕より手の小さい男性はあまり見たことがない。なのでギターを弾いていても、譜面の指示通りには指が届かない。
まぁ、弾けない理由を手の小ささのせいにして言い訳して、勝手に「向いてないんだなー」とか考えてますます弾かなくなっていたりもして。人間生きていくにはいろいろ言い訳が必要なのです。

そんなとき(ずいぶん前ですが)、以前働いていた飲食店に遊びに行ったとき、その店にギタリストの渡辺香津美がお客として来店したのです。たまたま。
渡辺香津美ですよ、渡辺香津美。敬意を表しすぎてあえて敬称略で書きますけれども。世界的偉人に逆に敬称は要りませんよね。渡辺香津美。ジョン・レノンをジョン・レノンさんとは言わないよね。だから渡辺香津美。
まぁ、達人ですよギターの。弾く人からしたら神みたいな人です。
思わず握手してもらったんです。『MOBO』大好きです~! って。
そしたら、あの渡辺香津美の手は、なんと僕より小さいんです。
びっくりしたー! 世界の渡辺香津美の手がですよ。手が小さくてギター上手く弾けないとか言い訳している全世界の下手くそギター少年の言い訳をすべて打ち砕く冷酷な事実です。
「失礼ですけど、すごく手が小さいんですね」
「ギター弾くのに、そんなに関係ないですよ、手の大きさとか」
・・・・そ、そうなんですか!(どどどーん! 衝撃の大きさを擬音で表してみました)

貴重な経験でした。
でもその体験が、逆に変な「縛り」になってしまったんですね。
手の大きさなんか関係ない。全部努力で乗り越えられる。むしろ手の小ささがありきたりな弾き方ではない独創を生んだのだろう。少年渡辺香津美は一日に二十時間ギターを弾いていたらしい。四時間しか寝てないのか。起きてる間ずっと弾いてるのか。努力しても天才にはなれないが、天才はたいてい恐ろしいくらいの努力をしているものだ。もちろん渡辺香津美になりたいわけではないが、それにしてもだ。僕には無理か。無理かもな。無理だろう。無理すんな。そだな。意気消沈。
・・・・・・。

で、最近、前に買った「アコースティックギターマガジン」の渡辺香津美特集号を読み返していて(こんな雑誌を買うくらいには今でもギターに愛着はあるのです)、そこに渡辺香津美の両手が実寸大で掲載されていたのです。当時の記憶に誤りはなく、やっぱり僕の手よりも一回り小さい。
それを見て、昔握手してもらった時のことを昨日のことのように思い出したのですが、同時に、大いなる間違いにも気づいたのです。

この手で世界的ギタリストになったのは渡辺香津美だ。

僕は渡辺香津美ではない。当たり前だ。
小さな手で自在にギターを弾きこなすのは超人的努力をしてきた渡辺香津美だ。僕ではない。
僕は音楽に関して凡人以下なのであるから、凡人には凡人の向き合い方というのがあるだろう。弾きたい曲(そんなに多くはない)を、弾きたいように、気持ちよく弾ける、そのへんの野望でいいのである。今から世界は目指せない(当たり前だ)。
世界を目指さなくてよい人が、ただ気持ちよく弾けるためにはどうすればいい? 
手が小さいのを我慢して無理をするなんて間違いである。
小さいギターを弾けばよい。
なぜ今までこの考えに到達しなかったのだろう。馬鹿だろうか。馬鹿なんだろうな。
そもそも僕より手の小さい人、女性ならいっぱいいるだろうに。その人たちはみなギターを諦めるのか? まさかね。手の小さい人用に弦長の短いギターというのはちゃんとあるわけです。気づけよ。

つまらない「無理だ」にとらわれず、ギターを弾きたい。
というわけで、弦長の短いギターを物色したのです。
いま弾きたいのはバッハなので、ナイロン弦のクラシックギターを探すのですが、もともとクラシックギターには手の小さい人用に弦長630mmというのがある(標準は650mm。僕の持ってるエレガットも650mm)。
600mmを切るような短いものもあるにはあるけど、そこまでいくと同じEADGBEのチューニングでは無理があるような気がするので(弦のテンションが緩くなる)、女性用とされる630mmくらいが妥当であろう。たった2cmと思えるけれど、それでも弦長が2cmも違えば全然違うのです。20年前からそうするべきだったな(言うまいよ)。

そして買ったのが、アリアが出している「19世紀ギター」風の小さなクラシックギター。
19世紀ギターというのはその名の通り、今のクラシックギターが楽器として完成の域に達する前の19世紀はじめに、今より小さく作られていたギターです。
その大きさを模して作られたのがアリアやマルティネスが出している「19世紀ギター風」のギター。弦長630mm、ボディも細く、全体に小ぶり。形からしてかわいい!(そしてそんなに高くない!)
決定打になったのは、youtubeで「目覚めよと呼ぶ声あり」(BWV.645) を弾いていたギタリスト岡本拓也氏の動画。そう、僕が今弾きたいのはこの曲なのです。この動画で彼が弾いていたのが「本物の」19世紀ギターなのですが、別に本物でなくても、その大きさ、形、スケール感がとてもいいなぁと思ったのです。重厚すぎない音も。
アリアが「19世紀ギター風」ギターを出していることは昔から知っていました。楽器店の店頭に置いてあるのを見たことがあり、なんかかわいいギターだなと思ってはいました。でもそのときはよくあるミニギターの類であろうと思い、弾きにくそうに見えたのでした。楽器店で試奏とか、よっぽど腕に自信がないと言い出しにくいでしょう?(笑

そんなこんなで、二十数年ぶりにギターを買いました。
達人になりたいわけではありません。人生の残り時間を考えて、弾きたい曲を何曲か考えて、それを実現するための最適解です。弦長短めのナイロン弦ギター。今さら指の開きから特訓している暇はないのです。
死ぬまでに弾きたい曲、というのを何曲かピックアップしました。ほぼバッハ。そうそう早死にできない程度の難易度です。楽しいぜ。下手だけど。




*注)しかし今から思えば、バッハを弾きたいなどという欲はこの時にナイロン弦ギターを購入していなければ湧かなかったわけですから、賢い勘違いだった、とは言えます。

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

好きなことが多くある人は豊かだなあ!と思うが、わたしの周りのその筆頭がカマウチさんである。
様々なものに興味を抱き、手を伸ばし、生活や思考、娯楽へ取り込んでゆく。
そうすることによってまた新たな回路が生まれてそれぞれが深まり、新しい楽しみ方も芋づる式に増えているのではなかろうかと思う。
絵、写真、音楽、文学、なんていう分野だけではなく、その中でも先でも、そこにいるそれらを生み出す人々への気持ちも深く広い。
カマウチさんは兎にも角にもいつも何か誰かのファンなのだ。
プロアマ問わず、いいと思うもの、好きなものが本当にたくさんあるのだろう。そう見える。そんな人生、めちゃくちゃ素敵だと思う。

そうして誰かのファンであるばかりではなく、そんなカマウチさんのファンもまた多くいらっしゃる。自分も勿論その一人だ。
今回は音楽(ギター)についての話であるが、物事を楽しむ天才を見れば(嫉妬する人は別にして)見ているだけでも楽しいものである。
うきうきと新しいギターを手にしているお話を、皆さんもぜひジワリと口角を上げつつ読んでいただきたい。

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