その朝はふたりだった。

それをエンジェルと呼んだ、彼女たち。

お正月はいつも居心地が悪い。何事にしても、いっせいに動いたり停滞する空気に弱いのだ。違う空気を吸いたくて、早朝に出かけた。絶望的なほど朝に弱い私は、朝日を見たいだなんてあまり考えたことがなかったけれど今年はそんな気分だった。それに、日の出の遅い冬の間は朝に弱い人でも比較的日の出をみるハードルが下がるシーズンなのではないか。夏はとうてい間に合わない。

都心から1時間弱、大好きな港町に向かってまだ暗い部屋を滑り出た。

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近所のパン屋さんはその日の朝から営業をスタートさせるようで、朝5時台にも関わらず灯りがついていた。「パン屋さんの朝はやっぱり早いのか」と感心してしまう。空にはまだ切るように細い三日月が浮かんでいた。新年になって、最初に好きになったものがその夜明けの空だった。おとぎ話の景色のように現実味のないところが美しいと思った。

途中、電車で通りかかった川には、昇ってくる太陽の気配で橙と紺のカクテルのような空色が水面に映っていた。橋や家は逆光で黒いシルエットでしかなくて、まるで藤城清治の影絵の世界だ。

同じ車両に乗っていた小さな男の子を連れた男性が「見てごらん、きれいだよ」と子どもに話しかけていて、この景色に気づいた人が他にいるとわかって嬉しかった。自分が美しいと思ったものに気づいてくれる人が隣にいてくれたとき、それは初めて現実になる。

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あらかじめ調べていた日の出の時間ぎりぎりに到着。すでに空は明るくて、私は港に走った。桟橋に着くと昇ってきた太陽が海に朱色の光を落としているところだった。間に合った。景色の美しいその桟橋には日の出待ちの人たちと、朝焼けに足を止めない早朝ランニングやわんちゃんを連れた人たちが散らばっていて心地よかった。

そこまで寒い朝ではなかったけれど、それでも朝日はこんなに暖かく感じるのかと驚いた。光の前にいると眩しくて、瞼の裏がぽかぽかした。

ふと、すぐそばに1羽のカラスが真っ直ぐ日の出を見つめながら休んでいることに気がついた。私も最初は日の出を見ているわけじゃないだろうと思ったけれど、このふくふくしたカラスはどうみても待っていたかのように太陽のほうを見つめてじっとしていた。夜の間冷えた体を、陽の光で暖めたかったんだろう。

私はしばらくカラスと一緒に朝日を見ていた。やがて停泊していた船に乗り込んで行ってしまったけれど、ひととき一緒に朝日を見てくれたので楽しかった。カラスの瞳に映っていた太陽の朱色がとても美しかった。

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私はこの瞬間、満たされていたのだと思う。朝日をひとりと1羽で見ていることでこんな気持ちになれるのか。自分で自分をこういう気持ちにすることもできるのか。自己完結する幸せを前にして、妙に嬉しい気持ちと拍子抜けする感じとの両方を感じた。

少し前、幸せにしたいと思った人がいた。私は友情ならば全部の関係を掬ってくれるかもしれない、と信じているのでそう接したけれど、難しかった。どうしても食い違って、すれ違った。自分が信じていることが役に立たなかったことよりも、一緒にいても相手が幸せでないことが気がかりだった。

人と人が贈り合える優しさは、もしかしたらカラスが私にくれた優しさくらいのものなのかもしれない。幸せにできるのは、誰にとっても自分自身でしかあり得ない。誰かを自分の腕で幸せにできるというのは違っていて、その人が見る世界そのものの好い一部分になること。そして、その人の気持ちがいつ良くなるかは、わからない。だから人は、自分の時間を続けていくしかない。

待つ時間は長い。でも、待ってること自体を一度忘れなければ、見えない呪文にがんじがらめになるような気がした。「この本好きだと思う」と言われた本を代わりに読んで過ごす。本が面白くて、読み切ってしまった。

ひゅーと飛んで行ってしまったカラスと私の接点の淡さを考える。淡かったけど、重なったことを私も(あなたも)知っている。すぐ「意味」にならなくてもいいじゃないか。線にならなかった出来事も続いている。

自分がこの出来事を忘却に引き渡しさえ、しなければ。

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すっかり日の昇った港で自販機で買ったコーヒーを飲んだあと、朝ごはんを食べる気になって、きた道を戻った。さっきのカラスが乗り込んだ船はボボボボと音を立てながら海に出るところだった。あと何回、ボタンのかけ違いを正したい気持ちをこらえて言葉を飲むんだろう。この冬、あと何回、朝日のための早起きができるだろう。

新年のおみくじは末吉で、神様の決め台詞は「感情を抑えよ」。

今度こそ、自分に自分を差し出さなくてはいけない。