ちいさなころからずっと
身体と意識の焦点をはずすと見えてくる世界に夢中になっている
その瞬間は 耳のなかに身体が吸い込まれていくような感覚から始まって
自分の中の音だけが鼓膜を震わせながら 世界を出たり入ったりしている
絶えず世界はまわる
すぐにはそれがわからないくらい緩慢に そして突然高速で
光が ものが 熱が 私が 世の中のものの全てが
一瞬に溶け込み 混ざりあって 姿を変え 形を変える
まばたきする度に 時間は少しだけ戻ったり止まったりしているようすで
こと が もの と して形をつくったり
もの が こと に 戻りその姿を溶かしたりしていた
空気の粒が繋がって上から下へゆらゆら落ちていくのがきれいで いつまでも見ていたかった
眠る前にはサイドボードの上の置き時計に混ざり そのまま漆黒の猫に姿を変えて
ゆっくりと闇に溶け込むのが大好きだった
私をかたちつくるものはこの世のなかのものすべてと同じものなんだと思った
個としての境界線が曖昧になることが気持ちがよかったんだと思う
以前「君の自我は人のカタチをしていないんだろう」と言われて考えたのは
私はある意味ではひとりの人格をもっている個体ではあるけれど
この世界にある あらゆるものと同じ 無数の元素 細胞 意識が集まる集合体として
それを形成し 自我を成り立たせているという認識が強いのかなということ
人と他物の相違を意識し自己を確立しているのではなくて
人と他物の相似を意識し自我を保っている
.
.
.
そしていま 私が作品を制作するあたって
もっとも意識しているのは「重なり」の作業です
鉛筆で点を打ったモノクロの世界
意識と無意識の間で滲み 撥ね 広がっていく色彩の世界
破いて捲った和紙の穴が膨らみ交差する世界
上辺を金色の連なりが交差し 漂う それぞれテクスチャの違う世界が
表からも裏からも幾重にも重なり 層となり
ひとつの作品を形作っています
私たちはみんな同じひとつの人間という「もの」であるにすぎず
表面から見えるものはさほどの違いはありません
「個」の存在に導くのは 私たちひとりひとりが経験してきた
数え切れない「こと」を「あいだ」がつなぎ 内包し 重なりあうことで
「個」の存在が導かれるのだと思います
私の作品は一本の木のようなものです
ただし木の幹の太さや 生い茂る緑 そこに集う鳥たちを
見てほしいのではありません
その木の年輪を
木の内側の重なりを感じて欲しいのです