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3F/長期滞在者&more

真夜中のトイレと死神

長期滞在者

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10月1日から、また入院する。

これまでホルモンの補充療法を続けていた中枢性尿崩症とは、まったく別の難病を発症している疑いがあり、再度一週間の検査入院することになった。1ヶ月前にはこんなことになるなんて想像すらしていなかったけれど、今このタイミングで入院することになってよかったとも思う。正直にいうと、自分の体が少しずつシャットダウンしていっていることには、少し前から気づいていたし、自覚症状はたくさんあったから。

止まらない頭痛、えぐられるような眼痛。コントロールできない倦怠感、無気力感、憂鬱。自分が好きなことも、真面目に取り組みたいことも、仕事もまともにできない。そもそも起き上がれない。朝目覚めることができない。体重は2週間のうちに7キロ増えたし、円形脱毛が見つかったと思ったら、全体的に髪が薄くなり始めた。腹部の膨張感、吐き気、めまい。食べられないものが増えてきて、食べ物をきちんと消化できなくなってきた。それに、ストレス耐性が著しく低くなった。小さなことにイライラして、我慢が続かない。電車の中もオフィスの中も、ただその場にいるだけで辛くなった。

それらのことが、少しずつ、確実に力を強めていると感じていたし、自分が心身ともに弱っていっていると自覚していた。まわりからはそのように見えなかったかもしれないけれど、死神がどんどん忍び寄っている感覚がどこかにあった。だから、夜中にすごく怖くなったし、不安になった。死ぬということをこれまで以上に強く意識し始めた。

特に怖いのは、夜トイレに立つとき。重く痛む頭をなんとか支えながら用を足した後、鏡に映る自分の顔をみて、死ぬってどういうことなんだろうって度々思うようになった。わたしがいなくなるってどういうことなんだろうって、わたしの意識がなくなってどういうことなんだろって。ふと、この鏡にわたしの顔が映らなくなることだ、と気付いてそのことにゾッと寒気がした。

もちろん、わたしがいなくなった世界が、今日や明日と同じように続いていくのはきちんとわかっているけれど、死ぬということが他者のことではなくて、自分のこととして、初めて恐ろしく思えた。はるか昔から、人々が恐れていたのは、この得体の知れない感覚のことなのかもしれない。この怖さを体感して、はじめて人が神と呼ばれる存在に救いを求めるわけを少し理解できた気がした。

なにせ、祖父や祖母が亡くなったときとはわけが違うのだ。わたしが死んだら、今この声を発している存在がいなくなり、わたしの目線から見える世界は途絶えてしまうのだから(、と思われる…)。主体のないわたしの残像だけが、少しの間この世に残って、静かに消えていくのだろう。(少なくとも、わたしを愛してくれた人々がわたしを覚えていてくれる間は。)

ドラマや映画、”一般社会”において、病気になった人は前向きに病気と向き合って乗り越えるべき、というような風潮がある。実際、わたし自身も、そんな風に自分に言い聞かせることもある。ネガティブになっていても、悪化するだけだって。それに、周りの人をげんなりさせてしまうって。だけど、そういう「強くあろうとする」気持ちは長くは維持できなくて、すぐに疲れが出る。もう嫌だって思う。この世の中には、わたしの病気よりももっと痛くて、もっとつらくて、どうしようもない症状を抱えている人がたくさんいるということもわかっている。こんな程度の我慢もできないのかって、また自分を責める。このサイクルの繰り返しだ。

正直、こういう負のサイクルにもだいぶ疲れていて、人のことを考えたりする余裕がなくなってきている。それがいいことなのか、悪いことなのかは今はわからないけれど、少なくとも今自分にできることをやるしかないと思うようにしている。辛い気持ちをごまかすことも、我慢しろと自分に言い聞かせることも、無理にポジティブになろうとすることも、今のわたしにはできない。体力的にも、精神的にも。だから、たとえ人に迷惑をかけていたとしても、なんだあの怠け者と陰口を言われていたとしても、今の自分にできることしかできなくていい。それくらい開き直らないと、今のわたしには生き続けることすら辛いのだ。日常生活では、こんなことなかなか口には出せないけれど、せめて文章の中では叫ばせて欲しい。

ねえ、こういうのって、本当にネガティブなことなんだろうか?わたし史上、今がもっとも自己肯定感が高い気がしている。病気になって、我慢できないとろこまでこないと、こんな風に開き直ることすらできないという事実はひどく悲しいけれど、辛いことを認めて、我慢しなくなって楽になれたのも、また事実なのだ。ここまで素直に自分を受け入れることができたのも、初めてのことだ。矛盾するようだけれど、不思議な現実。

今でも、鏡を見ることが怖くなる夜もあるけれど、入院すること自体は怖くない。少なくとも、今よりは体が楽になるような治療法がなにかしら見えてくるはずだから。そしたら、真夜中のトイレにまでついてくる死神の影に怯えることは少なくなるかもしれない。死神の存在は常に意識の中にあるけれど、もう少し適切な距離間をキープできたらいいなと思う。せめて、数百メートルくらいは離れていて欲しい。

どうか、来月の今頃にはもう少し元気でいられますように。だから今は、少しでも病院で気持ち良く過ごせるように、新しくワンピースを縫おうと思う。

Maysa Tomikawa

Maysa Tomikawa

1986年ブラジル サンパウロ出身、東京在住。ブラジルと日本を行き来しながら生きる根無し草です。定住をこころから望む反面、実際には点々と拠点をかえています。一カ所に留まっていられないのかもしれません。

水を大量に飲んでしまう病気を患ってから、日々のwell-beingについて、考え続けています。

Reviewed by
山中 千瀬

うまく言えないけど、すてきなワンピースが仕上がりますように

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