見えていない私

第9期(2013年6月-7月)

あなたの目に映る私のこと。

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私の中から見える私はたくさんいて
あなたの瞳の窓から見える私はせいぜい二つか三つ、
耳から聞こえる私を足したら四つくらいにはなるのかな。
とにかく、私の中にいるたくさんの私のことは、きっと私しか知らない。
それと同じように、あなたの中にいる全員のあなたのことは、きっとあなたしか知らない。

だれかと初めましてを言うとき、
私は必ず、私の中にいる私のうち一人を紹介する。
こんにちは。初めまして。わかばやしまりあです。
一人目の私は大抵、視線が泳いで、すこし声の小さい人だ。
主張は苦手だけれど人の目の色を見るのが得意で、相手の目の色を伺ってから、2人目に紹介する私を決める。
そうやって私は、私の中のたくさんの私のうち、一人ずつを紹介していく。

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だから私は、よく分かっている。
初めて会ったあなたにとって、「私」は、今私が紹介した「私」でしかないということ。
今日の私がたまたま元気で笑顔なら、あなたの中の私は明るい人なんだろうし、
今日の私がたまたま疲れて伏し目がちなら、あなたの中の私は暗い人なんだろう。
どんなにたくさんの私が、ここに確かに存在していたとしても、
今日、あなたに、伝えられる仕草・言葉・態度。たったそれだけのことがあなたの中での「私」を編み上げていく。

いくつかの自分を持つ。そういうことはきっと今、珍しいことじゃなくて。
たとえば携帯を二台常に持ちあるく人が居るように、
twitterのアカウントをいくつか所持するように、
私たちはこの体の中にいくつかの「私」を存在させてる。

ときどき、私の中の一人が、他人の中に住む一人とよく似ていることがある。
すると私はたちまち引き寄せられて、次々にたくさんの私を紹介していったりする。
けれど、そこで気付くのだ。すべての私が似ているわけではないと。
それは当然のことなのに、何だかがっかりしてしまう。
それに加えて、だれかの中に存在する一人が、私の中の「特別嫌いな私」と似ていることもある。
そんなとき私は無意識のうちに、その存在を攻撃してしまうことが、よくある。
私の中の「嫌いな私」をよく分かっているぶん、だれかの中のよく似た存在に勝手に腹を立てる。
それを人は、同族嫌悪とも言うらしい。

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良い私。悪い私。良いあなた。悪いあなた。
そのうちのいくつか、きっとその程度しか、お互いに知らない。
仲が深まれば深まるほど、知り合っていく「私」たちの数は増えていくけれども、
お互いの中の全員の私同士が、顔を突き合わせて話すということは、きっととてもとても少ないだろう。
だから私はできるだけ「あなた」のことを決めつけないようにする。
私の目に映る「あなた」だけが、全員のあなたではないことを、忘れぬよう忘れぬよう、気をつける。
人は傲慢だ。だから簡単に判断してしまう。
相手に何があったかなんて知っているはずもないくせに、今目の前に見える物だけをすべてだと思い込んでしまう。
そこに立つ幸せそうな誰か、その誰かが今までどんなに幸せを望んで縋り付いてきたか知らないくせに。
そこに立つ弱そうな誰か、その誰かは他人の痛みを拾うために傷付きながらも立っていることを知らないくせに。

目に見える物だけを信じて、自分の思い込んだ輪郭線の中へと、その人をくくり込んでしまう。
それは見ていないのと同じだ。
「知らない」ことに気付けないうちは、たとえ肉眼を信じたところで、嘘の輪郭しかなぞれない。
そんなのは嫌だ。

できるだけ本当のことを見ていたい。
私を簡単にくくり込んでほしくないように、
見えたものすべての形を簡単に決めてはいけない。
見えているもの、そればかりに意識は向いてしまうけれど。どうか思い返してほしい。
見えていない私。見えていないあなた。
それが存在することは、せめて知っていたい。