家の中にあるたくさんの本。日本に戻ってきたばかりのころは、本を増やすものかと思っていた。本だけじゃない、物も増やしたくなかった。でも、十年もいたら物も増えるし、本には本当にたくさんお金を使った。中学生のころから、ファッションやメイクには目もくれず、本と音楽ばかり。ものは増やさないと思っているくせに、本は買ってしまう。本を全部読んでいるわけでもないのに、本屋に行くとわくわくする。まるで、本の中には全ての答えが書いてあるような気持ちになる。わたしが本を読み始めたのも、そういう気持ちがきっかけだった。自分のもやもやが、違う形で言葉になっているような。わたしの疑問の答えが、別の人の口を借りて出てきているような。本を読んでいたら、自分のつらさの理由がわかると思い込んでいたな。ほんのすこし前までは。
大学で学んだことの中で素晴らしいと思うことは、ものの解釈の仕方、リテラシー能力を鍛えることの大切さ。本を読んで、自分はなにを考えるのか、なにを感じるのか、なにをどう生かすのか、なにをどう生きるのか。人生の先輩たちから、様々な話をきく、読む。本についての話、彼らの人生についての話、ほんとうにいろいろな話。わたしにとってはすべてが聞いたことのない物語。そしてわたしは、子どもの地平から、彼ら大人の地平をみる。たまに、もうすでに知っていることを見聞きすることもある。彼らが新しそうに話す言葉も、すでにわたしの中に存在している価値観だったりもする。でも、彼らの解釈を通して、新しい考え方が自分の中に生まれたりもするし、自分の考えを補強したり、いろんなことが頭の中で起きる。
気持ちは生物だ。いきものだし、なまものだし。知識もまた同じ。わたしを形造る知識も気持ちも、それぞれに生きていて、わたしを動かしていく。体とは別の次元で彼らは動いている、生きている。今は本を読むと、身長が1ミリ伸びるような気がする。わたしのパーソナルな問題の答えは書いてないし、読むことですべての悩みや苦悩が解消されるわけでもない。だけど、考えたことや感じたことは、誰もわたしから奪えないのだから、わたしの肥やしにしよう。お風呂もそうでしょう。いくら面倒でもお風呂に入ったことを後悔することなんてない。本も同じ。いままで本を読んで後悔したことなんて一度もないです。大学を卒業してからすこし本を読むことから遠ざかっていたけれど、最近また本を読むことに積極的な自分がいる。わたしは今、また違う方向へ進んでいきたいのだなと感じている。いきものだから。別の地平へ向かっていくためにも、わたしはまた本を読む。