母の菜箸

第7期(2013年2月-3月)

桜の小さな花がちらちらと咲き始めました。花を数えるように、母のことを書きました。

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母は料理の上手な人で、私は母の茶碗蒸しが大好きです。とろとろの卵の中に、茹でたほうれん草、炒った鶏肉、かまぼこ、椎茸、銀杏がたっぷり入っている。卵を5つくらい割った大きなボウルに菜箸を差し入れると雲を作るような上昇気流が起こります。かと思うと、すっと下降して空気をなだめる。母の手は見てなくて、菜箸の先をクリーム色の空が凹んだり流れたりするのを見るのが楽しかった。

家には親戚の人がよく集まっていたから、大人数の和え物やお吸い物、焼き魚に煮物などの品数を人数分作らなければならなかった。小鉢に盛ったり、お椀についだり、その都度、同じ食材を同じ量ずつとか色合いをよくするとかの注意事項があった。人をもてなす時の心構えのようなものだった。どう見えるか、どう思われるか、ということをとても気にかけて行動する、母はそのような人であると思う。

40の手習いで三味線をはじめた。弟である、私から言うとおじちゃんに三味線も歌も教えてもらった。声に艶があり細いけれどよく通る。おじちゃんからは安来節、近くの先生に民謡を習った。素直な声質だったのか、上達して、全国大会で優勝したこともある。直接教わったことはないけれど、何曲かはなんとなくでも口ずさむことができるのは、耳から自然に聞こえてきたリズムや言葉があったから。

高校を卒業して家を離れた時、初めて母から手紙をもらった。家族の多い農家で育った母だった。学歴のないことを恥じたように言った。漢字がわからんかったけぇ、笑われるかもしれんと思って辞書を引いて書いたんよ。素直で伸びやかな文字はきれいだったし、いつものしゃべり口調と違う改まった手紙の文章に、母がいるということを思って涙が出た。

母は泣かない人だった。父の葬儀のあと、涙が出ない自分のことを冷たい人だと思われているのではないかと私に聞いた。ほんとうに悲しいとき、涙は出ないんだよ。知ったふうなことを答えた。母は聞いていなかったと思う。そのあと、何度か同じ言葉を口にした。そんなに気になっているのか、それとも言葉で説明できない悲しみを抱えてしまっていたのか。母の何を知っているのかという思いが私のなかでふと顔を出した。

年をとって人に迷惑をかけたらいけんねぇと言っていた母だけど、少し記憶に変化があるようだ。物の置き場所がわからなくなる。曜日がはっきりしない。どちらも以前からあったことなので、急激な変化とは言えないものの、言い方や体の動かし方がこれまでよりほんのちょっと違ってきた。

風邪を引いて食欲がなく、病院で点滴をしてもらったと言うので、食欲がちょっとだけでも出て食べられそうなものをと思い、プリンやゼリー、パンを数種類買って行った。こたつの上に買ったものを並べた。出されたものをひとつずつ眺めて、じゃぁプリン食べてみようかなと手を伸ばす。小さなカップの中から銀のスプーンで掬ったものが母の口に運ばれる。ひとくち、ふたくち、みくち。食べ物を食べるとき、ゆっくりと時間が流れる。母が作ってくれた食事で育ったことに感謝の気持ちが湧く。母が長生きしてくれることを願う。

パンを持って帰るのを忘れてるよ。電話がかかった。今日はもう遅いから、明日にでも取りにおいで。電話を切ると午後10時半をまわったところだった。母はこれから髪を梳かして眠るだろう。明日私がパンを取りに来るのだと自分に確認してから布団に入るだろう。私がどこにいるのかは関係ない。そこでいつだって待ってくれているんだ。電話を切り歩いていく母の後ろ姿を、電話線の向こうに見る。明日またおもしろい話をしよう。たくさん笑おう。