出会う私たち

第7期(2013年2月-3月)

アパートに暮らすのはこれが二度め。
一度めはコスモスというアパートに住んでいた。
コスモスだからって、秋になったらコスモスの花が咲くのでもなく、宇宙というにはとてもこじんまりした2階建て・8世帯の暮らしが営まれているアパートだった。
新建築の物件で、新婚さんが半分以上を占めていた。
結婚したばかりということもあり、新婦さんたちがゴミ出しや買い物の途中で話をするようになった。
新郎さんの名前から運命の出会いまで、話は尽きなかった。
子供が生まれると、駐車場で子供たちを遊ばせながら話は続いた。
誰かが熱を出せば、食料のパンや飲み物を買ってきたり、自家製の鍋焼きうどんを作ってくれたこともある。
育児の悩みには先輩ママの手厚い体験談が待っていた。
春は近くの公園で花見。
夏にはスイカ割り。
秋の楽しみのために、駐輪場の横に畑を作った。
草を取り、たまに水をやり、秋にはりっぱなさつま芋を収穫した。
雨が降ったら水たまりで遊んだ。
雪の日は雪だるまが並ぶ横で、そりを順番に引っぱってすべった。
溝にザリガニがいると聞けば、アパートの子供たちが網やバケツを持って進んだ。
おいしいお好み焼き屋さんにみんなで出かけた。
我慢したり悩んだりしたこともあった。
でも、コスモスに住んでいるという安心感があった。

かっちゃんは私よりちょっとだけ年上のお姉さん。
子供の年が同じだったこともあり、彼女とは特に仲良しだった。
その頃好きだったB’zのコンサートに行ったり、岡山出身の稲葉さんのご実家に化粧品を買いに行ったりした。
ファンの私より熱心に岡山行を計画したのは、かっちゃんだった。

小さな台所の窓を開けると、私の部屋から一軒家の庭先が見えた。
春になると明かりが灯るように細い木の枝にたくさんの白い花が咲く。
よく見ると、はじめに空気が触れた花びらの外側は、ぽぽっと紅色が染みていた。
「ハナミズキって言うんよ」
花の名前にうとい私は、尊敬の眼差しでかっちゃんを振り返る。
「桜をアメリカに贈ったお礼に日本に来た花なんよ」
窓の向こうは青い空、その向こうに青い太平洋が広がっている。

アパートから歩いて5分のスーパーに行く途中、門構えのある玄関に大きな鉢植えがいくつもあった。
「これ、月下美人じゃないかな」
かっちゃんと私はその場を通り過ぎ、買い物を済ませてもう一度門から内を伺う。
「きっとそうだよ」
「月下美人?」
「一晩で咲いて、朝にはしぼんでしまう花。こんくらいの」
指先と手首を合わせずに、両方の手の甲をふくらませた。
さっき買ったばかりの林檎が1個、すとんと落ちてしまう。
立て続けに3個落ちたとしても、花の大きさはゆるぎないものに思えた。
「すごいねぇ」
うっとりした私の声を聞く前に、かっちゃんはもう決めていた。
「こんにちは。月下美人をひとつ貸していただけませんか」
私たちを待っていたのか、おじちゃんが玄関から突然あらわれた。
おじちゃんは私たちを見るなり、首を傾げながら多くの鉢の前を行ったり来たりしている。
神妙に、ひとつの鉢の前に立ち止まった。
「これかな」
私たちが黙って突っ立っていると
「今夜あたり咲くかもしれん」
おじちゃんの背後につつっとかっちゃんが近づく。
かっちゃんの背後に私が張り付く。
たっぷりと垂れた葉と、葉のあいだから伸びたひと房の白いつぼみ。
私たちは丁寧にお礼を言って鉢を抱えて帰った。

撮影の準備がはじまった。
カーテンをバックにして鉢を置くと、周囲にあるものを別の部屋に移動させた。
カメラの位置を決めて、スタンバイOK。
飲み物とお菓子も用意した。
アパートのみんながそれぞれの夕食を済ませて集まって来た。
大きな白いつぼみの前で、少し興奮気味に話がはずむ。
まだだね、ちょっとひらいたんじゃない、って言っているうちはよかったけど、待っても待っても開かないつぼみを前に最初の勢いはマシュマロみたいに口の中で一気に溶けていく。
待ちくたびれた子供たちもすっかり寝息をたてていた。
冷静になったとき、あ、と思った。
「夜じゃないから」
あかあかと電気をつけた部屋は、植物にとってはま昼のようだったかもしれない。
数人残った友達が口々に、電気電気と言いながらスイッチを切った。
静かにしていよう、と誰かが言う。
私たちは無口になる。
夜だってことを月下美人にわかってもらわなくてはならなかった。

はじめに匂いがした。
人の血管のような萼が何本も持ち上がる。
赤い色をした時間の中をぬるりと通過すると、うっすらとした暗闇に白い花びらが浮き上がって見える。
何を運んできたのだろう。
花がひらきかけたのを見届け、ひとりふたりと自分の部屋に帰って行った。
かっちゃんと私が残った。
話したことを憶えていない。
部屋にあったのは、夜と、あてのないほどに濃い香り。
私たちはふたりきりだった。