1月/矛盾とヤバい女の子

日本のヤバい女の子

【1月のヤバい女の子/矛盾とヤバい女の子】

●北山の狗の妻

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《北山の狗 、人を妻とする語(今昔物語 巻三十一/十五話)》

今となっては昔の話だが、京に一人の男がいた。ある時男は北山へ遊びに行った帰りに道に迷い、山の中で小さな庵にたどり着く。
声をかけると中から二十歳ばかりの美しい女が出てきた。突然の来訪者にたいそう驚いている。道が分からなくなって帰れない、今夜泊めてほしいと頼んだが、彼女は何やら逡巡している。
「ここは普通の人間が来るところではないのです。もうすぐ夫が帰ってくる。夫があなたを見たらどう思うでしょう」
どうにも含みのある言い方だ。しかし男は他に行く当てがない。何とか取り計らってほしい、どうか一晩だけお願いしますと食い下がる。とうとう女は折れ、それでは長い間離れ離れになっていた兄だということにしようと口裏を合わせた。
「それではお泊めしますけれども、京へ帰っても、ここにこういう者たちが住んでいると言いふらされませんよう」
男は強く頷いた。
彼のために筵を敷いてやり、やがて女は話し始める。昔は自分も京に住んでいた。しかし突然あさましいものに誘拐され、夫婦の契りを余儀なくされ、こうして長い年月が経ってしまった。その夫は今にここへ帰ってくるだろうから、どのようなものかは見れば分かるだろう。
「…だけど、日々の暮らしは何不自由ないんです」
そう言ってさめざめと泣く。男は話を聞いて完全にびびっていた。夫は一体何者なのだろう。鬼だろうか。
夜になり、外から恐ろしい唸り声が聞こえてきた。女が戸を開ける。現れたのは鬼ではなく、巨大な白い犬だった。犬は男を見るとますます強く唸る。
「あなた、長年生き別れていた私の兄が、山で迷って今日思いがけずここへいらっしゃったのです」
女は男のために嬉し泣きの演技をしてくれた。犬は彼女の言葉が分かったような表情でかまどの前へ寝転ぶ。用意してもらった食事を食べ、男はうとうと眠りはじめた。女と犬は奥の部屋で一緒に寝たようだった。

翌朝、女はもう一度念を押した。
「くどいようですが、昨日のことは他言無用です。それと、よかったら時々ここへいらっしゃって。夫もあなたを私の兄だと思っています。何か入用のものがあればかなえて差し上げられます」
男はとても感謝し、お礼を言い、朝食も食べさせてもらい、無事京へ帰り着き――
――その足であらゆる知人に昨日のことを話してまわった。聞いた者も面白がって言いふらし、京中の人間の知るところとなる。やがて血の気の多い若者たちが「犬を殺して女を連れ帰ろう」と意気込み始める。
男が山道を案内し、百人から二百人ほどの武装した者たちが犬の庵を取り囲んだ。犬は驚いて飛び出してきたが、そこに男の顔を見るやいなや庵の中へ引き返し、女を彼らの前へ出して自分は山奥へ逃げていく。いっせいに矢を放つが、当たらない。女も犬も鳥のようなスピードで逃げ去っていく。
これはただごとではないと気づき、一行は引き返した。しかし男は帰るなり気分が悪いと言って寝込み、数日のうちに息絶えてしまった。
その後、あの犬を見た者はいない。近江の国にいたらしいという情報もあるが定かでない。犬はほんとうは神だったのだろうと人々は噂するのだった。
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この話を読んだ殆どの人が「男、帰宅即言いふらすんかーーーーーーーーい!!」と思ったことだろう。私も思った。あんなにさわやかに約束したのに、ギャグかよ!
そして「犬、自分だけ逃げるんかーーーーーーーーい!!」とも思っただろう。私も思った。攫ってきておいて一人(一匹)で逃げるなよ!
と、ひとしきり心の中で突っ込んでしまうのだが、しかし男と犬の行動は、実は結構分かる。
男については、同じシチュエーションに置かれたら私も同じことをしてしまうかもしれない。山奥で出会った人が「誘拐されてここに住んでいる」と言って泣いていたら、そりゃあ、誰かに話して助けなきゃって思っちゃうよな。分かる。割と良いやつだったのかもしれない。だとしたら気の毒だな。あるいは、もっとシンプルに、チョケて口をすべらせてしまったのかもしれない。約束を守らなければひどい目に遭うという教訓のために設計された登場人物としては及第点の軽薄さだ。
犬についても考えてみる。犬がもし本当に神様だったとすれば、神に嘘をついたことへ「バチ」として見放され、置き去りにされることはありえるかもしれない。はたまたもっとロマンチックに、女が自分より人間の男を選んだのなら人間の世界へ返してやろう、普通の幸福な暮らしに戻らせてやろうと思ったのかもしれない。

