白い炎

第8期(2013年4月-5月)

 人はそれぞれが孤独な水滴のようで、どれほど時と心をかけようと、その心が、その目がうつす世界が、互いにまじわることはない。

 それでも、人は手をのばす。ほかの水滴に向かい、濁流に押し流されると知りながら、くりかえし橋をかけようとする。流されたおびただしい涙は、百年たてば、手のひらにおさまるほどの塩の結晶しか残らないとしても。

 
 世で知られる祖母と孫の会話が、色とりどりの毛糸で編んだセーターのようなものであるとすれば、この一族における祖母と孫の会話は、チェスに似ていた。対話ではなく、攻防であった。血の色は白と黒にわかたれ、互いにまじわることなく、理解を示すことなく、互いに手番を差しつづけた。

 その美しさからかつて女帝とあがめられた祖母は、その優雅な容姿とふるまいににあわず、石器時代の精神を持っていた。異人の子、異人の子と故郷の人々に石を投げ続けられた彼女は、他者との関係において、ふたつの方針しか持ち合わせていなかった。

 石を打ち返すか、石を投げつけるか。

 石を使わない生活を知らない祖母の足元には、いつも石が山と積まれていた。太陽をあびたぶどうの房のように、それらは放っておけば増えていった。だから、つねに誰かに向けて石を投げる必要があった。

 若いころの祖母には敵対する人が多かったから、彼らのために石を使えばよかった。しかし、祖父と結婚して博士夫人として認められると、機会がどんどん減っていった。しかし、石はひたひたと無限に増殖する。祖母は、投げる先を身内に求めた。

 
 最初は母だった。ひまを見つけては、結婚した母に電話をかけ、結婚した男のことを聞き出そうとした。新しい家族となった人を知りたいからではなかった。そもそも家族だとは見なしていなかった。ただ身近に、石を投げるにうってつけの対象がいると考えただけだった。

 たび重なる尋問に辟易した母が電話を切るようになると、祖母は石投げの的として孫を選んだ。毎週、祖母の家にあずけられる日は、孫にとって戦略と戦術がうずまく戦争だった。洋菓子とジュースをふるまい、すばらしい笑顔を孫に向けた。

 最近、お父さんはどういうことをしているのかしら。お母さんとなにを話しているのかしら。何時頃に家に帰るのかしら。知らない? おかしいわね、時計の読み方はならったでしょう。時間を気にしていないなんて、教えない親が悪いわ。やはりちゃんとした教育をしていないから、あの男の血がはいっているから、こんな風になるのだわ。

 
 女帝たる祖母は孫に、彼女のための優れた諜報員、目撃者であることを求めた。尋問は繰り返された。飽きるまで繰り返された。次の電話で母に問いつめる話題を見つけるまで続いた。

 語らずにいることは不可能だった。質問にまともに答えられないこどもは病気だし教育がなっていないからだと、母に矛先が向かうことはわかりきっていた。

 
 だから、孫は騙った。曾祖父の書斎にひきこもり、古今東西の会話の作法を盗みとって、虚構の組み上げ方を学んだ。

 架空の出来事を編み上げ、そのときの状況と時間帯を決め、一言も話さずに家族の会話を再現した。そのエピソードにたいして祖母が詰めてくる質問を想像し、いくつもの仮定を走らせ、防壁をかためた。矛盾を指摘されないよう、作り上げた出来事は時系列にして書きとめた。

 クイーンは手番になるたびに盤面を縦横無尽に駆けて、相手の手ごまを蹂躪することに長けていた。孫はひ弱なポーンにすぎなかった。盤面上にポーンの幻をまきちらすことは、ただひとつの取りうる手段だった。

 祖母のクイーンは一切の手加減なしに、ポーンをかすめとっていった。だが、幻のポーンはいくらでも出すことができた。この世に書物と物語という、最高の教師があるかぎり。

 
 そうして、尋問官に架空のおとぎ話を献上することがならいとなった。ふたりの知り合いをまぜてつくった架空の友人の話、受けたことのないテストの話、祖母がなじりやすい欠点を持つ教師の話を織り交ぜて、時間をかせいだ。

 祖母の家に滞在するのはおよそ一時間ほどだったから、その時間さえ守り切ればよかった。一週間後には興味のない話を忘れる祖母の癖は、孫の未熟さと失敗をおおいに助けた。孫の盤面には、その日限りのポーンが立ち並んだ。回数を重ねるにつれ、ポーンはときにナイトとなり、ルークとなった。

 このことにより孫は、帰る故郷を失う、という業を受け継いだ。

 現実と虚構の境目をまったいらにした白い地平線に、孫は生きていた。同じく故郷を失った祖母と異なり、この世界の空白は、呼べばいつでもあらわれた。帰るところはどこにもなく、どこにでもあった。

 
 血は繰り返され、痛みと悲しみはめぐりめぐる。

 同じ性質を持つ者が生まれては消え、そのたびにひとつの悲しみが消え、新しい痛みが結ばれる。一手、一手、また一手と、血と血の攻防は無限に続いていくが、しかしそのすべての攻防が似ているようで、違っている。

 たえまなく投げ続けられる祖母の石つぶては、母とその妹をつぶし、家の中を焦土にしたが、新聞記者の曾祖父から受け継いだ書くことへの執着、曾祖母から受け継いだ他人の人生への関心が、孫を救った。あるいは、祖父から受け継いだ勝負師の精神、祖母から受け継いだ激しい感情、母から受け継いだ抵抗の意思、母の妹から受け継いだ傷つきやすさが。

 
 百年ものあいだ、誰もが声に出さずに絶叫している。消してしまいたい、こんな思いは。捨ててしまいたい、こんな血は。

 その叫びは白い炎となって、数世代にわたる心を焼いている。

 それでも、誰もがこの家で生きて、死んでいく。後悔にさいなまれ、嫌悪をいだき、憎悪をつのらせ、呪いをはきちらし、対話を放棄しても、祝いごとには集い、好かれたいと願い、病にたおれれば手をつくし、死がおとずれれば涙を流し、記憶を語り継ぐ。

 理解されず、理解せず、それぞれの世界はまじわらないことはわかっていた。それゆえ、だからこそ、手を伸ばし、血を受け継ぐ相手を求め、こんどこそと笑い、やはりだめだと嘆き、できるものならやってみろと言い残して、次の世代にその座をあけわたす。

 この愚かしさには、別の名がある。誰もが激昂し、認めまいとするだろうが。おそらくその名を愛という。