わたしの手と誰かの手と、その隣に

第7期(2013年2月-3月)

人生でたぶん一番最初にもらっただろう手紙のことを書こうと思う。

幼稚園も年中・年長組になると、盛んに手紙ごっこがはじまる。
小さな子供がはじめて書くひらがなは、左右が逆になったり不思議な絵柄になったりする。
暗号とも受け取れるその奇妙な出で立ちを前にすると、秘密の伝言を解読するような気持ちになる。
こっそりと自分だけに手渡された至福の時間。

子供が自分たちの手でひらく言葉の扉に、名前がある。
鉛筆を握りしめ、真剣な表情で芯の先を見つめる。
力を込める。
ひらがながあらわれてくる瞬間。
線のゆくえが反対方向だったり、点があったりなかったり、大事な何かを忘れて途方もない何かを作り出したり。
そうして書いたひらがなを最初に見るのは書いた本人。
立ちあらわれた、もうひとりのわたしとして。
鏡であれば人の姿をそのままに映すけれど、ひらがなは私を文字に置き換えて映し出す。

私がはじめてもらったと記憶しているのは、同じ幼稚園でよく遊んでいたゆみちゃんからだった。
走るのが早く、読み書きもまわりの誰より早かった。
目鼻立ちの整った美人だったことは、小学校になってからでも充分断言できた。
ゆみちゃんの家は新興住宅街にあって二階建てだった。
二階建て!
私の家は平屋だったから、それだけでも私にとっては夢のような話だ。
二階ってどこから上に上がっていくんだろう。
ほんとうの天井は空にあって、空から階段が下りている。
長い水色の段々を下りてくると木や家のもくもくとした模様が見えてきて少しずつ膨らんでくる。
誰かに出会う前のまだ誰も知らない時間が漂い、すっきりとした風が吹いている。
二階から見る景色はどんなだろう。
二階からは色のついた景色が見える。
目の前のスクリーンは、端から端があってももっと向こうまで続いていた。
そこから人や車、犬や鳥が新しい主人公みたいに胸を張ってやってくる。
それは誰が決めるんだろう。
ゆみちゃんかゆみちゃんのお父さんかお母さんか、あるいは柱か。
森に住んでいた頃の木の枝が、太陽に手を伸ばすように二階を呼んでくるのかもしれない。
というようなことを、こんなふうに言葉としてではなく、ぼんやりした頭でうらやましかった。

そして今は、私の二階の部屋で、手紙や作文などを整理している。
大昔の手紙やノート、ざらばん紙の作品集、遠足の思い出。
タイムマシンのようなダンボールの隅を覗いたとき、あ、と手が止まった。
ダンボールの一角を背にきっかり立っていたのは、なにって、ゆみちゃんからもらった手紙だった。
声にならない声で驚いた。

子供のゆみちゃんが今にもそこにいて手紙を渡してくれる小さな手があって、なにか得体の知れないものに自分のほうがなってしまったようで、着ていた服の上から自分の腕を意味もなく掴んでいた。セロテープの茶色い日焼け、丁寧に折りたたんだ跡。鉛筆書きの花びら、すまして並んでいるひらがな。小さな私たちの手が同時にそっと触れた手紙。私たちの世界はその時ふたつではなくみっつかそれ以上に分類されるとその先へ広がって行った。ひとつは、二人の足元をくるくる回ってジャングルジムに駆け上がり空の向こうへ。もうひとつは、高く舞い上がると急降下してブランコの鎖を揺らし地面に潜り込んだ。別のひとつは、タイヤの輪のなかをくぐって遊んでいた。しまい忘れたスコップが転がってからから鳴った。私たちを取り巻く風景のなかで、ブランコが静かに揺れていた。

あれから半世紀近くが経った。広い世界は広い世界のままだったから、その全部を拾うことはできなくて、せいぜいがふたつかみっつだったんだろう。最初に分類されたのとおんなじだ。両手に包まれた生地の塊から生み出されてゆくクッキーの数が決まっているように、分類された私の数も決まっているのかなと思う。それは、運命だからって諦めてしまうことではなく、運命だからだよと立ち向かって行く、作り出していく晴れやかな悔しさと密かな喜びの星型だったりハートに見えないハートだってあった。驚きで生まれ変わる細胞があったとして、だから、はじめに書いたひらがなは驚きの連続。私たちは何回も生まれ変わる。

ゆみちゃんのひらがなを見ながら、ゆみちゃんが生まれたこと、二階建ての家で大きくなったこと、すらりと伸びた手足、きれいな鼻筋、大きな目で見ていたもの。恋をした日、見上げたはじめての空、雨、雪の冬。氷に映るあしたを見つめるような凍えた夜。光が溶けて滲んいく夜明け。夜明けを見てしまった人の細胞は止まってしまうと聞いた。ひとつ、火が消えるとしばらくして隣の部屋の明かりが眠りに落ちていく。夜明けに消えていく街の灯りが、ある日の朝の明るさに映し込まれて続いていく。ふたつかみっつに分類したのかな、ゆみちゃんも。もっとたくさんだったかもしれない。

小学校・中学校と友達はいろんなかたちで変わっていき、高校生になってからゆみちゃんとほとんど話をしたことがなかった。
私たちは幼稚園の頃のことをすっかり忘れてしまったように大人になった。
ゆみちゃんからもらった手紙のことは、大人になるまでに何度か思い出したことがある。
手紙を探したこともあった。
それでもしばらくはしまわれたまま、今回思わぬところから出てきたのだった。
ゆみちゃんの横顔もきれいだったことを思い出す。
きりりと前を向いている横顔が私のほうを向いても、少しあごの上がった引き締まった口元は変わらずそこにある。
かっこよかった。憧れだったのかもしれない。
懐かしさでとっておいた手紙。
その都度捨てずにしまっておいたのは、引き止められる何かがあったのだろうか。
白い紙からひとつすくってひとつ手放すような線を描いてあらわれた。
ひらがな。
ゆみちゃんの気持ちを推測するには、あまりにも時間が過ぎてしまっていた。
私の推測はひらがなに跳ね返ってそのまま自分に戻ってくる。

ゆみからりりちゃんへ

りりちゃんこんにちは

あほ

さようなら