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人間関係と人生と

メニハ ミエヌトモ

我が家に猫が家族として加わった。

実は1月に犬を飼う計画を家族で立てていた。

どの犬種がいいのか、ペットショップで飼うのかそれともブリーダーで飼うのか、どのタイミングで飼うのか、そんな本格的な計画を少しずつ立てていたのだが、その計画はあっさりと打ち破られ、我が家には猫が来た。

犬を飼う計画が進められる前、私の娘は猫を飼うか犬を飼うかでとても迷っていて、どちらにしろ子犬か子猫の段階から飼いたい、と言っていた。

主人も私も犬しか飼った経験がなく、特に主人は犬派のため
「やっぱり犬がいいよー。お出かけも一緒にできるしさ」
などと言っていた矢先だった。

が、今回家族として迎え入れた猫は子猫でもなく(1~2歳位だそう)、しかもすぐ近くのお寺に野良猫としていた猫だ。

そのお寺には野良猫が数匹いて、猫を見る目的で娘とたまに遊びにいっていたのだが、その猫は野良猫なのに何故か娘にとてもよく懐いて、私達が帰る素振りを見せると鳴き出し身体を一生懸命摺り寄せてきた。

それはもう、見ていて切ないほどに。

また別の日に遊びにいくと、その猫は小走りで私達に近寄ってきた。

もしかしたら今まで誰かに飼われていたのかもしれないね、なんて娘と話していたのだが、お寺の猫に詳しい人の話によると、お寺の敷地内にある作業場で生まれた猫だという事が分かった。

私達がそっと近づくと他の猫が逃げる中、その猫だけは近づいてきた。

そんなこんなの日々が続き、とても悩んだ末(といっても数日悩んだ位だけど)私達はその猫を家族として迎え入れる事にして、名前も「くり」とつけた。

「くり」はさび柄の猫で、娘に言わせるとそれが「栗」っぽいらしい。

今は私達も猫もお互い慣れてきてなかなか良い関係じゃないかな、と思っている。

けれども縁って不思議なものだな。
あんなに計画を立てていたものがあっさり崩れたのだから。

閑話休題。

えーと腸内細菌の話ね。

突然だが、人間関係と腸内細菌の仕組みは非常に似ていると私は思う。

「人が10人集まったら、自分に合う人が2人、合わない人が1人、残りはどちらでもない人」という統計がある。

統計なので勿論その数字は偏ることがある。

が、偏る事はあるといえども、この配分が実に腸内細菌の配分と似ているように思えて仕方がない。

腸内の菌は人間用語で大きく3つに分けられる。

それが「善玉菌」「悪玉菌」「日和見菌」というもの。

腸内細菌は常にゆらいでいて、健康体の場合、善玉菌が極端に増える事や悪玉菌が極端に増える、という事はあまり無いらしい。

で、日和見菌という菌は自分軸があるような無いような菌で、周りに非常に影響を受けやすいのだが、腸内細菌のカギを握るのは善玉菌や悪玉菌の力は勿論の事だけれど、実は「日和見菌」の存在が大きい。

一般的に「善玉菌」「悪玉菌」「日和見菌」の割合は2対1対7、と言われていて、これらのバランスが取れている事が良いとされている。

これを知った時、私は意外だな、と思った。

ついつい善玉菌を増やそうと躍起になるのだが、善玉菌はある一定の数以上は増えず、善玉菌が元気になる食べ物を食べても、善玉菌は元気になるけど、数が増えるわけではない。

で、鍵となるのが「日和見菌」の存在。

善玉菌が元気になって力が付くと、どうやら日和見菌はこんな行動をとるらしい。

ここからは日和見菌劇場。(=私の妄想)

「最近さあ、善玉菌がキテルよねー。っつーか悪玉に影響を受けるやつ、ダサくない!?」
と言いながら日和見菌は嬉々として、善玉菌の影響を受け、善玉菌の働きに加担し始める。

