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3F/長期滞在者&more

続く災難

長期滞在者

最近怪我づいているのです。
3か月くらい前に自転車同士の事故で手首を痛め、いまだに右手首に装具を着けて暮らしています。
僕は普通に車道左側の自転車通行帯を走ってたのですが、脇から急に出てきた相手が何の躊躇もなく通行帯の中を逆走してきて正面衝突。二人とも地面に転がりました。あれは避けられんわー。
こっちは右手首と肘を打撲。あと、買ったばかりのシャツが裂けた。ファッキン。
でも向こうの方が怪我は重傷で、両膝から血を流して座り込み「がーっ!」とか「ちくしょー!」とか叫んでる。なんか迫力のあるスキンヘッドの大男です。
僕はちゃんと救急車と警察を呼ぼう、と言ったんですが、たぶん相手はお酒入ってたんでしょう、入道のような大男は、救急車なんかいらん! と聞きません。
「呼びましょうよ。立てないでしょ?」
「立てるわい。・・・(よろける)」
「ほらー。血、出てるじゃないですか。呼びましょ、警察も」
「いらん言うてるやろー」
「いらんとか勝手に決めないでください。言っちゃ何ですが、ルール上はあなたが悪いんですよ」
「なんでやねん」
「道交法では自転車は車道の左です。僕はちゃんと走ってました。であなたは逆走でしょ」
「そんなん知るかいな」
「知るかいなも何も、ルール上はそうです」
「あんた関東の人間か」
「アマ(尼崎)ですけど」
「道交法がどうとか言うのは関東の人間や」
「なんでやねん(思わず笑)」
「関西ではな、こういうのは、なぁなぁや」
「なぁなぁ?」
「お互い様いうこっちゃ、はよ行ってくれ」
「救急車呼びます」
「そんなもん呼んだら俺、負けるやんけ」
「(わかっとるやんか)でも立てないんでしょ」
「立てるわーい(よろける)」
「ほらー」
「うるさい、もうええから」
「怪我してる人を置いて行けるわけないでしょ」
「兄ちゃん怪我は?」
「僕は大したことなさそうです」
「自転車は?」
「まぁ、見たところ無事そうですね」
「ほなええやんか。行ってくれ」
「行けるわけないでしょ」
「うるさい、行け!」
という、コントのような会話の末に、追い払われるようにその場を去ったのですが、後から手首の痛みが酷くなり、やっぱり警察呼ぶべきだったと激しく後悔。TFCC損傷という長引く怪我です。そして自転車もあとから見たらディスクブレーキのローターがガタついてたし、ブレーキレバーも歪んでるし、その修理に安くはないお金がかかった。いいことなしです。はぁ。
警察を嫌がるのは彼が酒気帯び(自転車とはいえ)だったからで、そこにちょっと情けをかけてしまったのが駄目だったなと後悔。
事故ったら何があっても警察へ連絡。痛い教訓です。

・・・・・・

で、その手首の痛みも完治せぬ間に、また新しい怪我をやってしまったんです。数日前に。
これは僕の凡ミスです。仕事中の話ですが、照明器具のスタンドを片付けているとき、うっかりスタジオの壁に当ててしまったんです。当たって跳ね返ったスタンドについてた金属パーツ(アルミの板状のもの)で、右の眼球を損傷してしまいました。
当てた瞬間にヤバい怪我だと感じました。経験のない痛さが右目に。ぬぬぬ。
結論から言うと角膜の一番外側(角膜上皮)を切っただけですが、もう少し当たりが深かったら視力に関わる怪我になっていただろうと言われました。ぎりぎりセーフです。
視力に関わらない怪我とはいえ、上皮の切れて浮き上がった部分が瞼の裏にこすれてじっとしてても激痛が走ります。ほんと、目は焦りますね。怖いです。診察を待つ間も気が気じゃない。色々考えてしまいます。
右目の視力を失ったら、写真は撮れるだろうか。立体視できなくなっても、二次元から二次元に切り取るだけだから大丈夫かもしれない。それより自転車だ。片目の視力を失ったら自転車は無理ではないか。立体視出来ない目で自転車はヤバいな。それとも訓練でなんとかなるんだろうか。乗れないのは困るな。いやほんと困るな。写真の撮れない人生も困るが、自転車乗れない人生も困るよ。鬱々。

