11階1111号室ー
入院当日は、電車の遅延で遅刻しそうになるなど、ハラハラした幕開けでした。1週間家を空けることや、面倒くさがりなパートナーの食生活がどうなるのかなど、心配ごともたくさんあり、ついつい常備菜を作りすぎてしまったり。でも、これから先は何があっても受け入れるしかないという覚悟のせいか、気持ちは前向きでした。
わたしに割り当てられたのは、病棟11階1111号室、スカイツリーが見える、窓際のベットでした。ぞろ目だし、わたし自身が1日生まれのせいか、とても縁起がいいと思いました。
初日は担当医3人から、それぞれ長い問診を受け、血液検査に、尿検査、心電図、胸部レントゲン、MRIの検査がありました。そして、退院まで時間を区切って飲水量と、尿の排泄量を測る検査が始まりました。
飲水量を測る検査は、普段から自分が飲んでいる量はだいたい把握していたので、10リットル前後になるだろうと予想ができていました。ですが、排泄量を実生活で測ることはないので、正直なところ自分がどれだけの量の排泄をしているのか、想像したこともありませんでした。
尿の排泄量は「ウロゼント」と呼ばれる機械に、尿を貯めて測ることになります。毎回トイレの際はいくつもの計量カップ(400ml)を個室に持ち込んで、こぼさないように慎重に採尿します。採尿したものは、ウロゼントを操作して、機械の中流し入れます。その都度、尿の量が画面に表示され、尿はどこかに貯められるような仕組みになっているようでした。
初日の検査は順調に進んでいるようでしたが、検査が進むにつれて気持ちがずんと沈んでいくのを感じていました。検査の合間に売店で買った8リットルの水を、数時間で半分近く飲みきってしまっていたからです。
普通であれば、4リットルもの水が足りるかなんて心配になることはないと思います。でも、わたしにはその量が明らかに足りないことはわかっていました。でも何度も売店で大量の水を買うのは心底恥ずかしく、かといって水を飲まずにはいられないので、どうしよう、どうしようと焦りだけが募っていました。
面会の時間になり、パートナーがお見舞いがてら2リットル分のイオンウォーターを差し入れてくれ、気持ちはだいぶ楽になりましたが、結局売店で水などをさらに買い足すことにしました。枕元に、13リットル分のペットボトルを並べて、これでなんとか一晩過ごせるだろうと安心するなんて、自分のことながら怖いと思いました。自分の体がそれだけの水を飲むことに慣れてしまっていたこと、どれだけ自分が水に囚われているのか、精神状態が左右されているのか、改めて自分の体がおかしいのだということを痛感しました。
夜間もトイレにいく回数はそれほど変わりません。1時間半おきに目が覚めてはトイレにしばらくこもりました。夜は寝ている時間もありトイレの回数は減りますが、その分一回の量は増えるもので、渡されていた採尿カップでは足りず、新たに追加してもらう必要がありました。驚きだったのは、一度で1.5リットルも排泄していたことでした。ウロゼントに数字が表示されるたびに、そんなことあるわけないと思いました。それだけの量を、膀胱に溜め込んでおけるのか、本当にそんなことが可能なのか?自分の眼の前で起きていることが理解できなくなるようでした。最初の24時間で、わたしは12リットルの水分を摂取し、摂取量よりも多く排泄していたことがわかりました。それだけの量の水は飲んでいる自覚はありましたが、まさかそれ以上の量を排泄していたとは、自分でも驚きを隠せませんでした。
2日目になると検査の結果も、少しずつ出てきました。MRIでは、担当医の予想通り、下垂体後葉から出ているはずのホルモンー抗利尿ホルモンーが分泌されていないことがわかりました。それと同時に、下垂体前葉に「できもの」があることがわかり、担当医たちにとっても予想外のことだったようです。もちろん、私にとっても寝耳に水でした。そんなことってありえる?予想もしていなかったことが、次から次へと起きて、その不安とうまく折り合いがつけられず、ノートや日記アプリに心情を吐き出してなんとか平常心を保とうと必死でした。
翌日の検査が、最も大変な検査だということは、入院前から知らされていました。腕のどこから点滴を行うのか、そしてどこから採血を行うのか、担当医たちは代わる代わる私の腕を観察し、どこがベストか話し合っていました。夕方ごろ、翌日の検査を円滑に進めるために、腕に針を刺しておくことになり、担当医のM先生は、苦労しながら私の右腕に太い大きな針を刺しました。腕を動かずたびに、腕のなかの針がちくりと動いて痛かった。
3日目は、朝一で「高張食塩水負荷試験」が始まりました。2時間の間、水分をとることなく体内に生理食塩水を点滴し、30分ごとに採血するという検査です。この検査の一番の目的は、体を無理やり脱水状態にし、負荷を与えた状態で抗利尿ホルモンの分泌量を確認するというものです。これだけ聞くと、大したことないと思うかもしれません。でも、これまで体験したどんな検査より、精神的にも肉体的にもつらい検査になりました。
この検査の間は身動きが取れないため、生まれて初めてカテーテルを挿入することになりました。また、左腕には採血のために別の針を刺すことになっていたのですが、M先生はあまり注射が得意ではないのか、もう一人の担当医に小さな声で「看護師さん激おこだよ」と言われているのが聞こえました。あとからわかったことなのですが、私の左腕からはかなり出血があったようで、シーツには大きな血の跡が残っていました。
生理食塩水は、通常の点滴よりも早いスピードで体内に注入しているため、右腕は内側からはち切れてしまうような、表現のしようのない痛みを伴いました。それと同時に、どんどん意識が遠のいていくのがわかりました。腕が痛い、体が痛い、頭が痛い、苦しい、吐きそう、ぐるぐると目が回る。こんなことしていることの意味がわからなくなる。あまりの苦しさに、涙が止まらなくなりました。30分ごとに担当医が採血のために戻ってきましたが、そのときだけは涙を抑えて、かすかに残る意識を集中させて対応していました。だけど、残りの30分ほどになったとき、ちらりと目に入った右腕を見て、すぐにナースコールを押しました。点滴が漏れ、腕がぱんぱんに腫れ上がっていました。針の位置を変えることになりましたが、もう我慢の限界でした。検査は少しだけ早く切り上げることになりました。
腕から針を外したあとは、たくさん水を飲むように言われました。でも、ひどいめまいで頭を起こすことすらできず、ストローを使って横になったまま水を飲み始めました。ものすごい気持ち悪さが右から左から、容赦なく殴り込んできます。飲んだものはすぐに嘔吐し、何度も飲んでは吐いてを繰り返しました。看護師さんはしばらくの間、私の背中をさすりながら、水をカップに注いでくれ、エチケット袋を交換してくれました。周りの病室の人も、気分がいいものではなかったと思います。一時間ほどすると、少しずつ脱水状態が改善されてきたのか、気持ちの悪さも軽減していくのがわかりました。
数時間ぶりに起き上がったとき、あの検査を乗り切れたことの嬉しさが、心の底から沸々とこみ上げてくるのがわかりました。左腕に残った乾いた血の跡も、ひどく乱れた髪も、真っ白に生気を失った顔も、なんだか無性に愛しかった。大袈裟かもしれないけれど、生きていることの喜びというのは、こういうものなんだと思った。そして、みずはいのちのみなもとなのだ、と空になっていくペットボトルを見ながら思いました。