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味噌汁って最高だよね

メニハ ミエヌトモ

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
2000年になって早くも19年目に突入したのだなあと思うと、時の流れの速さを感じます。

2019年、どんな年にしようかな。そしてどんな年になるのかな。

さて、冬になると毎年楽しみな事がいくつかあって、その中に「味噌を作る」というものがあり、12月に入って新しい大豆が出回り始め、私の元にも新しい大豆がやってくるともう、そわそわ~そわそわ~としてしまう。

少し話が変わるのですが、2年程前から「紅大豆」という大豆を購入している。

紅大豆とは、山形の川西町が産地の昔からある大豆で、昔は田んぼの脇に家族が食べる分位
の規模でおばあちゃんたちが育てていたと言われている地物の大豆。

皮が小豆のような色で中身は白い。

主に煮豆用として食べられていたらしいのだが、近年この紅大豆の栄養価が高いという事が分かり、平成15年から生産が始まった、と川西町を紹介するホームページにある。

2年程前私は個人的に「在来種」ブームだった。

在来種というのはいわゆる「昔からその地域で育てられている野菜」なのだが、種を継いで育てている事が特徴。

実は今売られている日本の野菜のほとんどは「F1種」という種から作られている。

この種は同じ時期にほぼ同じ形で育つという大変便利な(?)種なのだが、残念なのが種を継ぐことが出来ないという事。

種を継ごうとすると次に出来る野菜は奇形の野菜が出来上がるという、一代限りの種。

在来種の種は昔からある種を農家の方が種取りをし、次の年に植えたもので、こちらはその土地を生き抜いてきた種だけあって強くて味もしっかりしているのだが、成長の速さや大きさはバラバラ。

だからこれもまた残念な事に「今の日本」の流通に合わないため、在来種の野菜がどんどん減っていってしまっているのが現状。

この事を考え出すと私は残念感が止まらなくなってしまうのだが、それでも数少ない在来種の野菜を作っている方や、減農薬や栽培期間中に農薬を使っていない生産者を見つけると応援したくなってしまう。

基本的に私は食を支えて下さっている生産者の方には本当に感謝しているし、尊敬の念を持っている。

その上で、更に減農薬や農薬不使用の生産者の方に出会うともう、尊敬しまくりなのだ。

何故なら減農薬や農薬不使用で尚且つ美味しい野菜を作るという事は、とてつもない日々の努力と研究と技術が必要だからだ。

その一部を垣間見たとき、私は応援せずにはいられなくなる。

発酵の話が何故このような話になったかと言えば、農薬不使用で育った米や野菜などは発酵させたときに発酵の力がとても強くなるからなのだ。

これは結局、野菜などそのものの「生命力」の強さとも言い換えられるのではないかと私は思っている。

さて、味噌の話も少し。

味噌の材料は「大豆、麹、塩」のたったの3つ。

たったの3つの材料なのに、どうしてあんなに複雑な旨味がでるのかと言えば、それはもうご存知の通り微生物の力。

その仕組みをしれば「なるほど」だけど、私にとっては未だに発酵の世界はどこか「錬金術」に近いと思ってしまうのだ。

茹でた大豆に麹と塩を混ぜて放っておくだけであとは菌まかせで、時間が経つにつれて目に見えて変わる味噌の様子は何度見ても楽しいし、味噌を始めとする日本の代表的な調味料には「麹」が欠かせず、この「麹」の事を知れば知る程引き込まれていく。

そしてこの「麹」の働きがすごくて、甘酒が「飲む点滴」と言えるほどに栄養成分が高いように、味噌が「煮大豆」だけの成分と比較した時に、栄養価がぐんとアップしているように、元々あった成分を倍増させたり今までなかった成分を作りだしてしまうのが麹の力でもある。

栄養価だけの話ではない。

デトックスの力も麹には期待できるらしい。

そして何故日本の発酵文化は麹になったのだろうと調べると、そこには昔の日本人の凄さがあり、私が何をしたわけでもないのだが、自分が日本人であることに誇りを持ったりもする。