数日、治療用のコンタクトを入れて(傷口の浮きを抑えて、また瞼と傷との接触を遮るため)、家でほぼ寝ていました。だって片目だとすぐ疲れて本も読めないし。音楽聴くといっても、一日中聴いてても飽きるしね。寝て、聴いて、寝て、聴いて。飽きるし太るわっ(泣
かなり痛みもなくなってきたころ、音楽にも飽きて外をうろうろ歩いてみたら、なんと、一点に焦点を合わせ続けない、という意味で「外を歩く」というのが傷ついた目には優しい、ということを発見しました。もうちょっと早く気づけよ俺。ひたすら歩き回っていれば太らずに済んだのにな。また十三先生(先月の記事参照)に叱られるなぁ。

怪我続きの僕に、みな口を揃えて「厄払いに行け」と言うのですが、そして近所には門戸厄神という有名な厄除けの神様もいらっしゃるのですが、そうですねぇ。行った方がいいかもしれないな。
信心というものに無縁な僕ですが(『おたんこナース』で似鳥が歌う「私は看護婦、科学の子ー♪」という歌が好きです)、信心ではなくとも、参拝する(わざわざ足を運び、これまでの不注意を反省し、そして幾許かのお金を払う)ことによって、せっかく参ったんだからこれで事故ったら損する気がする、という変な引き締め効果があるような気はします。信心は無意味だ、と考えるのではなく、多少プラシーボ的でも、肯定的な心の持ち様で「神頼み」を考えると意味はありそうです。行くか、門戸厄神。

・・・・・・

というような災厄がありましたが、今のところ目もかなり良くなってきて、元気にはしております。
ともあれ今年最後のアパートメント記事更新がこんなしみったれた話題とは情けない。申し訳ございません。
来年は変なこと起きませんように。みなさま良いお年を。僕もぜひ良い年を(切実)。

12月に撮った写真を少し載せておきます。

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

いやなことって不思議と連鎖しますよね。
怪我が続く、という経験は自分にはあまりないのですが、全く関係のないよからぬことが続くということはよくあるように感じます。

つい先日、職場でヒヤリハット報告が1日に急に4、5件提出された日がありました。

それぞれ別の人が発見したり遭遇したもので、そこに関連性はありませんでした。

たまたま上司不在の日で、上司のいない日に限って(誰かがなにかを手を抜くとか気を抜くとかそういう原因があるわけでもなんでもないのに)こんなことが立て続けにあったりするわけです。

わたしも詳しくはないのですが、星読み(星占学)の世界では、この年末、ちょっとしたいわれのある時期らしく。
そう、ただ今ソレの真っ只中なのですが、「水星逆行」という時期にあたるらしいです。
この時期は電子機器が壊れやすいとか通信や交通が阻害されやすいとか、コミュニケーションの齟齬がでやすいとか、確かそういういわれがあるそうな。
(うろ覚えなので詳しく知りたい方は検索してみてください)

わたしもつい最近まで知らなかったんですが、その辺りに少し詳しい自分の担当の整体師さんが雑談混じりに教えてくれて、前にちょっと調べてみたりしたのでした。

厄払いというのもひとつですが、なにかそういう、でけぇ流れのナニカもあるのやもしれません。
深く信じる、ということはなくとも、星占学は統計学とも言われたりなので、「何かあるんかもな、起こりやすいんかもな」くらいの気持ちでは見ていたりします。
怪我の早期回復をお祈りしつつ。

カマウチさんも、みなさまも、年末年始どうぞ楽しくご安全にお過ごしくださいね。
そして本年もありがとうございました。良いお年をお迎えください。

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