すると腸内環境は善玉菌の影響を受けた日和見菌のお陰で、とてもよい環境になるのだが、勿論その逆もあるわけで。

悪玉菌の勢力が強ければ、日和見菌は手のひらを返したように
「やば、最近の悪玉、クール!」
と悪玉に加担し、腸内環境は悪化の一途をたどる。

日和見菌とはそんな菌。

だから例えば悪玉菌が勢力を増している所へ、どんなに善玉菌が声を上げて演説した所で、日和見菌は「あー、ハイハイ。なんか言ってる。」と見向きもしない。

・・・なんだか、人間の世界と似ている!!!

そう思った日和見菌気質の私は、妙に腸内細菌に親しみを覚えてしまい、腸内細菌について調べ始める事となるのだがこの世界がまた面白くて。

そもそも何故、悪玉菌と言われるものが腸内に住み着いているのか?

人間の体にとって好ましいと思えない作用をするのなら、なぜ外に出されず住み着いているのか?

暫く私はその事を考えていたが、ある時、悪玉菌は悪玉菌の役目があり、しかも悪玉菌がいてこそ善玉菌は強くなれる。

という事を知った時、人間社会の縮図だな、と思った。

「必要悪」という言葉がある。

そしてこの世の中には対照的な存在が必ずある。

例えば小指を骨折してしまった。
小指の存在は普段はあまり気にも留められず、親指ほど大事に思われない事がある。

が、小指の骨折によって小指の重要さが分かり、小指が使えないと非常に不便である事を知り、小指のありがたさが身に沁みる。

悲しい出来事があるからこそ嬉しさが身に沁みるし、(本当はあってはほしくないけれど)戦争があって平和がある。

世の中には対照的な存在が必ずあって、対照的なものがあるからこそお互いが引き立つ。

善玉菌も悪玉菌もそんな関係なのかもしれない。

例えるなら中学校があって、そこには必ずといっていいほど何人かやんちゃな子がいる。

そのやんちゃな子がものすごく影響力が強くて、先生や親も太刀打ち出来ず、やんちゃな事が増えていったら、その学校はビーバップハイスクールの世界になる(表現古くてごめんなさい)。

その逆だって勿論ある。

優等生が多い学校はやんちゃな子は小さくなっているしかないだろう。

けれど、やんちゃな子は実は優しい、とか情が厚い、なんて話は聞いた事がないだろうか。

逆に、優等生と言われているような子が実は要領がいいだけで怠け者だったり。

善玉菌と悪玉菌もどうやらこんな感じらしい。(と、いう内容の事を腸内細菌研究者の福田真嗣さんがおっしゃっていました。)

善玉菌の種類ではあるが、さほど仕事をしない菌もいたり、悪玉菌と呼ばれる種類ではあるが、人間にとって良い働きをするものであったり。(ちなみにここ最近、ずっと悪玉菌だと思われてきた一部の菌が、実は人間にとって有用な働きをする事が分かったそうです。菌の世界はこの先も色んな発見があるのでしょうね。楽しみです。)

因みに「大腸菌」と聞くと、多くの人が「悪いもの」という印象を持つと思うのだが、実は大腸菌のほとんどは害がないという。

ただ、実際に悪さをする「病原性大腸菌」は勿論ある。

そして大腸菌は薬を作るために役立っていた、という事を知った時正直に驚いた。(この辺りの知識は無いし、今はどうなのかは分かりませんが)

だからね、何が良くて何が悪いって線引きできるものではないのだなあ、と腸内細菌を通して思ったりする。

その時は嫌で嫌で仕方がなかった人が、時を経て振り返った時、あの人のお陰で強くなったよなあ、などという経験はないだろうか。

どん底に突き落とされたような経験や辛かった事は、時を経て振り返った時、気が付けば自分の糧になっていた、という経験はきっと誰だってあると思う。

その時の自分にとっては苦痛でしかないものが振り返った時、それは自分の人生に実は必要不可欠なものであった、そう思える瞬間がある。

例えばゴキブリを見たら思わず叫んでしまうし、何でこんな虫が存在するのだろう、などとその時は思ってしまうのだけれど、物事を大きく眺めた時、ゴキブリはこの世の中のサイクルに必要な虫だったりする。