そんな力が麹にはある。

そして日本酒にせよ、味噌にせよ、この発酵過程がまた面白い。

味噌の場合は麹の酵素によって大豆が分解される事により、酵母や乳酸菌の発酵が進むのだが、味噌はよく味わうと酸味がある。

醤油も実はよく味わうと酸味があって、それを舌先で感じたとき「ああ、この微かな酸味は乳酸菌が醸し出したものなのだな」と思うと少し嬉しくなる。

自分で味噌を作る事は「自分に合った」ものを作るという事。

どういうことかと言えば、大豆を潰し、麹と塩を混ぜ込む時に自分の皮膚についた菌が入り込む。

もしくは手袋をしていたとしても、その家に住み着いている菌が入り込む。

麹菌や乳酸菌、塩の働きにより、発酵過程で相応しくない菌は淘汰され、有用な菌は味噌の中で増え、そうして作られた味噌は完全なる「オリジナル」の味噌で、なおかつその人に合ったものとも言えるし、そう考えると自分で作った味噌というのは「その人の環境の一部を食べる」とも言える。
だから味噌は同じ分量でも作る人によって味が変わるし、場所によっても味が微妙に変わる。

今の時代除菌を重視しがちが、除菌をすればする程人間の防御は弱くなる事を忘れてはならないし、(勿論多くの人に食べ物を提供するときなどは要らない菌を出来るだけ除く事はとても大切な事です)もし菌の存在を恐れているのならば、それに対抗する菌を取り入れて自分を守った方が早い。

そもそも人間が腸内に常在菌を取り入れる過程は、きっとほとんどの人が効いたら「ひえ~!」と思うものだと思う。(私は「何て上手く出来ているのだ!」と感動したけれど)

だけどそれが無いと人間は生きていくことが出来ない。

何故なら人間がこの世で生きていくには菌の存在が絶対に必要だからだ。

そして自然分娩か帝王切開では子供の腸内環境は変わり、残念ながら帝王切開で娘を産んだ私は残念でならずジタバタしたのだが、こればかりは仕方がない。

話がどんどん反れたが、味噌作りは本当に楽しい!
難しくなんかないし、カビが生えたって表面だけなのでそこを取り除けばいいだけ。

塩分が気になる人だって、味噌は大丈夫。

今、研究で分かった事の中に「味噌は血圧をあげない」事があって、塩が血圧をあげる中、味噌の何かの成分が抑えているらしい。

ただそれが味噌の中の何の成分かはまだ分かっていないのだそうで、まだまだ味噌には秘密のベールがあるよう。

という事で今年も私は味噌を作る。

今年は大豆を煮ようかな、蒸そうかな。

そして今年もどうぞよろしくお願い致します。

参考文献:「麹のちから!」 山本正博 著
     「発酵食品学」 小泉武夫 編集

カヲリグサ

カヲリグサ

目には見えないけれど、確実に存在するもの。
その中の1つに発酵があります。
発酵を通して見えてきた、私なりの解釈と世界観です。

Reviewed by
はしもと さゆり

先日友人から「地元で何年か前から農協に加盟するのにお金がかかるようになって、それを機に祖父は稼業としての農家を引退した」という話を聞いた。土をつくって、タネを撒いて、毎日世話をして、収穫。サイズごとに選別して、梱包して、出荷。その後半部分を農協で担うことになり、費用がかかるようになったという。それで、そんなものがかかるならもういい歳だしとおじいさんは引退した。引退したけど毎日のように畑には仕事に出るし、家族や友人が食べる分の野菜を作っていて、子や孫は野菜をもらいに立ち寄るし、来たついでに一緒にお茶を飲んだりお菓子のお裾分けがあったりとか、そういう光景を想像する。

確かにスーパーなどに対して好ましく出荷するには、統一した品質とパッケージで流通させた方が効率がいいのだと推測する。しかし、自分が育ててない作物を梱包する作業は楽しいのだろうか。半年かけて育てた野菜やくだものをブラックボックスに届けるのは虚しくないのだろうか。効率化と引き換えに、仕事がつまらなくなるのは恐い。人の営みから全体性が欠落していくこと、それは生命力が失われていくことに近いような感じがある。

「農薬不使用で育った米や野菜などは発酵させたときに発酵の力がとても強くなる(中略)これは結局、野菜などそのものの『生命力』の強さとも言い換えられるのではないかと私は思っている」カヲリグサさんの発酵の話を読むといつもこう、食べ物や流通の話をしてしまう。手前味噌ですが。

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