入居者名・記事名・タグで
検索できます。

Mais ou Menos #29 —裏でも表でもないわたしたちの往復書簡ー

Mais ou Menos

mom29-1

mom29-2

mom29-3

———————

ぴちゃんへ

三月。花粉症のような症状が出ていて、とうとうきたか、という心持ち。この間、鼻の下がヒリヒリして痛いときに買ってきてくれたスティックタイプの塗り薬、ほんとに重宝しています。ありがとう。

先日、仕事帰りの電車の中で、美しくあるための努力は万人のものだと突然思った。ほんと雷に打たれたみたいに、心の底からそう思ったの。お洒落をすることや、自分のケアをすることは、誰にでも許されていて、誰しもが楽しめるはずのものなんだってハッとしたんだよね。

なんじゃそりゃ、ですよね。当たり前じゃんとも思うんだけれど、わたしにはそれが当たり前ではなかった。

子どものころから、実はファッションに興味があったけれど、自分は痩せていないし、可愛くないからお洒落に興味があるなんて口にしたらダメだと思ってた。そんなことを言うのはみっともなくて、恥ずかしいことだって。ファッションやメイクなんかは、美しい人のものであって、わたしのものではない、ってずっとそう思い込んでた。

わたしはこうだから、わたしなんかが、っていう思い込みが強すぎて、人間関係でもそうだし、社会の中でもわたしの行動を縛り付けていたんだよね。この呪いのようなものは、誰かにかけられたわけではないんだけれど、でも社会の中にいると知らないうちに内面化してしまったりすることもあって、実は厄介なんだよね。

服を作るようになって、前よりも自分が何を着たいのか、自分には何が似合うのか、自分はどういう自分になりたいのか、そういうことを考えて、努力するのは楽しいことだと思うようになった。似合う服やメイクや、より素敵に見えるようなケアは誰かのためじゃなく、自分のためにこそ大切だなって。

自分自身の興味関心を受け止めて、素直に好きなことに向き合えるのって素敵なことだね。わたし自身は、わたし自身の興味関心に動かされて、わたしになっていくんだね。そんな当たり前のことを、改めてすげーなって思ったの。

美しくなる努力は、誰であっても、どうであってもしていいこと。そう思ったら、すごく自由な気持ちになった。電車からおりたとき、新しい世界に降り立ったと思うくらいに。受け入れて変わることって、こういうことなんだろうね。

マイザ
2017.03.06

———————

まちゃんへ

花粉症なのか、アレルギーなのかわからないけれど、つらそうなまちゃんを見ていて、早くよくなってほしいと思っていました。
今日、耳鼻科で診てもらって薬ももらったようで少し安心しました。

お洒落することや、自分のケアをすることは、自分が気持ち良くなるためにやると、私も思います。
長らく私も、子供の頃から自分の将来の服装や、振る舞い、生き方など、どんなふうになるか想像もできなかったし、不安に思っていました。でも、年をとるにつれて、自分は自分の好きな格好をしていいし、自分が自分でいることが何より自分のためになると気づいてきました。

それからは、本当にやりたいことを何でもやって、全身に10箇所ピアスを開けていたこともあった。
それが”自分”だったから。

まちゃんが今、自分の興味あることに突き動かされて、服作りに没頭する様子を見ると、すごく幸せな気持ちになります。
出会ってまだ最初の頃に、「好きなことは?」と聞いた時に「特にない…本も好きだったけど最近読めなくなっている」と言っていたまちゃんの言葉を思い出します。
あの頃のまちゃんは、まだ、随分苦しんでいたんやんね。そういう苦しい気持ちや内面化されていた気持ちからまちゃんが少しずつでも解放されていく場に一緒に立ち会えて、幸せです。
これからも、どんどん好きなことやっていこうね。

2017.03.07

P

Maysa Tomikawa

Maysa Tomikawa

1986年ブラジル サンパウロ出身、東京在住。ブラジルと日本を行き来しながら生きる根無し草です。定住をこころから望む反面、実際には点々と拠点をかえています。一カ所に留まっていられないのかもしれません。

水を大量に飲んでしまう病気を患ってから、日々のwell-beingについて、考え続けています。

PQ

PQ

ゲームと映画が好きです。
国籍も性別もない。

Reviewed by
西尾 佳織

呪いの言葉は、祝いの言葉と表裏というようなこと、色んな場所で幾度か目にしている。
呪いの言葉も祝いの言葉も、人を動かしたり固めたりする。
「○○ちゃん、キレイねぇ」という言葉に、一つの美が含まれていて、
ひとつ何かが〈○○であるもの〉として名指されると、名指されなかった無数の〈○○でないもの〉も同時に存在し始める。

……なんでか分からないけれど、こねくり回した言葉を書きたくなった。
まちゃんの、彼女自身のハッキリと固有の体験の鮮明さに裏打ちされた言葉に心を動かされて、あまのじゃくな心が動き出してしまった感じがします。

「亡者たち、陰府(よみ)の淵に住む者たちは水の底でのたうち回る。
 陰府も神の前ではあらわであり、滅びの国も覆われてはいない」 (旧約聖書「ヨブ記」新共同訳、26章5~6節)

つい先日まで「ヨブ記」を題材にした演劇をつくっていたものだから、わりと何を見ても聞いても、結びついてしまう。
水の底でのたうち回っている、名前を呼ばれないものたちが、今回の往復書簡を読んで(なぜか)頭に浮かんできました。

言葉を一語、一語と使うたび、物事が際立つ・輪郭が示される・線が引かれる等々の感覚が起こります。
春の明るさに驚きながら、過ぎた冬の昏さ、重みをお腹の底に感じます。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る