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心と菌???

メニハ ミエヌトモ

秋の季節は嬉しさがこみ上げる。

特に柿が店頭に並び始めると、梅の時期同様にソワソワし始めるのだけれど、
梅の時期と違うのは「見切り品」に柿の袋が置かれるのを待つ、と言う所だ。

そう、私が柿を見てソワソワするのは「柿酢」をつくるため(笑)。

本当は庭に植えられているような柿がベストで、ラッキーな年は
知人から沢山頂いたりするのだが、それが無い時は見切り品の柿をひらすら狙う。

柿酢には、食べられない程に熟成した柿であればある程都合が良くて、
その柿のヘタを取って皮をむいて(無農薬のものであれば皮ごと)
口の大きい瓶に入れて軽く潰したら準備はOK。

確実に空気中の酢酸菌をゲットしたい時はレーズンを3粒位エサとして一緒に入れ、
瓶の口を布やキッチンペーパーで覆ったら完成。

さあ来い、酢酸菌!

気分は狩猟民族(笑)。

狙っているのは空気中にいる、目に見えない酢酸菌なんだけど。

でもその目に見えない酢酸菌が視覚化する位になった時、
やっぱり感動しちゃうんだよね。

で、酢酸菌に「ありがとう」とつぶやいている自分がいて、
どうして「ありがとう」と思うのだろう、と思った事があって
暫く考えたのだけれど、何て事はない、ただ単に感動させて
もらった事に対してなんだろうな、という結論に至った事がある。

そして毎年私は感動する。

さて、今年は日本が天災による被害が相次いだけれど、
私が住んでいる仙台も7年前に大きな地震があった。

大きな津波、原発の問題。

それらの影響は未だに続いていて、7年経つけれど
被害の大きかった所は震災前に比べるとまだ寂しい部分があるし
あの時背負った色んなものを抱えながらも皆、
自分の置かれた状況で今も一生懸命に生きている。

私の周りにも福島から仙台に避難してきて数年後、
福島に戻った人もいるし、とりあえず家族で非難したものの、
そのまま家には戻る事が出来ず、仙台に住む決意をいた人もいる。

そして、大切な人を津波で亡くしたけれど、姉妹で力を合わせて生活している人もいる。

あの時は本当に一体何が起こったのか理解するまでに時間がかかったし、
受け入れる事にも時間がかかった。

特に被害の大きい場所にいた方々は尚更だと思う。

震災後、私は放射能の影響から娘をどうやって守っていけばいいのか
必死に情報を集め、調べたのだが、そんな時目に付いたのが「発酵」だった。

味噌を食べる事、そして免疫を高める事、それには腸内を整える事、
という所まで調べた私は、まずは糠漬けを作る事にした。

ここで面白いのが発酵物って本当に作る人によって全然味が違って、
糠漬けに至っては個性がすごく出るという事。

因みに私の糠漬けは古漬けのようにすぐに酸っぱくなるのだが
義母が作る糠漬けはとても品があって塩梅がいい。

有難い事に私の娘は私の古漬けのような酸っぱい糠漬けを好んで食べてくれたので、
私の作った物が上手くいっているのか失敗しているのか良く分からなかったけれど、(失敗だったと思うが)食べている間、娘のお通じがすこぶる良く、糠漬って凄いなーと漠然と思っていた。

そんなある日、本屋である1冊の本に出会った事で一気に私の更なる「好奇心」にスイッチが入り、腸内細菌や発酵菌の世界へ没頭して行くわけだが、その本というのが、米のとぎ汁から乳酸菌を培養し、その乳酸液から水キムチや豆乳ヨーグルト、パンまで作ってしまうという、私にとって居ても立っても居られないような内容の本だったのだ。

因みに、韓国では水キムチを作る際に米のとぎ汁を使うのだが、あれも結局は似たような事なのだと思う。

糠漬けといい、一体米にどんな秘密が隠されているのだ?と調べていった所、驚く事に、玄米の表面には乳酸菌が沢山付いているのだそう。(無農薬のもの)

有機の野菜を作っている所では、肥料作りには必ずと言っていいほど鶏糞に糠を混ぜて発酵させたり、枯れ葉に糠を混ぜて発酵させたりするけれど、それもやはり糠についている乳酸菌を使うという事なのだろう。