犬と男の心情は何となく推察できる。
しかしこの物語では、女の行動が何一つ理解できないのだ。彼女がどうしたかったのか、その思考回路はどう仮定しても矛盾がある。
自分を攫った犬を憎んでいて、男をそそのかして討伐させ京へ帰ろうと目論んでいたにしては、煮え切らなさすぎる。
冒頭で男が迷い込んできたとき、彼女は家に上げることを渋った。助けてもらう絶好のチャンスであるにもかかわらずだ。これで男が諦めて帰っていたら、あわや物語は終わるところだった。
それに「ここで見たものは他言無用」と口止めしようとしている。これも、男に救済の希望を託そうという状況ではリスクが大きすぎる。
そしてラストではせっかく開放され京へ帰る絶好のチャンスだったのに、山へ逃げている。自分を連れ戻しに来た男たちについていくだけで元の家に帰ることができるのに、彼女は背を向けた。
その一方で、攫われてきた身の上を話して涙を見せたり、男に再訪を促したり、何だか支離滅裂である。

よく分からないので、もう少し身近な設定で想像してみることにした。

――家の都合で、すごく年上の男性と結婚することになってしまった。全然知らない人だし、正直最悪だったんだけど、会ってみたらまあ普通のおじさんだった。しかもおじさんは結構良い人である。
私はおじさんの家で何一つ不自由のない生活を送っていた。最近ではおじさんとも割と打ち解け、結構楽しい日々だ。
ある時、町で同年代か少し年上くらいの男の子と知り合った。彼がぐいぐい来るので、自分も身の上話をする。
話しているうちに色々な感情が綯い交ぜになり、何だか興奮してくる。話し終えると彼は「今日のことは秘密にする」と言って帰っていった。
翌日、町中で私とおじさんのことが噂になっていた。男の子は私が家のために犠牲になるなんておかしい、捕らわれの女の子を助けてあげなければ、と思ったらしい。
どこへ行っても白い目で見られるので、私とおじさんは町にいられなくなり、引っ越すことになった。おじさんは私にあの男の子を好きになったのなら別れても良いんだよと言った。私はそれには答えずに荷造りをしていた。


物語のラストには「犬も女も鳥のような速さで逃げた」と書かれているが、二人が一緒に逃げたのか、バラバラに逃げたのかは詳しく書かれていない。彼らはこれからどのように生きていくのだろう。

そもそも、女が本当に攫われてきたのかさえ、私たちには分からない。女の涙を実際に見たのは死んでしまった男だけで、彼はもう話すことはできない。今となっては真実は絶対に分からないし、今昔物語は作者不明とされているので問い合わせのしようもない。
想像だけで真相を語るとすれば、次のうちのどれかになるだろうか。

(1)女は犬を深く愛していた。実は自ら進んで犬のもとへ来たのだが、世間の目を気にして攫われたという設定を話した。逃げた後は山奥で犬と合流してまた幸福に暮らした。
(2)女は犬を割と愛していた。攫われたのは事実だが今では夫婦であることを気に入っていた。気紛れで男に身の上話を盛って話してしまい、思わぬトラブルになったが、逃げた後は山奥で犬と合流してまた一緒に暮らした。
(3)女は犬をそれなりに愛していたが、通りかかった男を気に入ったので乗り換えることにした。しかしことが大きくなって怖くなったので逃げ出した。
(4)女は犬を愛していなかった。攫われたことが許せず、通りかかった男を利用して犬への報復を企てた。しかし男や討伐に来た若者と馴れ合う気はなく、自分も逃亡した後一人で放浪の旅に出た。

もし本当に犬が女を誘拐したのなら、いやそれはマジで駄目でしょ、と思う。一緒に暮らすうち結果的に愛が芽生えたとしても、それは犬の免罪符にはならない気がする。彼らが彼ら自身で一緒に生きることを選択したとすれば何も問題ないが、それなら「犬と人間が結婚しているのが変だから」という理由で追い立てられたシーンでかなり胸が痛む。女が本当は犬を愛しているのに男に変に思われたくなくて「攫われた」と取り繕ったのであれば、その気持ちは分かりすぎるほど分かる。男と話しているうちに盛りすぎて、ややこしいことになってしまった、というのもかなり身に覚えがある。
この物語は証拠が曖昧で、矛盾に溢れていて、要領を得ない。そして解釈次第では全く違うストーリーになってしまう。
だけど人の生涯というものは、こんな風に、あるいはこれよりももっと不明瞭で、成りゆき任せで、説明できないものですね。自分でもなぜあんなことをしたのか分からない。楽しかったのか、悲しかったのか、愛していたのか、憎んでいたのか、説明しろと言われてはきはきと答えられないことの方が多い。思い出すとワーーーーーーッ!なることをどうにかこうにか押さえつけ、微かな記憶と折り合いをつけていくしかない。

今昔物語が語り始められた1120年代から、約900年が経った。
北山の狗の妻が何を考えていたのか、もう絶対に分からない。だけどそれは経年によって消失してしまったのではなく、900年前から、最初から、女と犬のふたり以外には誰にも分からなかったのだ。私たちのことは私たちにしか分からない。分からないのに好き勝手言われて、ひとまず黙って逃げなければならないというのはとてもやり切れないだろう。それでも彼女たちは逃げ切った。男たちを撹乱し、都の人々を煙に巻き、さらに900年の時間を味方につけて、全てをうやむやにして見せた。
900年あれば干支が75周も巡ってしまう。確かに「今となっては昔の話」だ。色んなことがあったけど、12年後の戌年に、それがだめなら24年後、36年後、48年後に、笑って「そんなこともあったね」と言えるといいね。/終