日本にいると忘れてしまいそうになるけれど、本来わたしたちはとても多様で、とても違っている。イギリスのヒースロー空港に着いたとき、肌の色もちがう、信じる宗教もちがう、バックグラウンドもちがう、そういう人種の多様性に驚いた。だけど、わたしだって本来そういう多様な組み合わせの中から生まれた一つの個。忘れたらいけないことを、日本の中にいるときには呆れるほど華麗に忘れてしまう。
最初は戸惑いすら覚えたその雑多さが、数分後には逆にとても心地よくて、癖になりそうだった。知ってる、この感じ、そう思った。
ブラジルに引っ越したばかりのころ、まわりの誰もがちがうことにとても大きな驚きを感じたけれど、それもほんの短い間のことで、すぐにそのちがいが当たり前であることや、心地のいいことだと、心が感じて、身体がおぼえた。そのときの、新鮮な気持ちがぶわっと自分に襲いかかるので、空港の中で涙がでそうになった。仕事の人々と一緒にいたからこそ、振る舞いは無意識的に日本に合わせたものになっていたし、ぐっと感情を押し殺したけれど、ひとりだったらもっと自由に感じられただろうし、もっともっと自然に自分の環境を楽しめただろう。パートナーと一緒だったら、ふたりでそのままイギリスに留まったかもしれない。
久々に海外に出て、やっぱりわたしは外に向かっていくなにかを心の中に持っているのだなと再確認した。このままでは、いつか心が死んでしまう。そとへ、そとへ。わたしが日本のそとへ再び出ていくのは、やはり時間の問題だろう。