目眩く私たち 

第7期(2013年2月-3月)

いや、もう時効だったりするのかもと思って書いてしまおうと思っているのですが
言い訳がましく、きちんと連絡する気があったので、むしろ、お礼を伝えたいです。
黙って見逃してくださってほんとうにありがとうございます。

それはひとつの下駄箱でした。

コスモスが取り壊されるって電話があったのは、引っ越して一ヶ月も経たないころでした。
みんなが暮らしてたコスモス、かっちゃんと出会ったコスモス、あの頃の私たち全部を支えてくれたコスモスが壊されるって信じられなかった。
近くに住んでいる友達が、壊されていくコスモスの様子を伝えてくれる。
みんなで混ざり合った日々が土煙に舞い上がって空に吸われていく。
行かなきゃ、と思った。
忘れてしまうくらい頼りない私の目とか耳とか記憶だけれど、見ることで忘れるものってあるかもしれないけど
もう忘れてもいいから見ておきたかった。
建物の半分くらいは壊れていて、2階の天井はもうなかった。
1階と2階は筒抜けだったし、部屋と部屋の壁もないところがあった。
玄関やベランダ、あと階段も、あるところとないところに、がらんとした空間が入り込んでいた。
いいお天気の日だったので、空が青くて、なんだかぽーんと遠くにボールを蹴ったんだなぁって思った。
コスモスって、飛んでいったボールだなだって、今跳ねてきてもまたどっかに行って、誰かと遊んでたりする。
ちっちゃい子と遊んでるといいな。
いろんな空の下で。

下駄箱は駐車場の隅にあった。

私たちは3人がかりで、いや4人がかりだったか、木箱を抱え上げ、暗くなってきた路地を走る。
予定だったけど、結構重くて走れなかった。
ゆっくりじゃないと歩けないよ
待って、足にあたる
いたっ いたたたた
しーっ 聞こえるよ
誰に?
なんだか悪いことしとるみたいじゃね。
みたいじゃなくて、悪いでしょ。
大丈夫、あとで電話しとくから。
でも誰も私が電話することまで考えてなかっただろうな。
いいじゃーないのー
しあわせーならばー
いつの歌?
知らんの?
知らん
……
ね、今、しあわせ?
さぁ、どうかなぁ
しあわせ、かもね
みんなで下駄箱運んでるから?
んなわけないじゃない
あり、じゃろー
こういう時は、歌でも歌おう
こういう時って、どういう時よ
映画みたい
でも、運んでるのが下駄箱
それ言わんの
はいはい
じゃあ、いくよ

夜が深まるにつれて、私たちから抜けてく罪悪感のかけらが歌い始めた。
なんの歌だったかなぁ。
大きい声で歌った覚えがある。
その間、誰ともすれ違わなかった。
私たち運び屋は、夜に解散した。
その後、私は電話するってことをちゃっかり10年間忘れたことになった。
うう、思い出してしまった。
どうしよう。

私たちは終わるものばかり追っていたわけじゃない。
会いたい人に会えるという不思議な技も持っている。
誰かが蹴ったボールがぽーんと飛んでくるみたいな、偶然の出来事。

どんなおばあちゃんになるのかを占った時のこと。
紙面に書かれた質問をはい・いいえでたどると、どっちかが縁側でお茶をすすっている和やかばあちゃん。
もう片方が流行に敏感なイケイケばあちゃん。
どっちがどっちだったか忘れてしまった。
その結果に、当たってない、絶対反対よねと言ったかっちゃんの言葉だけ覚えている。
ふたりでイケイケでショッピングしたあと、ふたりで縁側でお茶飲んだらいいよねぇ。
そう言ってた。
かっちゃんはおばあちゃんにはならないけど、私がおばあちゃんになったら、縁側のそばに来て笑ってね。
似合わないイケイケな格好してても、間違えないでちゃんと見つけてよ。

いつか、私のこと書いてね、とかっちゃんに言われたことを思い出しました。
かっちゃんとの約束が果たせたこと、みなさんに、心から感謝いたします。
そして、全然書けてないんだろうなとも思っています。
あの時はそういう気持ちで言ったんじゃないよ。
あれ、記憶が違ってる、って。
自分ではほんとにあったことを書いているつもりだけれど、たまたま席替えされた机の順番でつながった話だったかもしれない。
人の気持ちのなかは様々なものが出たり入ったりしています。
言葉にすることはそんな自分のなかをかいくぐって出てきた消しゴムのかすみたいなものかもしれないな。
消したり書いたり消したり書いたりしたあと、最後に残ったもの。
(それを言うなら、文字のほうでしょう)(まぁまぁ、)
だから、安心しておばあちゃんになっていきます。