お米(糠)って凄いなー!と鼻穴を広げながら、米のとぎ汁乳酸菌でせっせと豆乳ヨーグルトを作り、食べているうちに私にある変化が訪れた。

体調が全体的に良くなったのは言うまでもないのだが、気持ちが非常に前向きになったのだ。

そう、ご機嫌な日が増えたのだ。

ある時それに気が付き、何故自分はご機嫌な日が増えたのだろうと注意深く振り返ると、毎日が快腸で、(今まで全然快腸ではなかったのです)スッキリとしたトイレの後には「よし、やるぞ!」という気持ちが沸き上がり気合が入る事を発見。

個人差はあると思うのだが、とにかくその培養液で豆乳ヨーグルトを食べ続けた結果、心身共にすこぶる調子が良くなったのだ。

後にある特定の腸内細菌は人間の心(精神面)に非常に大きな影響を与えるという事を知る事となるのだが、これには大いに納得。

そして本を読み、調べていくうちにこう思うようになった。

「人間は菌に生かされている」

そう、人間は菌に生かされている。

生かされているどころか驚いた事に、一見人間の意志の様でいて、実は「菌の意志」である、という様な事もあるらしい。

菌の世界を知れば知るほど、自らの意志で生きているのか、菌の意志で生きているのか分からなくなり、勿論どちらもあるのだと思うけれど、菌の意志は例えるならば潜在意識的な働きをするように私は思えた。

そして、この一連の事を通して私は本気でこう思うようになった。

「良いウ〇チは人生を制す!」

これ、かなり本気です。

ある腸内細菌についての本を書いている方が(昔、図書館で借りた本なのでタイトルは忘れましたが)、真剣な文章でこのような事を書いていた。

「あなたの友人がとても落ち込んでいるとき、あなたはどうしますか?一緒にやけ酒をしますか?私なら乳酸菌を勧め、腸内環境を整える事を勧めます」
というような内容(記憶が曖昧なのですが)だったと思うのだが、要は腸内のバランスが取れていれば頑張る力も湧いてきて、辛い事でも乗り越えられる基礎が作れる、という事なのだと思う。

この一見「は????」とも思えるこの内容に、私は強い共感を覚えた。

今回はこの辺で。

次回はどうして快腸だと心も元気になるのかって言う事と、腸内細菌のお話です。

カヲリグサ

カヲリグサ

目には見えないけれど、確実に存在するもの。
その中の1つに発酵があります。
発酵を通して見えてきた、私なりの解釈と世界観です。

Reviewed by
はしもと さゆり

発酵やお直しのことを考えるとき、流通について想像を巡らせることが増えた。例えば、高速道路やトラックが未発達で日本列島に物流網が張り巡らされていない社会、農協が今のように力を統制力を持っていない社会、日用品メーカーやアパレルの宣伝や広報、物流が生活の隅々にまで浸透していない、花王やP&G、ユニクロやイオンの存在しない社会がそこにあれば、トマトは夏しか手に入らないかもしれないし、足の早い生魚は沿岸部でしか食べられず、除菌は悪かもしれないし、ときめかなくなったという理由で衣服を断捨離することもないかもしれない。もしかしたら、流通が発達して、発酵やお直しは廃れてしまったのかもしれない。

そんな冷蔵庫や流通のない時代、食品の保存や流通に、発酵の技術は不可欠だったと推測する。その技術が、人々の生活から失われつつある中で、彼女のカラダは明確にその効能を欲した。「米のとぎ汁乳酸菌でせっせと豆乳ヨーグルトを作り、食べているうちに私にある変化が訪れた(中略)ご機嫌な日が増えたのだ」

発酵から腸へ。話題はどんどんとカラダの内側に潜り込んでいく。カオリグサさんは、震災後の東北で放射能の影響を気にかけながら、発酵について学びと実践を深めたという。原発事故という医療の進歩を追い越したかのような事態を目の前に従来の医療サービスにアクセスできなくなったとき、日々の食事を通し、発酵という小さな技術でもってカラダを直してゆく様。それは流通がこうも発達する前の、長い間当たり前にあった家族の大黒柱のようだ。

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