憂鬱よりも青く

第8期(2013年4月-5月)

 拉致のラはラピスラズリのラだよと、拉致記念の青い石を磨きながら、祖父はうそぶいた。

 祖父は鉄鋼技術をあつかう工学博士で、周囲からはドクターサムライと呼ばれていた。主な仕事は論文の執筆と特許の販売で、外国の企業や政府に技術を売るために世界中を飛び回っていた。

 もともと技術者になるつもりはまるでなかった。幼いころから英語とドイツ文学を愛し、キリスト教に心を寄せていた彼は、将来はドイツ文学の研究者になるつもりでいた。だが、戦争があった。兵役の招集状を逃れるため、祖父はゲーテと聖書を片手に、工学生となった。

 もともと実直な性格だったためか、工学生として祖父は優秀な成績をおさめた。戦争が終わってからは引き続き鉄鋼をあつかう技術を学び、やがて教授の推薦により技術研究所に職を得た。研究室で基礎研究に従事して数十年、不惑の年を過ぎたころに博士号を取り、独立して自前の研究所をかまえた。

 祖父のかつての仕事場は、研究所というよりは錬金術の工房めいていた。鉱石と鉄鎖のおびただしい見本箱が遺跡のように積み上げられており、赤、青、黒金、赤銅、水晶、色とりどりの石たちが、それぞれの歴史を抱えて沈黙していた。人工の鉱窟のような世界の片隅で、カンテラを囲み、技術者たちはビーカーにウイスキーをそそいだ。

 機嫌がよいとき、祖父は当時の逸話を披露した。なかでも、人工ダイヤモンドの逸話は、彼のお気に入りのひとつだった。祖父と同僚は、戦後まもなくのころ、人工ダイヤモンドの試作に成功した。あのころは、すべてのものが足りなかったから、きっと女性は喜ぶだろう。技術者の誰もがそう信じていたが、人工なんていやよ、天然石がいいわ、という祖母――当時はフィアンセだった――の一言により、あっさりと打ちやめになった。もっと開発を続けて特許を取ればよかった、そうしたら本物をたくさんプレゼントできたのに、と祖父はよくこぼしていたものだった。

  
 二十世紀は、世界が進歩を信じた時代だった。重工業に力をいれたがる国は多かったから、祖父の仕事はつきなかった。ときには単身で、ときには妻をともない、企業や政府に呼ばれては現地の工場を見てまわり、会議で技術の重要性について意見をのべた。

 穏やかだが信念を貫く話し方と、すっとのびた背筋のため、サムライの技術者がいると海外で評判になった。評判は評判を呼び、祖父は一年の半分以上を外国で過ごすようになった。

 
 祖父の地球儀には、無数の星が散らばっていた。この国には行ったの、こっちとあっちの国はもう行ったのと、地球儀を回しながら何度も聞いてくるわたしたち孫がわかるようにと、祖父は訪れた国に丸い金色のシールでしるしをつけるようになった。

 ヨーロッパ、オセアニア、アフリカ、アメリカ、ユーラシア、あらゆる大陸に、黄金の足跡が刻まれた。すでになくなった国、名前が変わった国を訪れたときは、金色のシールのかわりに銀色のシールを貼った。祖父の地球儀上で、ロシアはもっとも美しくかがやく国のひとつだった。

 祖父が仕事から戻るたび、地球儀には星がひとつ、またひとつと灯り、飾り棚には異国のみやげが並んだ。少数民族の衣装を着た東欧人形、中国の陶磁器、アフリカの魔術狐がかぶる仮面、椰子の実でつくったペンギン、オーロラのスノーボール、王室御用達のカップセット、銀細工のスプーン、ルビーの原石、バイキングの船模型、雨の音が鳴る杖、船上で競り落とした宝石細工の十二支、オアシスでくつろぐ駱駝の絨毯、祖父の家を訪れるたび、どんな宝物が増えているのかを探すことは、わたしにとってこのうえない楽しみだった。

 
 祖父は群青と黄金の色合わせをとくに好んだ。東から西に向かって、淡い青から濃い青へと、夜が明けては沈むように、古今東西の青い美術品が窓辺に並んだ。記念の青い石は、ちょうどコレクションの中ほどにあった。

 祖父が拉致されかけたのは、湾岸戦争が終わったころ、中東のとある国でのことだった。祖父はホテルから隣町の取引先に向かうためにタクシーに乗った。祖父を乗せた白い車は砂色をした道を無表情で走りぬけた。空港は、市内から遠いことが多い。だから、祖父は聞かされていたより長い時間がかかっても、とくに気にとめなかった。途中、運転していた若い男がタクシーをとめ、友人を乗せてもいいか、金は安くするからと告げてきた。返事をする間もなく、運転手の友人と思われる青年が助手席に乗りこんできた。車は加速する。町は見えない。ここでようやく、どうやら自分は事件に巻き込まれていると、祖父は気がついた。

 あとどれぐらいで町に着くかと尋ねると、運転手は祖父の体を上から下まで眺め、もうすぐだよと答えた。なおも言葉を続けようとすると、同乗者の男が言葉をさえぎるようにしてジャケットの裏側を見せた。黒い皮ジャケットの裏に、ナイフがしらじらと光っていた。