人間にとっては嫌なものだけれど、他の生物にとっては必要なもの。

人生で例えるならば、その瞬間は嫌なものだけれど人生全般においては必要なもの。

悪玉菌の存在を考えたとき、必ずといって良いほど私はそんな事を考えてしまう。

人間にとって、一見悪玉菌は良い存在とは言えないかもしれないが、菌の世界ではきっと必要な存在なのだと思う。

だからこそ人間の腸内にいるのだと思う。

ただ、人間にとっては悪玉菌の勢力が増し、日和見菌が悪玉菌に加担すると都合が良くないのも事実。

だから日和見菌が善玉菌に加担するように食べ物の「選択」をするちょっとした日々の努力が、人間側に必要となる。

でも努力するのは最初のうちで、腸内バランスが良くなれば不思議と味覚も変わるし、食の好みも変わる。

不思議な位変わる。
ほんと、自分の意志なのか腸内細菌の意志なのか分からない(笑)。

そんな事を考えていると、人生においても環境って大きいなとふと思う。

例えば今の自分を何とかしたくて行動を起こすとき、環境を変える事は多いのではないだろうか。

そしてどんな「環境」を選ぶのかは自分の選択次第だし、その環境に馴染むまでは少しばかりの努力と時間が必要だ。

ちょっとした日々の選択は沢山あって、どんな選択をするかで人生は進んでいくと思うのだけれど、それは腸内細菌の世界においても同じ事が言える。

そう考えるとお腹の中にいる菌の世界がなんとも愛おしくて、お腹の中の菌のために、菌が喜ぶご飯を食べようと思ってしまうのだ。

そうしているうちに、菌の方からちゃんと指令がくる。

それが「無性に〇〇が食べたい!」という感覚。

因みに、この「無性に〇〇が食べたい!」の〇〇の中に入る食べ物で、何となく今の腸内細菌の状態が分かる。

人間は菌無しでは生きてはいけない。

そして菌の世界を考えたとき、本当に悪いものって一体何だろう?と思ってしまうのだ。

自分にとって悪さをするもの(菌)は、結局自分自身が招いている場合が多く、自分の正すべき方向を教えてくれていると言っても過言ではない。

それになかなか気が付かなかったりする事も多いのだけれど・・・(笑)。

だけど、腸内細菌だって人生だって変える事は可能だ。

あとは自分の意志と小さな1歩、そしてしばしの継続。

さて、次回は私の愛して止まない麹の話をしようと思う。

そろそろ新しい大豆が出来上がり、味噌を作る季節がやってくる。

何て楽しみなんだ!!!

では今回はこの辺りでおしまい。読んで下さった皆様、ありがとう。

カヲリグサ

カヲリグサ

目には見えないけれど、確実に存在するもの。
その中の1つに発酵があります。
発酵を通して見えてきた、私なりの解釈と世界観です。

Reviewed by
はしもと さゆり

猫を飼いたい。こう、自分の意図や意思がそうそう通じない相手と与えたり与えられたり、可愛がったり無関心になったりしながら、何の因果か同じ空間で暮らしてみたい。

カヲリグサさんいわく、人付き合いの世界では「人が10人いたら、自分に合う人が2人、合わない人が1人、どちらでもない人が7人」という説があり、腸内細菌の世界では「善玉菌、悪玉菌、日和見菌の割合は2対1対7」と言われるらしい。

合うモノ合わないモノ、どちらでもないあれこれと付き合いながら、逃げられない自分を煽てて慰めて、少しでも長い瞬間をご機嫌に暮らしていきたい。

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