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Mais ou Menos #2 —裏でも表でもないわたしたちの往復書簡ー

Mais ou Menos

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2014.12.10(水)

まちゃんへ

 『ホーリー・モーターズ』という映画を見て、すごく好きになってすぐに2回目を見ました。やはり、ドニ・ラヴァンはすごくいいね。カラックス三部作(『ボーイ・ミーツガール』『汚れた血』『ポンヌフの恋人』)の頃から大好きな俳優ですが、今回もまたよかった。ドニ・ラヴァンの見た目、雰囲気が好きです。『ホーリー・モーターズ』ではこの主人公のドニ・ラヴァンが、次々と依頼される役者を演じていていく役で、リムジンの中で特殊メイクをしたりカツラをつけたりして、次から次へと、年齢・性別も様々な役をやっていく。1日中演じ続けているので、移動中のリムジンの中ではぐったりしている。こんな主人公を見ていて私は、普段何も気にせず生きているようで、人々は色々な役を演じているのだろうなと思った。自分で思う理想の自分、周りの人々が作る自分、社会の中でこうあるべきだと思う自分、様々だと思います。私はこの映画を見て、自分はどうかと考えてみてときに、自分は他の自分を演じられなかったんじゃないかと思いました。つまり、“普通”になれなかったということです。ここで書いている“普通”とは何かというと、世間で言われる“普通”のことです。自分はそれに合わせようとしても、どこかでもう1人の自分が拒否して、自分のやりたいようにやってきました。しかし、それは辛いといもありました。“普通”ではないので、何だか悪いことをしている気持ちのときもありました。あと、孤独でした。でも、まちゃんや他の気の合う友人たちにも出会い、この自分でも自分はいいんだなと思うようになりました。むしろ、自分は何も悪くないと思いました。そう思うと、社会の刷り込みや、人々の偏見というものは恐ろしいものだなと思いました。昔、法律の勉強をしていたときに学んだ「善意の第三者」という言葉があるのだけれど、この「善意の第三者」というのは、法律上関わりのある当事者間に存在する、特定の事情を知らない第三者のことを指します。まあ、何も知らない人ってことです。この「善意の第三者」は、例えば、盗品などを手に入れたときに、それが盗品だと知らなかったときは罪に問われないんです。法律用語では、「善意」=知らない、「悪意」=知っている、となるのですが、私はどうもこの知らないことが善意だという言葉にあまり納得がいかない。まあこの場合は法律用語だから仕方がないのかもしれないけれど、世の中で起こっている色々なことを知らないからという理由で存在がないものとして扱うのは、私はおかしいと思う。例えば、世界にいるマイノリティーの人々のことを日本の“普通”の人々はどれだけ知っているのだろうか。こういうふうに書くと“普通”の人を“普通”でくくるなと言われるかもしれないが、日本はあまりにもマイノリティーが暮らしにくい国だと思う。いや、実際暮らしにくい。生きにくい。それをマジョリティーは知らないのではないかと思う。知っていても自分には関係ないというか……。だから、私は「善意の第三者」は悪だと思うんです。
 ちょっと『ホーリー・モーターズ』から抽象的な話になってわかりにくかったかもしれませんが、要するに、もっとみんなが自由に、好きな自分で生きられたらいいね、と言いたかったということです。私は好きに生きています。

P
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Pちゃん

今、群馬から帰ってきて、お返事を書いています。パパは、駅で泣いていました。前回は、わたしがブラジルへ旅だっていったけれど、今回はパパたちが旅立つ番です。それなのに、駅で別れたとき、パパの表情は、前回と同じでした。パパの心境としては、もしかしたら前回とさほど変わらないのかも。ただ、わたしが一周り成長して、以前よりもどっしり構えていること、そしてもうパパたちとは違う日常を生きているということが変わったのかな。そう思うと、わたしはもう随分と前から自分の日常、自分の生活というものをつくってきていたのだなと、びっくりしました。『ホーリーモーターズ』でいうところの、”お前がお前として生きること”というのを実践できているのかも、ほんの少しでも…。わがままに、気ままに生きている娘だと思う。心配なこと、不安なことは日々たくさんあるけれど、Pちゃんがいてくれていることが、わたしの大きな支えです。ちなみに、今の自分の生き方や考え方、前よりもずっとずっと良いと思うし、自由やと思います。人にどう思われているかではなく、自分がどう生きたいのか、そういうことを大事に生きられている気がする。今の自分でいられること、心から感謝しているの。自分のなかにあるもやもやとも折り合える精神にも、感謝…。でもね、やっぱり信じるって大事だと思った。未来は今よりもきっと良いはずと信じてきたから、今の自分があるんだろうね。次はなにを信じよう?なんてね。もう、わかてるけど。

2014.12.14
Maysa

PQ

PQ

ゲームと映画が好きです。
国籍も性別もない。

Maysa Tomikawa

Maysa Tomikawa

1986年ブラジル サンパウロ出身、東京在住。ブラジルと日本を行き来しながら生きる根無し草です。定住をこころから望む反面、実際には点々と拠点をかえています。一カ所に留まっていられないのかもしれません。

水を大量に飲んでしまう病気を患ってから、日々のwell-beingについて、考え続けています。

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