 包丁が振り回される日常を生き抜いた祖父は、よほどのことではおびえない、強靭な精神を持っていた。ナイフにはおびえなかったが、車の中にいることは厄介だった。精神の強さと引き換えに、彼はすべての身体能力を羊水の中に置いてきた。海でおぼれている女性を助けるために飛びこんだものの、故郷の川の他ではまるで泳げず、助けるはずの女性に助けられたことがある男が、映画のように車から飛び降りることなど、できそうにもなかった。

 あなたたちは、わたしをどうしようとしているのか。祖父は、ふたりの青年に語りかけた。ナイフをふたたび見せられたが、かまわず続けた。

 あなたたちには、あなたたちの事情があるのだろう。しかし、わたしにもわたしの事情がある。わたしはこれから、自分の仕事をこなさなければならない。できることなら、最初の依頼どおり、わたしを町に連れていってほしい。

 わたしは経典の民だ、とクリスチャンの祖父は青年たちに訴えた。あなたたちと信じるものは違えど、経典の民はお互いを尊重し合うものだ。あなたたちの経典にも、そのことは書いてあるはずだ。そして、あなたたちはその大切さを知っていると信じる。沈黙のあと、運転席の男がつぶやいた。怖くはないのか、ミスター。あなたたちの良心を信じる、と祖父は答えた。

 そうして数時間後、奇妙なドライブは終わった。砂埃が巻きあがる交差点で、タクシーは止まった。ここから歩いていけるよ。ありがとう。それで終いだった。後ろを振り向いたとき、すでに車は幻のように消えていた。クラクションとモスクから聞こえる礼拝の呼び声、いまさら裏返って高鳴る心臓の音が、がんがんと耳鳴りのように響き、その喧噪の中で、抜けるように雲ひとつない空だけがただ美しかった。

 偶然にも命をつないだ後に見た空は、祖父の中でひび割れ、群青と黄金のタイルとなり、記憶の天蓋をおおいつくした。時とともにくずれ落ちていく記憶をすこしでも長くつなぎとめようと、祖父は帰りぎわにラピスラズリの原石を買い求めた。地面に落としたら百もの破片に砕け、その破片から百の指輪をつくれるほど見事な原石は、海の中心のように深く、憂鬱よりも青く、ナイフのようにひやりとしていた。

 これを買うことができてよかった、そうでなければどこかの隠れ家で、人知れず砂漠の一部になっていたかもしれないと、青い石を磨きながら祖父はつぶやいた。わたしはその逸話を聞いてから、ますますこの青い石が好きになった。じいちゃん、この石、いつかわたしにちょうだい。祖父の持ち物で欲しいといったのは、後にも先にもこれだけだった。祖父は白い眉をあげた。いいとも、美しい石だろう。

 
 祖父は、美しいものと芸術を愛していた。しかし、芸術を愛する娘たちの心は理解しなかった。

 父親が持ってくる美術品に囲まれて育った祖父の娘たちが、美を愛するようになるのは自然なことだった。母は油絵とデッサンを、母の妹は現代美術を愛し、青春のほぼすべてを作品づくりに費やした。親子ともども、情熱を向ける先は同じだった。だが、祖父は戦争のために工学の道を、母は弁護士の曾祖父にあこがれて司法の道を選んだ。ただ母の妹だけが、芸術を愛し、芸術のために人生を捧げたいと望んだ。

 その願いは、しかし、かなえられることはなかった。美術を学びたいという娘に向かって、それでは食べていけない、もっと違うことを勉強しなさいと、祖父は穏やかに切り伏せた。

 母の妹には才能があった。美術専攻ならどの大学でも入学できただろう。しかし彼女は、みずからの才能と情熱よりも、祖父の言葉を選んだ。彼女は歴史学を専攻し、東京の片隅ではにわに囲まれて過ごした。

 
 祖父は文学の道を捨てて実学の道を選び、サムライと呼ばれるまでにいたった。彼にとって、その選択は実りあるものだった。しかし、彼の娘にとってはどうだったか。

 成功した者はときとして、深呼吸をするように穏やかに、他者の心を殺す。サムライの末娘は優しかった。優しかったがゆえに、父の言葉を信じ、その望みにしたがおうとした。

 大学を卒業した母の妹は、単身で美術の世界に漕ぎ出そうとしたが、専門でない人間、つても実績もない素人として、つまはじきにされた。十年にわたって彼女は小さな何百、何千ものかすり傷をこしらえた。その傷は癒えぬまま血を流し続け、やがて致命傷となった。彼女は作品をつくるのをやめた。美術館にも足を運ばなくなった。部屋を閉ざし、心を閉ざし、昼の光を避けるようになった。

 わたしの人生は破滅したわ、とサムライの娘はいくどもいくども繰り返した。悲しみの嘆きはやがて呪いとなり、涙は濁流となって、祖父の家を飲み尽くした。

 
 かつて祖父が住んでいた部屋には、彼女がつくった作品のすべて、美術雑誌や図録が、天井に届くまで積まれている。光の当たらない部屋は深海のように暗く、彼女の情熱は墓石のように沈んでいた。廊下には、彼女が卒業論文用に描いた縄文土器の細密デッサンが、無造作に打ち捨てられていた。木炭で描かれた土器の絵は、白黒だとはとうてい思えぬほどの存在感をもって松明のようにかがやき、この憂鬱な墓場を照らしていた。