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あこがればかり自覚しすぎてる?

はてなを浮かべる

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あこがればかり自覚しすぎてる?
   
   
  
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いつまで揺さぶられ続けるのか?
   
   
   
hate-9
ぴったりのかたちでなくとも 収まることを覚えていくの?
   
   
 
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通す芯は一本じゃなきゃいけない?
  
   
     
hate-8
ともかく今は鉛筆を握るべきだろうか?
   
   
   
hate-6
こんなに大きい面積でも映らないときってあるの?
   
   
   
hate-13
足の裏を確認してみる?
   
   
   
hate-12
僕ってどうして積み重ねてきたことをいとも容易く忘れるのかな?
   
   
    
hate-5
ドーナツの穴にはまるぐらいしかもう手立てはないのか?
   
   
   
hate-3
周辺こそ探るべき?
   
   
   
hate-11
とりあえず被った蓋が全然見合ってない?
(でもないよりはマシ?)
   
   
   
hate-10
身体中に染み出してるそいつらを僕はどうするつもりなんだ?

   
   
   
   
   
   
   
つづきのはてな

わかばやしまりあ

わかばやしまりあ

描いたり食べたり生きたりしている

Reviewed by
さかいかさ

俺がまだ小さかった頃、花畑のように辺り一面はてなが広がっていた。俺はそれを手当たりしだいに食べた。食べても食べても減らなかった。ひとつひとつ味も形も食感も違っていた。俺はどんどん食べて、どんどん新しい答えを身につけていった。体が大きくなり思春期を迎えた頃には、込み入ったはてなでも食べられるようになった。まあ、食べきれなくて吐き出すことや、体に合わず全身に湿疹が出てしまうこともあった。あと逆立ちしても食べられないはてながあることも知った。俺は軒並みはてなを食べ続け、あらゆる出会いとともに歳を重ねていった。
変化が起きたのは五十半ばを過ぎた辺りだった。俺は好んではてなを食べようとしなくなった。いや、その変化は徐々にあったんだと思う。歳をとりながら下降線を下るように、はてなへの食欲を失っていった。何故か。そこには色んな要因があるんだろうけど、簡単なのは近場にはてなが無くなってしまったことだ。かつて俺の周りにあった花畑のようなはてなは、あらかた俺自身が食べ尽くしてしまった。ちょっと足を伸ばさないとはてなが手に入らなくなった。そして悪いのは、はてなを食べずに判断するようになったことだ。はてなの色と形を見て「ああ、このはてなはきっとこんな味でこんな答えなんだろう」と決めつけるようになった。さらに悪いことにその決めつけの大概が大筋で当たっていた。俺はそんな馬鹿げた決めつけを繰り返した。わざわざ遠くまで出かけ、はてなを周りから眺めて「そういうもんだろ」と知ったような口を聞いた。食べずにだ。その行為は致命的に俺を空洞にしていった。かつて俺の中にあった素晴らしいはてなも答えも丸ごと灰にして「そんなことわかりきったことだろ」と、掃いて捨てた。
結果、俺は宿命的に頑固で偏屈で厄介な一人きりの老人になっていた。テレビに悪態を吐き続ける毎日にはてなはもう存在しなかった。埃をかぶった当たり前に囲まれ、誰からも敬れない老人がいるだけ。それはほとんど存在しない老人と同じだった。
俺が自分の有り様に気づいたのは、本当に些細なことだった。いつものようにニュースを見ながらテレビに悪態をついていた。茶が切れたから急須に湯を入れ、湯呑みに注ごうとした時に湯呑みの存在を忘れた。長年使っていたはずの湯呑みを見て「あれ、この湯呑みは誰のだ?」と疑問に思った。自分の日常に異物が紛れこんでいるような感覚だった。それはほんの少しの時間だった。しばらく湯呑みを眺めているうちに「ああ、これは俺のだ」と思い出した。だけどその次には体の底から震えがやってきて、湯呑みに茶を注げなくなった。
「俺が俺を忘れるかもしれない」
取るに足らない小さな物忘れだったかもしれない。でも俺はそう感じてしまった。そして本当にそういう日が来るかもしれない。俺が俺を忘れた時、その先にいったい何があるのだろう。考えると頭の中が真っ黒になった。どこにも救いがなかった。世間から忘れ去られることより恐ろしいことだと思った。
それを機に俺は変わった。といっても老人だからそう変われるもんじゃない。ただはてなをまた食べるようになっただけだ。老人だから遠くには行けない。でも今の時代、インターネットでどんな遠くのはてなだって取り寄せることができる。便利になったものだ。昔は食べれなかったはてなも食べられるようになったのも歳をとったおかげかもしれない。テレビには相変わらず悪態をつく。あと花と野菜を育て始めた。育ててみて分かったが、俺は花のことも野菜のこともまるで知らなかった。ただ土をいじって手が汚れるのは言い知れず気分がいい。
いつか本当に、俺が俺を忘れてしまう日は来るかもしれない。でもそれまでは、できるだけはてなを食べることに決めた。いくら食べたって結局は忘れてしまうのかもれない。無意味なことをしているのかもしれない。
でも、そこにはてながあって、食べるか食べないかだったら、とりあえず食べとこうと、老い先短い老人が主張したって、別に害はないだろ?

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