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3F/長期滞在者&more

ビザの更新について

長期滞在者

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今年で、日本で生活を始めて通算24年になる。私の短い人生の大半は、この国での生活が占めている。少し気が早いけれど、12月に切れるビザの更新のために、心の準備を始めないといけないなと思うような時期にさしかかってきた。

外国人として、この国に生きる以上、わたしにはビザの更新というdutyがつきまとう。もう、子どもの頃からなんども経験していることで、慣れっこではある。手続きだって慣れたもんだし、これまでいろんな地域の入管のお世話になった。だけど、ビザを更新するというのは、とてつもないストレスを伴うのは否定しようがない。24年この国に生きていても、ビザの更新の時期になると、見知らぬ土地に足を踏み入れる前のような、言いようのない不安に襲われる。もし、ビザが更新できなかったら?わたしは、ずっと暮らし続けているこの国から、速やかに退去しなくてはならなくなる。これまでの長年の生活拠点が一瞬にして、煙のように消えてしまうのだ。

幸い、これまではそのような経験をしなくても済んできた。だけど、今回もそうなるとは限らない。そういう不安は常にある。じゃあ、帰化したらいいじゃないの?と思う人もいるだろう。だけど、わたし個人は帰化を望んでいない。日本で育って、日本で働いているけれど、わたしには在日日系外国人であるということが、とても大事だ。わたしは、多少苦労しても、そういう自分でい続けたいと思う。

帰化が嫌なら、永住ビザをとったらいいじゃない?
永住ビザ?
そう、永住ビザ。
永住ビザか… …

正直に言うと、永住ビザを取ることに対しても、ポジティブな感情を持っていなかった。だけど、最近、自分の心に変化が見られるようになってきた。以前は、日本で暮らし続けることに対して、自分自身が拒絶反応を示していたの。ラブアンドヘイトの関係みたいなもので、この国は好きだけれど、嫌い、住み続けたいけれど、こんなところ嫌だ、みたいな。今は、もっとオープンに、そういうことを考慮してもいいかもしれないという考えにシフトしてきている。

以前は、帰化することや、永住ビザを取ることは、日系外国人であることの、コアな部分、大事な部分を失うと言うか、奪われてしまうような感覚があった。幼少期に外国に渡ると、外国人としてのアイデンティティ形成は難しいし、言語能力の形成という点でも、非常に曖昧な状況に陥ることが多い。中途半端な人になってしまうというか。(少なくとも、わたし自身はそういうグレーな存在として成長してきた)もしかしたら、こういう感覚って、今日本で育っている子どもたちにはないのかもしれないけれど、わたしには外国人として日本でのびのびと成長することはできなかったから、自分とは異なる人々の真似をして、様々なことを内面化して生きていた。そういうこともあり、わたし自身のマインドでは、わたしは日系外国人としてのアイデンティティも、ポルトガル語の能力も、健康的なメンタルも、日本でマイノリティとして生きることにより、奪われたという感覚があったわけだ。

10代、20代はそういう「奪われた感覚」を強く感じていきていたのだけれど、30代に足を踏み入れてから、少しずつ少しずつ、「奪われた」という感覚が、別の何かに変化してきている気がしている。図々しさなのか、それとも心の余裕なのか、その理由を知るためには、もっと分析したり、自問自答が必要だと思う。それに、その感覚自体をなんて形容すべきなのかも、まだはっきりしていない。でも、わたし自身がもっといろんな可能性にオープンになっているというのは、強く感じている。あと、物事のメリットを、自分の感情を一旦脇に置いて、冷静に捉えることができるようになったのかもしれない。

そうとは言っても、永住ビザが得られるか否かは、わたしが判断するわけではないし、いばらの道でもある。永住ビザがとれるとは限らないし、たとえ通算24年間日本で生きていたとしても、今現在のステータスではそのビザの取得が難しいというのはわかっている。ただ、永住ビザの申請にチャレンジすることで、新しい可能性が広がってくるのではないかな、思えるようになってきたのは、わたしにとっては大きな心の変化だ。ビザ更新のストレスを軽減や、病気であることに対する不安も少しは減らせるかもしれない。なにより、パートナーと一緒にい続けることができるという安心感を得られることは非常に大きい。日本では、婚姻関係を持てないからこそ、別の形でも一緒にい続けられる方法を模索したいと思ったら、永住ビザのことを考慮してもいいのかなって思えるようになってきたのは、別に不自然でもなんでもなく、当然のことのようにも思える。

それが邪な考えなのか、至極当然の考えなのかは、まだ今はわからない。だけど、自分自身が30年以上に渡り培ってきたアイデンティティは、誰にも奪えないものなんだとわかってきたからこそ、それ以上に大事なパートナーシップや、二人のwell-beingのための安心感、そういった生活の質を向上させるもののために力を尽くしていきたいというのが、今私の純粋な願いなのかもしれない。

今年は永住ビザの申請はできないけれど、maybe next year? or maybe another year? 物事の考え方は変わるし、来年には日本を出ようとなるかもしれない。実際には何も断言できない状態だけれど、それくらい柔軟に考えてもいいのかもしれないという、今の自分の気持ちには、自分自身でも驚きを隠せない。「奪われた」という感覚がなくなってきたことのほうが、もしかしたら日本に滞在できる長さよりも大事なような気さえする。

いずれにせよ、今年の後半にかけて、ビザの更新でヒヤヒヤすることになるだろう。今から心の準備をして、粛々と手続きを進めていこうと思う。

Maysa Tomikawa

Maysa Tomikawa

1986年ブラジル サンパウロ出身、東京在住。ブラジルと日本を行き来しながら生きる根無し草です。定住をこころから望む反面、実際には点々と拠点をかえています。一カ所に留まっていられないのかもしれません。

水を大量に飲んでしまう病気を患ってから、日々のwell-beingについて、考え続けています。

Reviewed by
山中 千瀬

わー、このひとがどんどん変わっていくのを、変わるを選んでゆくのを、きらきらながめていたい、という気持ちになる。「変わること」と「じぶんの大丈夫さを知ること」がとても近く見えてかっこいい。そして、「変わること」と「それまでを捨てること」は違うんだったな、そうだったそうだった。とおもう。みんな、すべて、うまくいきますように。

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